第19話 にゃんにゃん催眠
「にゃーん」
猫の声が口から出た。それから、両手を床について四つ足で歩く。なるほど、いまの私は猫になっているらしい。そういえば、いつだったか先輩が『にゃんにゃん催眠』という催眠の話をしていたっけ。今日の催眠はそれのようだ。
猫は自由だ、我慢なんて似合わない動物だ。だから、体が本能としてやりたいことをやってしまう。先輩の体に体を擦り付けて匂いつけしてしまう。
「なぁん。なおぁん」
目を細めて気持ち良さそうに体を擦り付ける。これ、かなり恥ずかしいんだけど。そんなことをしているとぽふっという感触が頭に。これは、先輩の手だ。
「よしよし。詩音にゃんは可愛いなぁ」
先輩に撫でられると気持ちいい。そういえば、いつもはあんまり先輩なでてくれない気がする。口角を上げながら先輩の手に頭を擦り付ける。それから先輩の手があごの下をくすぐる。あ。ここは本当に初めてだ。気持ちいい。のどが勝手にごろごろいっちゃう。……いや、これどこから音出てるんだ?先輩の手が、猫の気持ちいいところを刺激する。背骨に沿って撫で下ろす、尻尾の付け根をすりすりさする。気持ちいい。溶けちゃう。私はごろんとひっくり返って、先輩の胸にじゃれるように猫パンチをした。たぶん、ちょっとした照れ隠しだ。そんな私を見て先輩は、すごい勢いで私のお腹に顔を顔を突っ込んだ。
「ぎにゃーー!?!?」
「詩音にゃん吸い。いい匂いだ〜」
「にゃあ゛っ!にゃあぁっ!」
脚をジタバタと動かして逃げようともがく。先輩は一体何を考えているのか。猫のお腹は弱点だ。お腹を見せるのは信頼の証、もっとかまってというアピールだけれど、それは何をしてもいいというわけではない。いきなり顔を突っ込むなんてもってのほかだ。けれど、柔道の寝技のようにガッチリと固められて、簡単には抜け出せない。ようやく抜け出した私はどたどたっと先輩から距離を取って、背中を反らして威嚇した。
「しゃー!!」
「ははっ。悪かった悪かった。ほら、おいで」
そう言って先輩が膝をぽんぽんと叩いて腕を広げた。私はちょっと迷ってから威嚇をやめ、ゆっくりと先輩の方に歩いて行く。無神経な行動に怒りはしたが、先輩が嫌いというわけではないのだ。先輩の膝に乗って、先輩に体重を預ける。それから先輩の顔を、舌先でちろちろっと舐める。先輩がくすぐったそうに笑う。私は先輩が嫌いではないのだ。むしろ結構好き、いや、大好きだ。満足感を感じながら、私は先輩の膝の上で丸くなる。ああ、お腹のなかがぽかぽかするや。先輩が私の耳の根本を揉む。そして
「足が痺れるから、今日はこの辺でおしまいね」
そう言って、耳元で指パッチンを鳴らした。私は先輩の膝の上で、詩音にゃんから後輩の春野詩音に戻った。ああ、耳まで真っ赤になっていることが見なくてもわかる。
「……これが『にゃんにゃん催眠』ですか」
私は、何事もなかったかのように取り繕いながらいう。先輩は実にフラットなテンションで応じた。
「今回は、どんな催眠か詩音にも分かるように催眠の深度を調節してみたよ」
なるほど、たしかに今回は『にゃんにゃん催眠にかかっている』という認識はあった。前回はもっと深く催眠をかけられていたので覚えていなかったのだろう。いや、そんなことはどうでもいい。催眠にかかっていた私の行動は、解除されてみるとものすごく恥ずかしかった。
「可愛かったよ」
そんな私の思いを見透かしてか、先輩が耳元で息を吹き込むように囁く。体が反応してしまいビクッと震える。
「わ、私はいいんですよ。猫になる催眠をかけられて、催眠通り猫のように振る舞った。ただそれだけですから。でも……」
「でも?」
私が見上げると、先輩は頭から疑問符を浮かべていた。私は言った。
「先輩は、素面で『詩音にゃん吸い〜』とか言ってたんですか?」
その言葉に、先輩は一気に赤面した。よし、一矢報いた。これでイーブンだ。恥ずかしさに涙目になりながら身体を起こす。
「本当に、先輩の、へんたい」
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