第14話 おいしい催眠

「いらっしゃい、先輩。ちゃんと外泊の許可は取ってきましたか?」


 ドアホンを押すと、制服の上にエプロンをつけた後輩がドアを開けた。裾のフリルが揺れて、ささやかなドレスのようだった。


「ああ、親にはちゃんと断ってきたよ」


 俺は小さく笑いながら答えた。女の子が男に外泊許可の心配をするなんて、普通は反対だと思う。まあ、今日は俺が後輩の家に泊まるのだから自然だけれど。


「よかった。せっかくのお泊まりデートなんですし、水を差されなくないですからね。さ、上がってください。」


 そう言って後輩は玄関を上がるように俺を促す。俺は小さく頭を下げながら敷居を超えた。


「私も料理がひと段落したら行きますから、それまで適当にマイル稼ぎでもして待っていてください」

「……夕飯作るの早くない?」


 俺は疑問を口にした。たしかに、「先輩、今日、親が旅行でいないんです」という、伝統的なセリフで始まったこのお泊まりデートのメインイベントは詩音の手料理だが、日も沈んでいないのに夕食を作るのは少し早い気がした。


「何言ってるんですか。夜になってから先輩を待たせるわけにはいかないでしょう」

「それなら作ってるとこ見てるよ」


 せっかく一緒にいるのにひとりでゲームするというのもアレだし。けれど、後輩は頬を膨らませて言った。

「先輩のエッチ」

「なんで!?」


 幸い、料理はほとんど済んでいたようですぐに後輩も部屋に上がってきた。それからいつも通りゲームをしたり、話をしたり。リビングに降りて、アマプラでレンタルしたTBPの劇場版を観た。2人で涙ぐみながらエンドロールを眺める頃には、すでに日はとっぷりと暮れていた。


「ね?下ごしらえしておいてよかったですよね、先輩。今仕上げをしてしまうので少し待っていてください。」


 そう言って後輩はエプロンの紐を結んだ。


——


「完成です!」

「お、おう」


 夕食をテーブルに運んできて満面の笑みを浮かべる詩音に、俺はどんな反応をすれば良いかわからなかった。仕方なく片頬を吊り上げる。


「あ、お味噌汁もありますからね」

(あ、味が濃い……)


 俺は冷や汗をかきながらテーブルの上を見つめた。テーブルに並んだメニューは、オムライスにハンバーグ、それと肉じゃがだった。ここに味噌汁が加わるらしい。いったい何を考えたらこんな組み合わせになるのか。


「じゃあ、食べましょうか。先輩」

「ああ、いただきます」


 後輩に促されて、俺は手を合わせた。しかし、このメニューは何で食べるのが正解なんだ?ハンバーグはフォークとナイフを使わなくても箸で食べられるとして、オムライスは?


「詩音、スプーンと箸とって」

「あ、すみませんうっかりしてました」


 結果としてこの組み合わせになった。とりあえず、ハンバーグを一切れ、箸で切って食べる。


「どうですか?先輩」

「おいしいよ、詩音」


 これは社交辞令なしの本心だった。お店の味、とはいかないが、家庭の味としては普通においしい範疇なのではないか。


「やった。頑張ったかいがありました」


 そう言って小さくガッツポーズをして、詩音は自分のハンバーグに箸をつけた。自分でも味に納得がいったようにうなずく。それから、数秒動きを止めて言った。


「あの、先輩。他に言うことはありませんか?」


 はて?なんのことだろう。俺は意図が読めなくて首を傾げた。


「先輩、肉じゃがも食べてください」


 やけに細かい指示に戸惑いながら、俺は薄茶色に色づいたジャガイモをひとつ口に運ぶ。


「よく煮えてておいしいよ」

「……先輩、味噌汁はどうですか?」

「ジャガイモが入ってるね。うちではあんまりやらないから新鮮だ」


 しかし、肉じゃがもあるしジャガイモがかぶっていないか?とは思ったが口には出さなかった。後輩はふてくされたように頬を膨らませた。なんだというのか。


「こんなにいいパスを送ってもスルーするなんて……先輩のバカ」


 ボソっとそう呟いて、後輩は顔を背けながら食事を続けた。恋人、おいしい、味噌汁。この時、ようやく頭の中で線が繋がった。後輩が望んでいたのは『俺のために味噌汁を作ってくれ』とか、『おいしいね。毎日食べたいよ』といった言葉ではないだろうか。そう考えると、このメニューも説明がつくように思えた。なんのことはない、『男の胃袋を掴むための料理』だ。それがわかると、一気に愛しい思いが溢れ出してきた。


「詩音は可愛いね。毎晩食べたいよ」


 それを聞いた詩音は真っ赤になってスプーンを落とした。


「そ、それは思ってたのと違うんですが。でも、今晩は親がいないので……」


 赤面して、尻すぼみになりながら後輩は言った。


——


 食事のあと、お風呂も済ませて(別々に入った)あとはベッドに入るだけというタイミング。

 パァン。手を叩く。ベッドに腰掛けた後輩が目をあける。


「それで、どんな催眠をかけたんですか?『食事のお礼に美味しいものをご馳走したい』って話でしたが」


 俺はうなずく。そして手を、手のひらを上にして差し出した。後輩は、いぶかしげに首を傾げる。


「あの、先輩。催眠がうまくいってないみたいです。何もないですよ」

「いや、それでいいんだよ。手の上“には”何もない」


 後輩が眉を寄せる。それから小さく「あっ」と声を上げた。


「先輩、もしかして」

「噛んだら痛いから、舐めるだけにしてくれ」


 後輩は、半信半疑といった様子で俺の手を掴んで、人差し指を口にくわえた。温かい湿った感触に指が包まれる。


「……ひぇんぱい!あまくて、しょっぱくて美味しいでふ!」

「一種の共感覚で、舌の触覚と『おいしい』という味覚を接続した。気持ちいいところほど美味しく感じる仕組みになってる」


 背筋に走るゾクゾクとした感覚に耐えながら解説をした。後輩は半ば夢中といった様子で、今度は俺の耳をくわえた。耳たぶを甘噛みされて、耳の溝に舌が這って。


「先輩!先輩の耳、美味しいです!柔らかくて、ほどよい弾力もあって」

 そして

「ねえ、先輩。先輩が気持ちいい場所ほど美味しいんですよね」


 詩音が囁く。心臓が暴れる。そうだ。つまりはそういうことだ。


 ジュッポ、ジュッポ、ジュッポ、ジュッポ

「ぁん!詩音!しおん!」


——


 いろんなものが吸い尽くされた後、ベッドに横になる俺の上で後輩がクスクスっと笑った。


「どうした?今日の催眠が気に入ったとか?」

「はい?まあ、苦くて臭いよりはおいしい方がずっといいと思いますが。そうじゃなくて、嬉しいんです」


 よく意味がわからず首を傾げる。後輩は、俺の手を持って口元までもってきた。


「先輩、指を舐められるのが好きになっちゃってたんですね。きっと私のせいで。それが嬉しいんです」


 その言葉に、自分でも意識していなかった本心を射抜かれて、俺は赤面した。後輩は、俺の人差し指をくわえて言った。


「しょっぱいです」

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