木綿豆腐と魔女の「きらい」と
「……ふよから、どこまで聞いたの?」
返ってきた答えは「一通り」だった。
「俺が呪われてるってこと、その影響で予知夢を見る魔女になったこと、何度も命の危機を救われてるってこと……あと、そのクラゲが使い魔だってことも」
「信じた、の? 呪いとか、魔女とか」
「空飛んで日本語を使いこなすクラゲに言われたからこれは信じるしかないなと」
「ああ……」
私がふよを召喚したことで魔女の自覚を得たように、この男もふよによって不可思議を現実のものとして受け入れたらしい。
「『ごしゅじんはきっとぜったいいわない けど おまえがよちむをしったら ごしゅじんはずっとらくになる だからいう』って」
「……そう」
きっと前々から思っていたことを、私が倒れたことがきっかけで行動に移したのだろう。本当に、主人想いの使い魔を持ったと思う。
この男に予知夢の内容を全て明かして行動を指示できたらどんなに楽だろうと、考えたことは私自身何度もあった。今日の丑の刻参りの諸々だってこの男に一言「いかなることがあろうと今日だけは深夜徘徊をするな」とだけ言えば済んだだろう。けれど関わりを避けたかったのと、私が勝手にやっていることだからという理由でその選択肢は見ないようにしてきたのだ。
……でも。もう、どうせ知っているのなら。
「……日曜日、店長さんから椅子の修理手伝ってって言われるけど、絶対に手伝ったらだめ」
「……予知夢?」
黙って頷く。
「一応訊きたいんだけど、椅子を修理したらどんな風に死ぬの?」
「…………」
「……そんなとんでもない死に方するの?」
声に、僅かに不安が入り交じる。椅子を修理しただけで何が起こるのかという純粋な疑問もあるのだろうが、間近に迫った死に恐れを抱かない訳がない。なるべく多くの情報を求めるのは当然だろう。改めて考えてみると今取り乱していないのもすごい。
……と、気持ちは大変よく理解できるのだが。
「……紫都?」
とんでもないと言えば確かにとんでもないのだが、多分この男の想像とは方向性が違う。
「……一片の嘘偽りもなく言うけど」
「うん」
「本当に見たままを言うけど」
「……うん」
「修理してるところに店長さんが特大の木綿豆腐作ってみたーって言いながら来て、転んで、豆腐の角があなたの頭にぶつかって、その拍子に手元が狂って錆びた釘で怪我して、破傷風にかかって……それで」
……カキーンと、遠くで野球部がいい球を打った音がする。溌剌とした吹奏楽の音色も聞こえてきて、走り込みの掛け声らしきものも響いてきて、要するに保健室には沈黙が落ちた。
本を読んでいる間はお互い何も言わないからこの男との沈黙にはある程度慣れていたはずなのに、今回ばかりは内容が内容だ。凄まじく気まずい。抱えて運んでもらったのを知ったとき以上に気まずい。
「…………」
「…………」
先に耐えられなくなったのは私の方で、頬に熱が昇るのを感じながらも勢いよく顔を上げた。
「――っだからわざわざ前置きしたの! 嘘偽りなく本当だって!」
「ああ、ごめん、疑ってる訳じゃなくて……豆腐の角に頭ぶつけたのが元凶っていうのが衝撃で」
「私だって衝撃だったよ! 毎回毎回変な死に方してっ……」
「毎回こんな感じなの?」
「多種多様。でも全部変」
「言い切ったね。……これまでの死因が気になるところだけど」
なんかこう、風が吹けば桶屋が儲かるに通じた荒唐無稽さがあるよね。一時的にでも不安を衝撃が上回ったのか、どこか感心したように奴は呟く。本人でさえこの反応だ。『怨嗟の魔女』は何を思ってこんな変な死に方をするような呪いにしたのか、つくづく理解に苦しむ。
昂った気を鎮めるべく深く息を吐く私は、ふよが触手で私の手を撫でてくれていることに気づいた。落ち着いてということだろう。ぷにぷにした気遣いがありがたい。
「……とにかく椅子の修理はしないで。というかお店の椅子に触れないで」
「わかった。日曜は店の手伝い断っとく。ありがとう」
「……お礼を言われるようなことじゃない」
これまでの行動は私の自己満足、そして今回はただ夢を伝えただけだ。感謝されるのは違う。
目を伏せた私に、傍らで苦笑した気配がする。
「人一人の命を救ってくれたのは、充分お礼を言われるようなことだと思うけど」
「…………」
「……それとも、きらいな人間にはお礼言われるのも嫌?」
あくまで変わらない声音のまま届いた言葉に、私はひゅっと息を詰めた。……一通り、とは、本当にどこからどこまでだったのか。
「……ごめん、今のは勝手にいじけた」
こぼれ落ちる横髪を長い指が掬う。そのまま、倒れる前のように頬に手が添えられた。
頭が真っ白になって、ただ肩だけがびくりと跳ねる。肌から染み込んでいく温度も、近づいた距離も、わかっているのに金縛りに遭ったかのように動けなかった。
「……だから避けてたの?」
上向かせようとはしない。
でも、繋ぎ止めている。
「だから来なかった?」
心地よささえ覚えるこの拘束が怖い。
「……理由は?」
「…………」
「理由もなしに突然嫌われたの? 俺」
ちがう、と絞り出した声は蚊が鳴くようだった。
「じゃあなんで」
口をつぐんだ私に、問いかけが降る。宝石のような瞳が私の表情を探る。
……だから関わりたくなかったのだ。
自分の心臓の音がいやに耳につく。体が強張る。眉が歪んでいるのがわかる。
逃げてしまいたい。
これまでのように、あの時のように。
再び落ちる沈黙。カーテンに囲われた空間で、互いの気配の濃さが空気を占める。
膠着した状態を叩き割ったのは私でもなくこの男でもなく、大慌ての足音からのドアの開く音、そして開かれたカーテンから差し込む光の眩しさだった。
「――やっっっと生徒会終わった……!」
私を起こさないようにという配慮か小声で叫ぶという荒業を行いながら、飛び込んできたのは息を切らした燈花である。びっくりして見上げた私と目が合うと、「起きてる!」と顔に喜色を浮かべ――
「ん、なんで
いつにない冷気を背後から放出した、気がした。
「……話せば長くなる」
「紫都の目ぇ潤んでるんだけど。なぁに、寝込みでも襲ったの?」
「いやいやいやいや襲われてない襲われてない」
「真面目に疑問なんだけど、
「どんな人間と思えるほど接点がないから信用もしてないんだよ」
「……なるほど」
「で、なんでお触りしてるの?」
「そこに戻るんだ」
「もちろん」
内容はともかく思いがけず軽やかに続く応酬を眺めているうちに、不意に頬の手は離れていって。
微かに残ったぬくもりがなかなか消えずに、徐々にカオスと化していく会話の横で私は一人自分の心臓を宥めていた。
やがてまどろむ夢見の魔女の。 樹坂あか @kinomiko
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