第22話 催眠術先輩と弟子
「先輩!やっと見つけました!」
騒々しい声に顔を上げる。誰だ、図書室で大声を出すのは。今日は、我らが図書室がとうとうTBPを全巻揃えたという噂を聞きつけて、春野と一緒に見にきていたのだけれど。
声の主は短髪の男子生徒だった。一年生か?運動部系で、正直言って苦手なタイプだ。
「俺に、何か用事かな?」
戸惑いながらとりあえず訊ねる。
「初めまして!俺、秋山っていいます。先輩、いや師匠!」
誰が師匠だ。
「俺に催眠術を教えてください!!」
その言葉を聞いて、俺は隣の春野の肩をガシッとつかんで激しく揺さぶった。
「だからあんまり考えなしに吹聴するなって言わなかったかなぁ!!」
「知りませんよ!私じゃありません!!」
首をガクンガクンと揺らしながら春野が反論する。
「はい。先輩の彼女さんは関係ないですよ?」
その言葉に手を止めて秋山の方を振り返る。春野は目を回していた。
「なら、なんで催眠術のことを……?」
「直接見たんすよ。先輩がちょうどここで催眠術をやってるの」
「……みた?」
「そりゃもうロマンチックな告白でした。俺もいつかあんな風に——」
「告白?」
春野が首を傾げる。心臓がズァッとして俺は立ち上がる。
「よしわかった催眠術を教えよう!」
「ほんとですか!」
「ああ。だから場所を変えよう。ここだとまた誰に見られるか分からないからな」
そんなわけで、俺の部屋。
「それで、秋山はなんで催眠術を教わろうと思ったの?」
グラスに注いだ麦茶を配りながら春野が言った。俺の家でそのムーブはおかしくないか?どことなく目が輝いている。そういえば、春野は催眠の普及に熱心なところがあったっけ。
「え、えっと」
口ごもる秋山の様子に春野は眉間にしわを寄せる。
「答えられないなら、催眠は教えられないよ?」
その言葉を聞いてもしばらくあー、うーとうなっていた秋山だったが、意を決したように口を開いた。
「クラスに好きな人がいるんです」
「先輩、お帰り願いましょう」
振り返った春野がノータイムで言った。秋山がテーブルから身を乗り出す。
「なんで!?」
「だって、先輩この人絶対に催眠を悪用するつもりですよ!完っ全に下心100%じゃないですか!」
「そんなことないっすよ!?」
反論する秋山に春野は疑惑の目を向ける。
「どうだか。どうせ催眠術を使ってその子を自分の意思で裸にさせたり、だいしゅきホールドで抱きしめさせたり、体を動かなくして強制的に膝枕させたりするつもりなんでしょう!」
それを聞いて俺は額を押さえて赤面する。それ、全部俺がやったやつじゃん。春野の勢いに気圧されていた秋山だったが、どうしても引っかかったのかぼそりと呟いた。
「……なんで膝枕?」
その言葉に春野の顔が一気に赤くなる。ああ、自分でも無意識に『自分がかけられた催眠』を例として挙げて挙げていたのを自覚したのか。
「なにか!?」
「いや!催眠で身体が動かなくなるならもっと——」
そこまで言ったところで秋山はハッとしたように口を閉じた。春野が振り返る。
「聞きましたか!やっぱり悪用するつもりですよ」
「ちがっ!俺はただ師匠の催眠術を使った告白がすごい良いなと思っただけで!」
「告白?」
春野が首を傾げる。春野の勢いが緩んだスキに秋山がたたみかける。
「そういえば、あの時師匠が催眠をかけられてたの彼女さんじゃないですか!あの時師匠が……」
「催眠術を教えよう!」
秋山の言葉を俺が遮った。春野は驚きの目でこっちをみた。
「先輩!?」
「春野、少しだけ黙っててくれ」
それを聞いた春野は、不服そうにだが口を閉じた。視線を秋山に合わせる。秋山もこちらをまっすぐに見つめ返した。初対面の相手をここまでまっすぐ見られるとは。
「悪かったな。少し、深呼吸でもして落ち着こうか。吸って——」
秋山は言われるがままに大きく息を吸い込んだ。かなり素直な性格のようだな。2、3度深呼吸をさせてから普通の呼吸に戻す。
「よし、次は、声に出さなくていいから、俺が言うことを頭の中で復唱して、俺の指示を聞いて?」
秋山がうなずく。俺も一度大きく息を吸って、語り始めた。
「催眠術、というのは、意識を沈めて、無意識を浮かび上がらせる技術。理性を眠らせて、本能を引き出す技術。人の理性と意識を、つかさどっているのは、大脳新皮質。大脳、新皮質。脳の、一番外側の部分。大脳新皮質の働きが鈍くなると、意識が白くなる。意識が、どんどん白くなる。意識が真っ白になる——」
パァンッ!手を叩く音で秋山が目を開けた。
「師匠?」
不思議そうな顔をする秋山に俺は言った。
「よく頑張ったね。これで俺が催眠術について教えられることは全部教えたよ」
それを聞いた秋山は目を輝かせて立ち上がった。
「ありがとうございます!これで百人力です」
「そうだ。あの映画がまだやってたはずだから、チケットを奢ろう。こういうのは小道具が大事だからな」
秋山の肩を叩いて俺は言った。
「いいんですか!何から何まで」
「ああ、カップルで見るにはいい映画だぞ。俺は2回見た。——そうそう、催眠をかけるなら、他の人の目につかない場所で2人きりでな?」
「はい!」
そんな俺たちのやりとりを、春野は半目で見つめていた。
**
「夏樹、ちょっと来てくれよ」
タイミングを伺いに伺って、終礼のチャイムと同時に夏樹に声をかけた。夏樹はビクッと振り返ってこっちを見た。長い黒髪が揺れる。夏樹ひまわり。小柄で、黒縁の眼鏡をかけた女子。引っ込み思案なところがあるらしく、あまり目立つグループには属していないが、とても優しい子だ。
「秋山さん。私になにか?」
「いいから。ちょっときて」
戸惑う夏樹を急かすようにして席を立たせる。それから、夏樹の前を歩いて廊下を進む。
「あの、この先には何もないですよね?」
夏樹が疑問の声を上げる。俺が選んだ場所は、上り階段の先の屋上扉まえだった。この扉は常に閉鎖されていて学園漫画でよく見るように昼に弁当を食べるのには使えないが、その分誰もくることがない。
「ん。ここで大丈夫」
そう言って振り返る。夏樹は不安げな顔をしていた。俺は一度深く息をした。手にじっとりと汗をかいている。落ち着け、俺には師匠に教えてもらった催眠術がある。
……あれ?催眠術ってどうやるんだっけ?いやいやいや。だって、あんなにしっかり教えてもらったじゃん。なのに、何ひとつ思い出せない。確かに教わったのに。
目の前の夏樹の表情が不審げなものになる。これはヤバい。なんの用もないのにこんなところに連れてきたなんてことになったら夏樹に嫌われる。と、そのとき閃いた。
「こ、これ!先輩に映画のチケットを2枚もらったから、今度の休みにどうかなって」
そう言って、スクールバッグからチケットを引っ張りだす。夏樹は目を丸くして受け取ったあと映画のタイトルを見て表情を緩めて、言った。
「秋山さんはまだ見てなかったんですか?」
その言葉に膝から力が抜ける。
「え……もしかして、もう見てた?」
「はい。公開初日に」
終わった……。俺はがっくりと肩を落とした。
「……まあ、2回見るのもいいかもしれませんね」
その言葉にバッと顔を上げる。夏樹はくすくすと笑っていた。ああ、好きだなぁと思った。
「初見の感想、楽しみにしてますね」
「うん!」
**
「ししょぉ〜〜」
月曜日、図書室で背もたれにもたれかかりながら、TBPの11巻を読んでいると、入り口の方から秋山の不満気な声が聞こえてきた。
「前は言いそびれたけど、図書室では静かにな?」
「師匠ひどいですよ。結局催眠術なんて教えてくれてなかったんですね」
注意をスルーして秋山が話を続ける。そうか気づかれたか。俺はあのとき、『催眠術を教わったと思い込む催眠』をかけたのだ。まあ、そもそも催眠術なんて一朝一夕で身につくものではないので。
「でも、うまくいったんだろ?」
俺は笑みを浮かべながら聞く。
「なんでわかったんすか!?」
声がデカイな。
「うまくいかなかったんならそんな不満そうじゃなくてもっと怒ってるだろうし、師匠なんて呼ばないだろ。それに」
「それに?」
秋山が首を傾げる。俺は笑いながら言った。
「お前なら催眠術なんてなくてもうまくいくと思ってたからな」
そういって、豆鉄砲を食らったような顔の秋山の頭にぽんと手を置いた。
「よく頑張ったじゃないか。催眠術なんて、使わずに済むならそっちの方がいいんだ」
「師匠……」
感じ入るような顔の秋山。そのとき
「先輩」
今度は小さな声なのによく聞こえた。バッと入り口を振り返る。
「先輩、浮気はダメですよ」
「このカップリング……ありかもしれない」
「そんな!秋山さん……」
入り口には、後輩たちが鈴なりになっていた。春野と皐月と……誰?
「凄まじい勢いで誤解が生まれているんだが!?」
俺は立ち上がって叫んだ。ああ、図書室では誰が見てるかわからないってことは学んだはずなのに。
「師匠」
「なに?」
隣に座った秋山が呼びかけるので振り返る。
「図書室では静かにです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます