目覚めた魔女とうるうる使い魔in保健室

 初めて予知夢を見てからずっと、夢を見終わると即座に目が覚める。そして溜め息を吐くのだ。


 ……豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ人間を初めて見た。


 まあ豆腐はあくまでも遠因で、死ぬまでにはもう少し長期のスパンが必要だったが。その後こそがものすごく苦しそうだったが。毎度毎度脳内にこびりつく残像にげんなりした気分になりながら目を瞬く。

 焦点の中々合わない視界にオレンジ色の光が揺れて、眩しさに腕で目を覆った。


「……起きた?」


 近くで、低い声がする。夢の中で聞いたのと同じ声がする。


 ……私は、まだ予知夢を見終わっていなかったのだろうか。 


 恐る恐る腕を外し声のする方に視線を向けると、夢の中、さっきまで病室で冷たくなっていた男がこちらを覗き込んでいた。

 え、と漏らした声は音にならず吐息に変わる。

 ほのかに揺れる前髪、瞬きの度に光を反射する鮮やかな瞳、肌に透ける血液の淡い色彩、私を呼ぶ声――まだ、生きている。死んだのに、また、目の前で生きている。

 じゃあ、また死ぬのか。これからまた死ぬのか。さっきもう死んだじゃないか。どうして。

 頭がぐるぐるしてうまく働かない。

 混乱の中で青ざめ愕然と対の群青を見つめていた私だったが、ぷに、と不意に頬に触れた馴染み深い感触に我に返った。


『ごしゅじん おきた』

「……ふよ?」


 身を起こして見れば、今日も透明感溢れる使い魔が私のスマホを掲げていた。……なんだか全体的にいつもよりうるうると水分の保有率が高そうに見えるのは私の気のせいだろうか。

 ともかくふよがいて私が『おきた』と言っているということはここは現実のはずだ。毎日一緒に眠っているが、今までふよが予知夢にいたことはない。動揺のあまり浅く多く打っていた心臓が鎮まっていく。

 寝乱れた髪を直しつつ周囲を見ると、何やらカーテンで囲われたベッドの上にいるようだ。


『ごしゅじん たおれた ここ ほけんしつ いま ほうかご』

「え、倒れた、って……」

『まりょくがかっせいかしたから からだもつかれてた だからたおれた ずっとねむってた』

「活性化……」


 寝ぼけていた頭が段々とクリアになって、夢よりも更に前の記憶が蘇ってくる。そうだ、確か全身の魔力が一気に沸騰したようになって、それが収まった途端に意識が遠のいていって。どうもあれが魔力の活性化というやつだったらしい。そしてそのまま目覚めない私をこの男が支え、抱えて保健室に運んでくれたと。……避けまくっていた人間に大迷惑をかけたとは、大変気まずいものがある。

 この男の他に人の気配はないから先生はどこかに出ているのだろうか――などと思ったところで、あまりのリアクションのなさに気づくのが遅れた疑問が浮かび上がる。


「……え、ふよ……」


 私の言わんとしたことがわかったのか、ふよはびくんと全身を跳ねさせた。小刻みに震えて、見るからにうるうるが増していく。

 ふよはスマホを掲げたまま、シーツの上でちょこんと正座のような姿勢をとった。


『ふよ かってした おこられるかくごある』

「かって……ああ、勝手か」

『かってにそとでた かってにこのおとことはなしした』

「話?」

『ごしゅじんのことも のろいのこともはなした』

「……え、」

『ごしゅじんのぞんでない でも ごしゅじんのためとおもったからした』


 おこられるとおもったけどした。

 ふるふるうるうる、ふよはそれっきり入力をやめる。スマホを横に置き、正座状態で待機している。

 ――ああ、これは。もしかして。

 うちのかわいい使い魔は、覚悟を示して、泣いているのか。


「……怒ったりしないよ。怒ったりしない」


 指で笠を撫でてやると、ふるるるる、と何故か震えが激しくなる。どうしたのだろう。


「……『もうごしゅじんになでなでしてもらえないかもしれない』って、話してる途中から割と全体的にうるうるしてたよ」

「ああ……」


 例によって手の中にある懐中時計を手放し、おいで、とふよに手を差し伸べる。いつもならふよんと飛び上がって着陸するふよは、いいの? いいの? とばかりに私を見上げてからおずおずと移動した。

 未だふるふるしているふよをもう片方の手で包み込むようにしてお腹の辺りに持ってくる。


「ごめん、心配かけたね」


 普段より弾力を失っている気がするぷにすべをゆったりと撫でると、ふよはしばしじっとして潤んだままだったがやがて私の手のひらに笠を擦り寄せてきた。全身の潤みも治まっていく。

 泣き止んだ、ということだろうか。

 嬉しいのか笠の一部をほんのりと桜色に染めたふよは、完全に私の手のひらに身を委ねきってなでなでを堪能し始めた。元々撫でられるのが好きなふよだが、失う覚悟でいたものが失われずに済んだからか常よりうっとりとしているように見える。かわいい。

 ふよを撫でる手は止めずに、私はベッドの脇で椅子に腰かけている男に向き直った。思いきり迷惑をかけた手前大変気まずいが、謝罪くらいは目を合わせなければと居住まいを正す。


「……ごめんなさい、手間かけさせて」

「いいよ。俺も体調悪いときに無理かけたし」

「いや、……それは、別に」

「……元々俺のこと助けてくれたから寝不足だったんだろ」

「っ、」


 この男が知るはずのなかった情報が出てきたことに、ふよから伝えられていたとはいえやはり動揺してしまう。思わず目線が落ちた。

 手の中でふよが心配そうに動いたが、大丈夫と伝えるように撫で続けた。


「ごめん。父親が急に体調悪くしたからコンビニに色々買いに行ってた」

「……あなたが謝ることじゃない。あなたが悪い訳じゃないんだから」


 なんでこんな時間に出歩いてるんだとは思ったが、呪いがなければ私が対応に出ることもなかったのでこの件で私が悪感情を向けるべきはこの男でも丑の刻参りの女性でもなく『怨嗟の魔女』ただ一人だ。想いを受けるも受けぬも告げられた当人の自由、受け入れられなかったからといって死の呪いをかけるなんていくらなんでも理不尽がすぎる。

 絶対に『怨嗟の魔女』とは相容れないだろうなと頭の片隅で思いつつ、私は認識を更新するべく話を切り出した。

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