第7話 友達催眠
失礼だが、正直言って頭を抱えたいような心境だった。
「皐月彩芽です」
俺の部屋、ローテーブルを挟んで向かい側に座って後輩が名乗った。目つきの悪いこけし、そんな感じの女子だ。春野はその隣に座って、ニッコニッコと笑っている。
「この子が先輩に催眠術をかけてもらいたいんですって」
そう言われて皐月と名乗った後輩を見る。皐月はこちらを見返した。いや、半分くらいにらみ返したって感じだ。
「……本当?」
皐月に問いかける。『正気?』と聞きたいところをオブラート5枚重ねぐらいにして。
「はい。催眠術なんて、てっきりフィクションの中にしか存在しないと思っていましたので、身近に催眠術が使える方がいると聞いて、興味深いと思い春野にお願いしたんです」
用意した原稿を読み上げるように皐月は言った。俺は右の眉を吊り上げる。興味というか、不信感、敵意のようなものしか感じられないのだけれど。
「ということなので、先輩!お願いします!」
「あ、ああ」
春野の言葉の勢いに、思わずうなずく。しかし、弱ったな。この皐月という後輩は俺のことを完全に警戒している。催眠術をかけるには、相互の信頼関係が必要だ。いや、不信感を逆手に取るような催眠もなくはないんだろうが、少なくとも俺は得意じゃない。ここから催眠をかけるのは至難の技だぞ?いや、そうだな……
「春野、皐月さんの手を握ってあげてくれ」
「先輩?」
春野が首を傾げ、皐月がビクッとする。
「初めての催眠だと緊張するかもしれないからさ」
「分かりました!ほら、彩芽、力抜いて」
そう言って春野が手を取ると、皐月は目を逸らした。けれど、重心がさっきまでより少し春野側に傾いている。うん、いけそうだ。俺を信頼はしていなくても、春野だったら信頼できるというわけだ。
「じゃあ、これから催眠誘導をするから、春野も合わせてやってみてくれ。いくよ?こっちを見て。まずは、深呼吸——」
それから数分後。
「いやぁ、あの状態からも催眠にかかるものなんですね」
春野が言う。こいつ、わかってて振ってたのか。隣の皐月は首を力なくうなだれて僅かに体を揺らしていた。しっかりとトランス状態に入っている。それを見た春野は目を輝かせる。
「それで、ここからどんな暗示をかけるんですか?一番面白そうなのは、やっぱりこの間の常識置換ですかね!」
「いや、かけるわけないだろう」
「なんでですか!?」
噛みつかんばかりの勢いで春野がいう。
「友達を売るような真似をするんじゃないよまったく。それより詩音……」
俺は立ち上がってローテーブルを回り込み、春野に背中から抱きついた。
「どうして彼女は俺の催眠のことを知ってるのかな?」
春野の耳に息を吐きかけるようにしてささやいた。春野が反射的にビクッとする。
「せ、先輩……怒ってます?」
「怒ってない。怒ってないけど、考えなしにはお仕置きをしないとな」
そう言って俺は、唇で春野の耳たぶを柔らかくくわえた。春野の体がビクビクッと震える。
「ゃんっ、せんぱいっ!」
くすぐったさに、みじろぎして逃れようとした春野は、やっと自分の身体が動かないことに気づいたようだ。
「せ、せんぱい?体が動かないんですが」
「そりゃ、動かないだろうな。詩音にも一緒に催眠かけたから」
続けて耳の溝に沿って舌先を這わせる。耳穴をくぽくぽと塞ぐ。
「ひぇんぱぃっ!耳だめれす!」
「友達の恋人が催眠術師なんて知ったら、心配するのは当然だろ?あんまり無用なトラブルの種を撒いて回らないこと」
顔を真っ赤にして悶える春野にゼロ距離で説教する。
「だ、だって…先輩は悪い催眠術師じゃないですもん……」
春野が反論する。その『善良な催眠術師』という俺像はどこからきたんだろう?俺だって、半分以上下心で催眠術を学んだのに。
「もし先輩の催眠術が知られることで誤解を受けるなら、私はその誤解をきちんと解きたいんです。その方が、先輩が知られないのよりは私にとってずっといいんです」
「……」
少々お節介な気もするが、春野は春野なりに考えていたということか。考えなしって言ったのは悪かったかもしれないな。
「……わかった。もううるさく言わない。でも、慎重にしてくれよな?」
「……はい」
春野の返事が確認できたので、俺は春野の左の耳たぶをくわえた。
「せせせ、せんぱい!?お仕置きはもう終わりでいいんじゃないですか!?」
「ん。お仕置きは終わり」
そう言いながら耳たぶをはみはみする俺に、春野は特大のクエスチョンマークを飛ばした。
「これは、耳舐められてる詩音のリアクションが可愛かったから」
そう言って俺は春野の耳を甘噛みした。
「かわっ…!?せ、せんぱいのばかぁ!へんたい!」
「はむ、はむ」
——手を叩く音が聞こえて、意識が急浮上する。
「はい、催眠を解いたよ」
目の前には、春野の恋人だという先輩が座っていた。催眠を始める前と変わらないが、時計を見るとこの部屋に来てから1時間程度がいつの間にかたっていた。
「まあ、催眠といってもこんなものだよ」
「……私が寝てる間に何かしましたか?」
「ううん。君には何もしてないよ。な?春野」
そう言われて隣の春野を見る。
「う、うん……はぁ……なにも、なかったよ……っはあ」
春野は艶かしい声で答えた。顔を真っ赤にして、激しく息が上がっていた。少しテカテカしている気もする。
(……こいつら、催眠にかかってた私の隣で何をヤってたんだ?)
私は、先輩をにらんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます