第27話 『勇気が出る催眠』の破綻

「師匠〜、催眠術おしえてくださいよ〜」


 駄々をこねるように秋山が言って俺はむっとする。秋山は一年の男子で、体育会系の短髪だ。正直言って得意なタイプの人物ではないのだけれど、勝手に師匠と呼んで懐いてくるので、無碍にもできずにこうして催眠術について教えているのだけど。


「だからいま教えているだろう」

「こんな心理学とか脳科学とかじゃなくて、なんかないんすか!ほかに!」


 そう言って秋山は分厚い本を放り投げた。俺はため息をついて本を拾い上げて戻る。表紙を軽く叩きながら俺は秋山に言って聞かせる。


「いいか?催眠術とは、特殊な誘導によって人間の意識を変性させる技術のことだ。そのためにはまず人間の心理とその機序を知ることは必要不可欠であってだな——」

「だあぁぁっ!!難しいこと言って煙に巻くつもりっすね!?」


 秋山は頭を抱えて叫んだ。俺はまたため息を吐く。素直なのは美徳だが、馬鹿なのは短所だな。


「師匠、ちゃんと催眠術を教えてくれないとあの話しますよ?」

「だから教えているって……あの話ってなんの話だ?」


 そう聞き返すと秋山はにやりと笑った。なにか嫌な予感がする。


「先輩が5月に図書館で催眠術を使ってた時の話っすよ」


 その言葉に思わず目を見開いてしまう。どうやらコイツはそれを俺の弱みだと思っているらしい。いや、間違いではないのだが。俺の反応を見た秋山は、満足げな顔をして続けた。


「あれが俺が催眠術を教わろうと思ったきっかけですからね。いやー、感動的でしたよ。催眠状態の彼女さんに」

「待てっ!」


 俺は制止の声をかけるが、秋山は止まらない。


「先輩が『私は君が大好きです』って。……なんで催眠をかけて言ったんですか?やっぱり、面と向かって言うのは恥ずかしかったとか?」


 俺は座っている秋山から視線をあげる。ドサっと、コンビニの袋が落ちる音がした。

 秋山の背後には「休憩用のおやつを買ってきますね」と言って出ていった詩音が立っていた。


「詩音……」


 詩音は、微妙に焦点の定まらない目で、胸の前で手を握った。


「先輩。、先輩だったんですね」


 その声は、どこか感情が剥がれ落ちたようだった。


「そうだな!!いつも言ってるもんな!!」


 どうにか丸めこもうと勢いよく言う俺に、詩音は哀しい笑みを返した。


「先輩。先輩は自分のこと『私』って言わないじゃないですか」


 そう言うと詩音は振り返って走り去ってしまった。俺はテーブルに崩れ落ちた。


「あ、あの師匠……。いったい何が……」


 そのやりとりを、おいてけぼりをくらいながらただ見ていた秋山が戸惑った声を上げる。


「……帰れ」

「え?」

「帰れって言ってるだろう!!」


 俺の怒声に弾かれたように秋山は立ち上がって、部屋を出ていった。俺は目を覆い、大きなため息を吐いて後ろに倒れた。ツケが回ってきたのだ。あの催眠を使ったときから、こんな日が来ることはわかっていた。


 『勇気が出る催眠』。秋山が話したのはあれのことだった。あれの本質は、「無条件にして無記名の愛による紛い物の基本的信頼感」だった。その声の持ち主が俺だと認識してしまえば、もう効力はないだろう。


「……罰、なんだろうな」


 俺はもう一度大きくため息を吐いた。

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