第15話 ひざまくら催眠

「どう?今日の催眠の感想は」

「……率直に言えば、割と動けるなというのが感想ですね」


 先輩のベッドに座って、私は答えた。催眠をかけられた側からしても、今回の催眠は出来ることとできないことのボーダーがはっきりしている。まず、手は動く。首も動く。口は動くし喋れる。上半身は概ね自由に動くといっていいだろう。

 反面、腰から下は動かない。縛られているのではなく、どうやって動かせばいいのか分からない感覚。つまり今日の催眠は、座ったままになる催眠のようだった。


「先輩、なぜ今更こんな催眠を?座ったままになる催眠なんて、基礎の基礎どころか催眠誘導に分類されると思うんですが」


 例えば、催眠術の心得がなくとも相手を椅子から立たせなくすることはできる。椅子に深く腰掛けた相手の額の前に手のひらをかざして、「この手に触れずに立ってください」と言えば相手は立つことができない。これは重心移動の関係によるものなのだけど、「相手は自分の身体を操作することができる」と信じ込ませることで実際に身体を操作するのは、催眠術の手法のうちでもメジャーなひとつだ。


「ふふふ、これはただの座ったままになる催眠じゃない」


 先輩が不敵な笑いを浮かべるので、私は身構える。たしかに、下半身が動かないという事態を甘く見てはいけない。それは逃げられないし、蹴りによる抵抗もできないことを意味する。いま先輩に押し倒されたら手も足も出ない……少なくとも足は全然出ない。私はごくりとつばを飲んだ。先輩は私のとなりに腰掛けて、ことん、と私の方に倒れてきた。先輩の頭が私のふとももの上に乗る。


「今日の催眠は、『ひざまくら催眠』だ!」


 たぶんすごいドヤ顔で先輩は言った。


「…………」


 私は無言で先輩の髪をかきあげて、頭を撫でた。


「ぁっ……」


 先輩が陶然とした声を漏らす。私は呆れを込めてため息をついて言った。


「先輩、先輩。なんで今ひざまくら催眠なんですか。ノクターンギリギリの描写が呼び物のこの連載で、わざわざ催眠使ってまでやることですか、ひざまくらは。急に第一話のテンションにでも戻りましたか。『性描写ありにチェックいれてるんですよ。こんなので読者が納得すると思ってるんですか』」

「何を言ってるのかさっぱりわからないな」


 やれやれ、困った先輩だ。そう思いながら、となりにあるを拾う。


「先輩。こんなところに、耳かき棒があります。すごい偶然ですね。先輩って、耳かき棒をベッドに置いて寝てるんですか?寝相で刺さったりしませんか?おあつらえむきに枕元にはティッシュも……」


 そこまで言って私ははっとして言葉を切る。


「ベッド脇にティッシュなんて、何に使ってるんですか先輩」

「普通に鼻かんだりだよ!!」

「ふーん。『だり』ですか。その『だり』には何が入るんでしょうね。まぁいいです。主にネバついた体液を拭き取るために使ってるということですね」

「言い方ァ!」


 先輩の抗議は軽く流して私は先輩の耳たぶをもてあそぶ。


「それで、先輩。耳かき棒がありますね。」

「あ、ああ」

「刺さったら危ないので私が持っておきますね。どこにしまっているのか、後で教えてください」

「なんでそうなる!」


 先輩の反応に、私はもう一度大きなため息をついた。それから、耳の溝をカリカリと擦りながら話す。


「先輩、先輩。今はもう令和なんです。目と目で通じ合うのが色っぽいという時代でもないんですよ。状況さえセッティングしたら、相手が察してくれるなんて思っているなら、大間違いです。して欲しいことがあるなら、ちゃんと先輩の口で、先輩の言葉でおねだりしてください。さ、先輩。何をしてほしいんですか?」

「あ、あう……」


 先輩が戸惑った声を上げる。私は耳かき棒を先輩の耳から離して胸ポケットへ入れた。


「その、耳かき、してほしいです……」

「……はい。よくできました」


 私は耳かきを持ち直した。


「じゃあ、なかに入れますね?」


 私はそう言って、耳かき棒の先を先輩の耳に入れる。カリカリ、カリカリ。先輩の口から甘い吐息が漏れる。


「先輩、気持ちよさそうですね。まったく、耳かきくらいなら催眠つかわなくても喜んでしてあげるのに」

「もしかして、耳かき好き?」


 その言葉に私は首を傾げる。


「好き、かどうかはわからないですね。他人の耳かきするのはこれが初めてですし。でも、憧れはありましたね。耳かきなんて、家族か、恋人くらい特別な関係じゃないとしないじゃないですか」


 そう言いながら、取った耳垢をティッシュに落とす。


「やってみた感想としては、結構好きですね。耳が綺麗になるのは爽快感がありますし、こうやって先輩が頭を預けてくれているのは、なんか嬉しいです。他人の生殺与奪の権を握っている感じですかね。」

「物騒なことをいうなぁ……」


 先輩がつぶやく。


「さ、次は反対の耳ですよ。ごろーんってしてください」


 私に促されるまま先輩は反対を向く。向こう側を向いていた先輩がこちら向きになる。


「これは、ちょっと恥ずかしいですね。あんまりお腹を見ないでください」


 そう言って私は耳かきを先輩の穴に挿入する。


「それで、先輩。『だり』の頻度はどれくらいなんですか?」

「今その話蒸し返す!?」

「隠したり、ごまかそうなんて思わないでくださいね。手が滑りますよ?」

「せ、生殺与奪の権……」


 先輩は気まずそうに押し黙る。その間も、私は耳かきを続ける。かりかり。


「……3日に一回」


 割と生々しい答えが返ってきて返答に困った。


「それは……健全な男子としては多いんですか?少ないんですか?」

「知りません」


 拗ねたように先輩が言う。


「もう、先輩。拗ねないでください。いいことしてあげますから」


 そう言いながら耳から耳かきを抜く。


「いいこと?」


 先輩が疑問符を頭に浮かべる。その様子を見ながら私は先輩の耳元に口を近づけて


「ふー」


 息を吹き込んだ。


「!?!?」

「ふふっ、先輩、ビクビクってしました。お耳、弱いんですね。さ、耳掃除は終わりましたよ。身体を起こして催眠を解いてください」


 先輩が起き上がる。その顔は真っ赤だ。拘束系の催眠をかけられている中で、主導権握りっぱなしというのもなかなか愉快な経験だった。先輩が指パッチンで催眠を解く。と、同時に私は倒れて先輩の膝の上に頭を置いた。


「詩音?」

「さ、次は先輩の番ですよ」


 そう言って、私は先輩に耳かき棒を手渡す。先輩は、数秒それを眺めて、言った。


「……同じことされる覚悟はあるってことでいいんだな?」

「なんですか?先輩も私の『だり』の頻度が知りたいんですか?」

「違うわい!!」


 思わずという様子で耳かき棒を放り投げる先輩。拾い上げるために膝枕を一旦やめて、しゃがんだ先輩の背中にのしかかるように身体を押し付けながら、私は耳元で囁いた。


「3日に一回です。おんなじですね、先輩」


 先輩の頭が水蒸気爆発した。今日は私の圧勝だったな。

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