第13話 安眠誘導

 俺は沈痛な面持ちで、眉間にシワを寄せていた。後輩の顔が、10㎝と離れていない場所にある。これがどういう状況なのかを説明するためには、時間を少し遡らなければならない。


 ——

「最近、催眠の内容がエッチな方向に振れすぎてると思います。元々催眠というもののイメージアップのために始めた連載だったのに。」


 詩音の言葉に俺は首を傾げた。そうだったか?まあ、本人がそういうならそのつもりだったのかもしれないが。というか、連載ってなんの話だ?疑問というのは多すぎると中々口から出てこないものだ。


「そこで、今日は初心に戻って便利で役に立つ催眠にしましょう。安眠誘導をお願いします。今日は、エッチなのしちゃダメですからね」

「ああ、分かった」


 詩音が釘を刺す。俺はうなずいたけれど、ふに落ちない気持ちは残った。そもそもエッチな催眠をかけていたのは、詩音に頼まれていたからであって自発的なことじゃないんだが。まあ、安眠誘導くらい大した手間ではないから構わないのだけれど。それこそ、催眠術の基礎の基礎みたいなものだ。


「久しぶりですね。先輩の誘導で寝るの、私結構好きなんですよ」


 そう言って詩音がふにゃりと笑う。「好き」だけが耳に残って、心臓が一回宙返りした。


「そうと決まったら、さ、先輩も早くお布団に入ってきてください。」


 そう言って詩音が掛け布団をパタパタして促す。少し恥ずかしいような気もしたが俺も同じ布団に入る。女の子の甘い匂いがした。


 後輩は俺の腕を枕にして言う。

「じゃあ、1時間したら起こしてください。それまで、どこにもいかないでくださいね」


 ——

 それで、この状況だ。改めて後輩の顔を見る。後輩はすうすうと細く息をしている。


「それにしても、安眠誘導催眠のどこがエッチじゃないんだか」


 俺は呟いた。それだけで1ジャンル確立してるくらいエッチなものなのに。


『俺は後輩の脚に手を這わせて、スカートをめくりあげた。後輩は寝ている。俺はごくりと息を呑んで、後輩を腕から下ろした。それから、掛け布団をどける。眩しいくらい白いふとももの先に、後輩のパンツが露わになっている。黒い、透け感のあるレースのパンツ。左右で紐が結ばれている。エッチなの抜きなんて嘘だろ。完全に誘ってるじゃないか。こんなパンツ、大人すぎる。


 俺が紐を引いて解くと……』とそこまで妄想したところで頭を振る。危ない危ない。それから、腕枕の上の後輩の顔を見る。自然と、視線が艶やかな唇に吸い込まれる。少しすぼめて息をしているそれは、まるでキスを待っているようで。俺は……ッとまた正気に戻った。もうこの小一時間ずっとこんな調子だ。目の前に後輩が、息がかかるくらいの距離にいて、もうエッチなことで頭がいっぱいになっている。これじゃあ、詩音のことをスケベだと笑ってはいられないじゃないか。


 後輩の髪を撫でたい。ぎゅうって抱きしめたい。胸を揉みたい。柔らかくて気持ちいいこと、隠してたってしってるんだぞ!キスしたい。ねじ込みたい。ただ寝ているだけなのに、息が上がる。裸で触れ合いたい。愛し合いたい。したいことと、出来ることが一致しているのにしちゃいけない。それはちょっとした地獄の拷問のようだった。


 いや、本当に我慢しなきゃいけないのか?だって、俺たちは恋人同士なんだし。それに、これくらいの歳の男女が同じベッドに入る、ということはそれは、もうエッチなことをするって意味じゃないか?


 そんな思考のどうどうめぐりを繰り返していると、ポケットに入れたスマホが1時間の経過を告げた。俺は、安堵に胸を撫で下ろす。知らぬまに全身に入っていた力が抜けた。この甘く温かい地獄も終わりだ。俺は詩音の肩を揺する。


「詩音、詩音起きて」


 もぞもぞと動きながら、詩音がゆっくりと目を開けてこちらをみて、笑みを浮かべた。


「せんぱい」


 そして詩音は俺の首に腕を回して、キスをした。目を丸くする。詩音の舌が入ってくる。待って。今こんなことをされたら俺は


「待って、俺今日エッチなのしてないよね」


 感度増強、理性凍結、性欲増大その他もろもろ、エッチな催眠は含まない、純粋な安眠誘導だったはずだ。その疑問に詩音は、ふふっと笑って答えた。


「エッチなことを全くしなかったからですよ。先輩、私が寝てる間、一生懸命ガマンしてくれてたんですもんね」

「なぜそれを!?」


 図星を指されてのけぞる。


「分かりますよ。だって先輩、目も手もプルプル震えてるんですから。それに顔に『もう我慢の限界!』って書いてありましたよ」


 そういいながら詩音は俺の頭を胸元に引き寄せる。


「私のことを想って我慢してくれたんですよね。ふふっ、先輩、いいこいいこ」


 頭を撫でられて、温かさが広がって、俺は真っ白になった。


「だから先輩、ご褒美です。先輩が我慢してたこと、全部していいですよ。大丈夫、私は先輩がしてくれることなら、全部気持ちいいですから」


 耳元でそう甘く囁かれて、俺は……高々1時間の『待て』でこんなに歯止めが効かなくなるなんて、とんだ駄犬だと思った。

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