2.
あの長い長い異世界での旅を終えて、帰ってくればボクに残されたものなど殆ど無かった。
"楠木聡"という人間は、だいぶ昔に失踪宣告を出されて死んだことにされていた。
八尋と共に自分の戸籍を調べる過程で、両親の居場所も判明したけれど、会う気は起きなかった。自分についての記憶は穴だらけで…両親と過ごした時間すら覚えていなかったからだ。言われてみればこんな名前だったかもしれない、そんな程度の人間二匹に親子として接するだけのコミュ力がボクには無い。それに、数十年前に死んだはずの息子が現れて、彼らに変な気遣いを強いたりその時の悲しみを思い出させたりする必要性も感じられなかった。
今は、"一枝聡"という名前を使って生活している。前よりもなよなよしくなった。今にも折れてしまいそうだ。
あの時…ムーンビーストの姿を見たボクは、何を思ったか自分自身に記憶を消す魔法をかけた。青白い光が目の前を覆ってぱちぱち耳元で音がしていたのを覚えている。何故そこまで焦ったのか、理由も曖昧だが、その結果がこれだ。
どこへ行っても異邦人。
見慣れていたはずの日本語の文字列に急にビビったり、かと思えば、居候先の家の主が気合いを入れた和食に変な懐かしさを感じたり。
馴染めるようで馴染めない。
こうであるようで何かが違うのだ。
そうしておかしいなと感じたときに、よくよく考えれば自分は人生の半分を異世界で過ごしていたなと思い出して、"異世界"と言う言葉の定義に苦悩する。
自分って何だ?
随分、虚しいロスをしたな。
最近妙に感傷的な自分の扱いに困っていた。
ひた隠しにして、合理的になろうと藻掻く行為そのものが、感情的であるように思えて仕方がない。
ノートに書き付けた文章をぼんやりと眺める。白紙に黒文字で綴られた、未来の世界で得た知見や経験。思い出す度に後から後から書き足していった為に、順番もバラバラで注釈だらけになったぐちゃぐちゃの記録。
その中でも、あの六人の厄介者たちについての話は…とりわけ詳細だ。
最初は、利用するつもりだった。
次に、殺すしかないと思った。
最後に、仲間だと思えるようになった。
たった一日でここまで揺さぶられるのは初めてだった。強引で面倒で、だけど惹かれる所がある。こんなことは本人たちの前では絶対に言いたくないが、感謝している。
そこそこ、彼らと一緒に居るのが好きだ。
忘れたくない。
その一心で、思いついたことを思いついたまま記憶の限り。
文章は乱雑なのに字だけは綺麗だ、と笑った京子の顔が頭に浮かんだ。それで構わない。この記録は自分だけが読めればいい。でも、これは如何にも雑だから、後で整理して書き直した方が良いかもしれない。不思議とそれも苦ではない、と思える。
こうしてまとめていくうちに、物語の終わりを実感していく。今、自分はここに居る。足元が確かになっていく。
ボクは帰還した。
六人の勇敢な探索者と共に。
長い旅が終わって平穏な日常が始まっても。あの世界での話が忘却の波にさらされても。
これを時々見返して、いつか不思議に思えるのなら…それだけで十分だと思う。
あぁ、因みに絶対ノートは分かりやすい所に置いて間違っても金庫になんか…
「終わらないよ」
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