第6話 勇気が出る催眠
「それで、先輩が高飛び棒で川を飛び越えたところを私がすかさず……」
「はぁ〜」
目の前で彩芽が大きなため息をついた。放課後のショッピングモールのフードコート。
彩芽は2年で同じクラスになったクラスメイトで、パッツン前髪のショートヘアの女の子だ。
「……どうかした?」
私がため息の理由を訊ねると、彩芽はふいっと顔を背けた。
「別に。春野は“先輩”の話ばっかするよね、って思っただけ」
明らかにつまらなそうに頬杖をつきながら彩芽が言う。私としては全然そんな意識はなかったからギョッとした。
「そ、そんなことないでしょ」
「なくはないよ。前まで6:4で先輩の話してたのが、付き合い始めてからは8:2くらいの割合で先輩の話してる」
手振りで数を示しながら彩芽がいう。私は顔が熱くなるのを感じた。出会って一年強、とうとうかなり大胆なアピールの末に、ようやく恋人になれて浮かれていたのかもしれない。俯きながら顔を赤くする私を見て、彩芽はもう一度大きなため息を吐いた。
「春野は本当に“先輩”のことが好きらしいね」
その言葉に私は身を乗り出しながら反論する。
「わ、私が先輩を好きなんじゃなくて、先輩が私を好きなの!!」
彩芽がビクッと身をすくませる。私は椅子に座り直すと、斜め上の何もないあたりに視線をやった。
「あれは、私が高校入学したばかりのこと——」
——
「部活か……面倒くさいな」
手元に押し付けられた勧誘チラシを見ながら私はぼそりと呟いた
『まちなさい』
『何?回想シーンなんだからセリフ挟まないでよ』
『や、なんで突然回想シーンに入ってるの——それはともかくとして、この三つ編み眼鏡美少女は誰?』
『誰って、私の回想で私って言ってるんだから私に決まってるでしょ。ほら、続けるよ』
私がふと顔を上げると、図書室の前だった。ちょうどいい、ここで時間を潰そう。仮入部期間にすぐ家に帰るわけにもいかないし。そう考えながら私は図書室の戸を引いた。
とはいえ、小難しい本を読む気にはならない。そんなことを考えながら書架を眺めていると、ライトノベルコーナーがあることに気づいた。
(高校にはライトノベルコーナーがあるのか。中学にはなかったな)
視線を走らせると、『TBP』が10巻まで置かれているところに目がとまった。今でてる巻数の約半分だけれど、及第点と言えるだろう。
私はそこから3巻を抜き出し(3巻から新しい章が始まる)、適当な椅子に座った。実は全巻家にあるからあえて図書室で読まなくてはいけない理由もないのだけれど、こんな機会でもないと序盤は読み返さない。
角を指にひっかけるようにしてページをめくって読み進める。展開を知っているせいか、思った以上に早く読み進んで、私は棚に4巻を取りに行った。
4巻中盤の戦闘シーンまで読み終って、ふと顔を上げると図書室にいる他の人に気づいた。いや、よく考えたら私より先に居たような気もするけれど、背景として処理していて意識していなかったみたいだ。そんな背景だった人を意識したのは、その人が読んでいたのがTBPの1巻だったからだ。
「TBP、面白いですよね」
私は席4つ分くらい離れていた距離を詰めてその人に話しかけた。校章の色が赤だから、一つ上の先輩らしい。
読書中の、初対面の人に話しかけるには少し唐突すぎる言葉だったと、声に出してから後悔する。けれど先輩は驚いた様子もなく、すんなりと本から顔をあげて
「確かに面白いね」
そう笑いながら答えた。
「ですよね!『俺ツエー』なんて揶揄されがちですけど主人公が傷を負いながら、痛みを背負いながらそれでも大切なもののために戦う姿がかっこいいですよね!」
それから私は勢いついて、主人公の魅力に始まりヒロインそれぞれの個性、構成の妙に一番好きなエピソードまで語った。
「それで、先輩はどのエピソードが好きですか?」
その質問に、先輩は困ったように笑いながら答えた。
「ごめん、俺、まだここまでしか読んでないんだ」
指差した先には、真ん中くらいの場所にしおりが挟まれた1巻があった。
「え、でも」
「そこで君があんまり真剣に読んでるから、ずいぶん面白いのかなって思ってさ」
そう言って先輩は、さっきまで私が座っていた席を指差す。そこで私はようやく、さっきまで私が一方的に話していて、先輩はずっと聞いていたことに気づいた。
「……先輩。続きが読みたくなったら言ってください。貸しますよ。ここには10巻までしか無いみたいですから」
私は恥ずかしいのを誤魔化すようにそう言った。
それから、放課後はいつも図書室に行くようになった。先輩がどこまで読んだか聞いて、ネタバレしないように話をする。先輩の初見の感想を聞いて、その後の展開を予想してもらう。文庫本10冊紙袋に入れて持ってきて先輩に渡す。まだ慣れない高校生活に、楽しみがひとつできた。
「ところで、部活は決まった?今って仮入部期間だよね」
ある日、先輩が言った。私は気まずくて目を逸らす。
「部活はいいかなぁって」
「なんで?」
その言葉に私は俯く。けれど、意を決して私は言った。
「その、私、結構引っ込み思案で、コミュニケーションがあんまり得意じゃないんです」
「君が?そんなことないだろ。現に俺にだって話しかけてきたじゃないか」
「それは……先輩が先輩だからですよ」
私の返事が腑に落ちないといった様子で先輩は首を傾げた。それから何か閃いた様子で立ち上がった。
「そうだ!君に勇気が出るおまじないをかけてあげよう」
「おまじない、ですか?」
首を傾げる私と向き合うように先輩は座り直す。
「ああ。じゃあ、まずは深呼吸しようか。大きく息を吸って——」
……
パチン。指パッチンの音で目を覚ます。
「あれ?先輩、私……」
いつの間に寝ていたのだろう?
「これで勇気が出るおまじないがかかった。今までよりうまく人付き合いできるようになる、と思うんだけど」
語尾に向かうにつれてだんだん自信がなくなった様子で先輩は言った。正直言って、先輩が言っていることはよくわからない。けれど、何か胸の中が少し暖かくなったような気がした。
「ありがとうございます、先輩」
——
「わかった?私が先輩を好きなんじゃなくて、先輩が私を好きなの」
回想を終えて目の前の彩芽に念を押す。
「あのときの『おまじない』が催眠術だってわかるのは、またしばらく後の話なんだけど……」
彩芽はさらにもう一度ため息を吐いた。
「春野が先輩を好きなんじゃなくて、大好きなのはよくわかった」
彩芽は心底呆れたように言った。私の顔がもう一度赤くなる。
「今の回想でどうしてその結論に!?」
「……むしろその結論以外どの結論になるの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます