祝福は不法侵入と共に


「大正解。おめでとう、かわいい新米魔女さん」

「――っ!?」


 くすくす、と密やかな笑い声が聞こえて、私は肩を跳ねさせた。

 窓からの月明かりを受け、ベッドに落ちる一際濃い影。緊張に軋む首を動かし恐る恐るベッドの横を見てみれば、美しい女性が悪戯っぽくも妖艶な笑みを見せていた。

 太股の辺りにまで伸びる艶やかな黒髪と漆黒のドレスの境界線が融け合い、上品に肩を出した肌の白さが対比で際立つ。目元の泣き黒子と、モノトーンの中に一匙加えられた唇の赤がひどく印象に残るひとだった。

 平時であればその美貌に感嘆もしたろう。だが今は違う。部屋の窓も玄関も、ちゃんと閉まっていたはずだ。ドアが開いた音もなかった。ガラスが割れる音もなかった。どうして。このひとは誰。怯えて壁際に後ずさる私を見て、彼女は困ったように眉を下げた。


「ごめんなさい、勝手に入ってきて。怪しいだろうけれどどうか怖がらないで。私はあなたに一切の危害も加えないし、あなたの家族にも関わらない。……私はこういう者よ」


 ベッドに置かれたのは名刺で、シンプルな白地に黒で『国際魔女連盟日本支部局長 祝福の魔女 菊川きくかわりんな』と書いてあった。……一体なんなんだこのファンタジックなくせに変に現実的な肩書きは。


「……ま、じょ……?」

「にわかには信じられないとは思うけど、事実存在するのよ。ほら、考えてみて。ごく普通の人間が施錠バッチリ窓は二重の防弾ガラスでおまけに何かあれば速攻で警備会社とコンシェルジュが駆けつけるセキュリティ万全の家に音もなく侵入できると思う?」


 背を壁にぴったりとくっつけて彼女と最大限の距離をとる私は、黙って小さく首を横に振った。海外で仕事が多く長期家を空けることの多い両親が付けた最大限のセキュリティは、かつて友人に「最早逆アルカトラズだよね」と引かれたほどの代物だ。

 ではその魔女とやらが私に何の用なのだ。まだ普通の泥棒の方が対処できたかもしれないと思いながら涙目で震える私に、『祝福の魔女』は困り眉のまま微笑んで手を伸ばした。体を強張らせた私の頭に纎手が乗り、宵闇の色をした髪をそっとくしけずる。

 幼子をあやすような手つきだった。怖がらないでと撫でる手に、不思議と少しだけ警戒が薄れた。

 ゆっくりと、『祝福の魔女』を見上げる。淑やかな大人の笑みを浮かべる彼女の瞳に、言葉通り私を害そうという意思は感じられない。とはいえ彼女が立派な不法侵入者兼不審者であることには間違いないので。


「……どうして、あなたはここに」

「そうね、何と言いましょうか……呪われし紺碧の騎士を救うべく生まれた蝶を、祝福しに来たというところかしら」


 ついさっき見た文言とほとんど同じことを言った『祝福の魔女』は、目を丸くする私の胸元にとんと指を当てた。


「あなた、お名前は?」

「……し、……づ……」

「そう、紫都ちゃん。いい名前ね」


 胸元に触れる『祝福の魔女』の五指に黄金の光が灯る。手の中の懐中時計が共鳴するように光って、絹のような光沢をした薄紫の翅を持つ蝶が舞い出た。ひらひらと軽やかに飛ぶ蝶は『祝福の魔女』の手の甲に留まると、姿を霧散させて彼女の滑らかな肌に模様を刻む。複雑な幾何学模様を伴った円の中に三日月と蝶の意匠が組み合わされたそれは――もしかして、魔方陣というやつか。

 触れられている胸元が急激に熱を持つ。陣が輝き目が眩んだ。


「――翅を震わせ現を覗く、紫の蝶は夢にこそあれ。呪詛の枝葉を手折りて紺碧の騎士を導くそなたを、我今ここに祝福せん。その名は紫都――生まれしは『夢見の魔女』」


 彼女が私の名を呟いた瞬間視界が光に覆い尽くされ、私は強く目を瞑った。熱そのものが激しく流れていくような、かつて味わったことのない感覚が胸元から広がっていく。

ようやく目を開けることができたのは、握りしめていた懐中時計が体温ですっかりぬるくなった頃だった。

 強い光を浴びたせいで目がチカチカする。じんわりと残る熱の残滓に胸元を押さえるも、これといって変化はない。何が起こったのだろうかと思いながらもひとまず詰めていた息を吐くと、『祝福の魔女』は緩く笑んでまた私の頭を撫でた。


「ごめんなさい、勝手に儀式を進めて。早ければ早いほど強い魔力を保持できるから、あまり時間が経つといけなかったの」

「ぎ、しき……? 私、今何を、」

「私が今あなたに施したのは、刻印の儀というの。魔女はそれぞれ己の陣を持っているのだけれど、私が……『祝福の魔女』がそれを引き出して体に刻まないとせっかく目覚めた力がうまく定着せずに衰えていってしまう。だからこれだけは色々説明する前にどうしても済ませておきたかったのよ」

「……じゃあ、さっきの魔方陣みたいなのって……」

「ええ、あなたの陣よ」


 ――おめでとう、かわいい新米魔女さん。彼女が私にかけた初めての言葉が脳裏に蘇る。

 まさか。嘘でしょう。そんなのありえない。そう思うのに、手の中にある懐中時計が重い。


「……受け入れられないかもしれないけど、あなたは……」

「魔女。……に、なったんですか?」


 すがるように見上げると、『祝福の魔女』は真剣な表情で深く頷く。私は信じられない思いで俯いて、月光を反射する懐中時計を見つめた。

 夢の中で握っていた、現にありえないはずのものに触れている。それは紛れもない事実だ。

 現実が拒絶を追い越して、常識を一気に書き換えていく。脈打つ心臓の鼓動は次第に落ち着いていき、脳内の無意味な反駁も消えていった。取り戻しつつある冷静さが私に腹を括らせ、疑問を抱かせる。

 細い息を一つ吐いた私は、手と肩から力を抜いて『祝福の魔女』を見つめた。


「あなたは、さっきの儀式をするためにここに来たんですか?」

「半分はそうね。もう半分は、あなたがどうして『夢見の魔女』になったのかを説明するためよ」

「そう。夢を見ると書いて、夢見。予知夢を見る能力を持つ魔女よ」


 ということは、だ。彼女の言葉を受け入れるなら、私が見たあの男が死ぬ夢は、本当に未来を見たものだということか。あの十人いれば九人はまずツッコミたくなるような死に様は、未来で実際に発生するということか。

 夢に見た光景を思い出して渋い顔をする私は、話が長くなりそうなのでひとまずベッドから降りて部屋の電気を点けた。

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