未知との遭遇、そして魔女は屁理屈を捏ねる

 家のセキュリティを今一度見直すべきだろうか。

 もやもやした気持ちを抱えつつ、惰眠を貪る気にもなれない私は置いてあるビーズクッションにもたれ掛かった。テーブルに置いてあるメイクボックスを開け、鏡を開いて胸元を映す。


「あ……」


 パジャマのボタンを一つ外してみると、黒に近い紫の陣が肌にくっきりと刻まれていた。

 『祝福の魔女』の手の甲に浮かんでいたものと全く同じ陣。私の、陣。触れてみても凸凹などはなく、完璧に私の肌として馴染んでいる。常人には見えないものだと言っていたが、それでもタトゥーを入れたようでなんだか落ち着かなかった。


 魔女。私が。

 ……嵐が過ぎ去って一人になると、全てが悪い夢だったのではと思えてしまう。


 溜め息を吐いて、立ち上がる。勉強机の横に掛けてある鞄から無地のルーズリーフを一枚取り出し、そのまま机についた。ものは試しだ、確かめよう。

 ペン立てからシャーペンを一本取り出し、描くのは大きな円だ。フリーハンドの割にまあまあの形になった中に少しの幾何学模様と三日月を描いて蝶を重ね、簡略化した魔方陣を形作る。いつだったかファンタジー小説を読み漁って魔方陣に憧れを抱いた時期もあったが、高校の二年にもなって本気で描くときが来ようとは。なんだかすごく気恥ずかしい。

 シャーペンを置き、右手の指を握って開いてと繰り返す。胸の中心から血管が這って指先まで辿り着くようなイメージで陣に指を触れると、指先に綺麗な紫の光が灯った。驚きと僅かな抵抗、どこか複雑な気分になりながらも直感で言葉を紡いでいく。


「――差し伸べるは『夢見の魔女』が手。夢に現に未だ見ぬ我が僕を、我が傍らへと導かん」


 呪文が古文っぽくなるのは日本で初めて先天性魔女の地が混ざったのが平安時代中期でその記憶の名残らしい。が、やっぱりどうにも恥ずかしい。

 頬を淡く染めて言い終わるが早いか、陣から色とりどりのオーロラのような光が立ち上る。三十センチほどの高さに伸びたその中におずおずと手を差し入れてみると、ぷに、とひんやりしたものが私の指に触れた。ふと連想したのはテレビでよくある箱の中に手を突っ込んでどんな生き物がいるのか当てるゲームだ。このぷにぷにした生き物に毒性がないことを切に祈る。

 オーロラはゆらゆらと空気に溶け、消えた。線が紫色に変わった陣の上にいたのは、体長十センチにも満たない透き通った水色のクラゲだった。触手の一本を私の指に乗せて、小首(?)を傾げた様はかわいらしいが。


 ……あ、がっつり有毒生物。しかも水棲。


 色々とどうしようと私がしばし硬直していると、クラゲはふよんと浮いてシャーペンを触手に取った。数本の触手で器用にシャーペンを使い、ルーズリーフの余白に文字を書き始める。


『よばれた』

「……うん」

『ごしゅじん?』

「そう、だね。一応、使い魔を召喚したから。……あなた、名前は?」

『ない』

「じゃあ……ふよふよ飛んでるから、ふよでいい?」

『よい』

「ところであなた、毒ってある?」

『ない でも びりびりはできる』

「あ、ならよかった」


 クラゲの使い魔もいるんだなぁ、と思いつつぷるんとした笠を指で撫でてみる。ぷにすべだ。

 魔女としてのあなたのいいパートナーになってくれるだろうからやってみてと言われて試すならこれだと早速実行した使い魔召喚だが、思った以上にさらっと未知との遭遇を果たしてしまった。……ああ本当に魔女なんだなぁと、実感が染み込んでくる。

 しばしふよのぷにすべを堪能していると、ふよの笠の一部がほんのりとピンクに染まる。


『なでなで すき』


 ……かわいい。


「ふよって水の中に棲まなくていいの?」

『みず きらい つめたい』

「へぇ……やっぱり使い魔だから普通のクラゲじゃないんだね。まあ飛んでる時点で普通じゃないけど」

『くらげ かたちだけ さっきこのかたちになった』

「え、そうなの?」

『それまで どろどろ たくさんまざってた ふよはさっき ふよになった』

「……召喚、ってだけじゃないみたいね」


 そういえば使い魔がどういう存在なのかはちゃんと教えてもらっていなかった。また今度訊かなければ。

 なでなでに満足したのか、ふよはシャーペンを置いて浮き上がると私の胸元の陣にぺたりと触手を触れた。陣が光り、紫の輝きがふよに流れていく。徐々にふよの笠に私の陣が現れ、完成してしばらくするとふわりと溶けてふよの触手をグラデーション状に彩った。

 目を瞬く私の前でふよは再びシャーペンを取る。


『けいやくした ごはんも こうする』

「わかった。これからよろしくね、ふよ」

『よろしく ごしゅじん』


 ふよが触手を一本差し伸べてきたので、親指と人差し指で軽くつまんで小さな握手を交わす。それからもっと撫でてとばかりに笠を私の手に擦り寄せてきた。すべすべかわいい。

 お望み通りなでなでしつつ、私は椅子の背もたれに体重を預けた。……思うのは、あの男のことで。

 本当に私の予知夢の通りになるのであれば、あの男は明日の夕方に死ぬ。女の妄執によって生まれた呪いのせいで、ものすごく微妙な死に様を迎えることとなる。

 私はそれを知ってしまっている。そして私はそれを回避するための要素を、誰よりも鮮明に手に入れることができる。これで私が動かずに、もし……と途中まで考えて、後味の悪さに反吐が出そうになった。

 結局、『祝福の魔女』の言葉を聞く前からきっと、自分の中に選択肢などなかったのだ。

 締め付けられた胸の痛みは、胃の奥のもやもやとした気持ち悪さに覆われて。ざらついた心がどうにか屁理屈をこねくりまわして、私の中に大義名分を作る。


 誰であろうと、あんな後味の悪い死に方はさせられない。

 私が後味の悪い思いをしたくない、と。

 

 かくして『夢見の魔女』となった私は、あの男を死なせないよう動くことを決めた。他の誰でもない自分の心をすっきりさっぱりした状態で保つために。


 ……それだけの、ために。

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