* 3 *

 そして、ついに。


「おはよう。泉貴」

「おはよう。ごめん、やっぱり仕事入ったわ」

「そっか。わかった、いってらっしゃい」

「いってきます」


 扉の閉まる音が響いた。


 泉貴。正直に言ってよ……。仕事じゃないって。

 隠さないで、正直に話してよ……。



 今日は、千尋も仕事で莉緒ちゃんも仕事。なんだか、一気に寂しくなった。

 誰とも会う約束がなくてどこにも出かける予定もなくて。でも、なんだか寂しいから一人でショッピングでも気晴らしをしようと、外に出かけた。

 土曜日だからっていうのもあって、家族連れが多い。カップルもちらほら。

 懐かしく感じるな。


 ショッピングに選んだデパートは、よく泉貴とデートで来ていたところ。

 本当なら、ここにきておいしいご飯でも食べていたのかな。それとも、泉貴のことだからこんなところじゃなくて、サプライズっていってすごいところに連れて行ってくれたのかな?

 なんだろう。気晴らしに来たのに、泉貴のことを思い出して寂しくなった。こんなことで思い出に浸るために来たわけじゃないのに。


 とりあえず、可愛い服を買っていこうと思ってアパレルの店に入った。

 店内でゆっくり見て、良いのが見つかったら買おう。

 物色しているとき、明らかに私より年下かなっていう若い男性がやってきて、店員さんに何かを聞いているようだ。


「結婚記念日ですか?」

「はい。今日で、三年目で。妻のお腹の中に新しい命が」

「おー、おめでとうございます!」


 結婚して三年。しかも、お子さんまで。めでたいね、いいね。

 それに比べて私は……。一気に寂しさがこみあげてきて、結局何も買わずにお店を出た。

 買い物する予定がないのに大きなショッピングモールに来て、やっぱりなんか買おうを思って寄った洋服屋にきた他のお客さんが羨ましすぎて、結果、何も買わずに出てきて。なんか、とても遠い散歩に来たみたいだ。



 そんな時、神様があるいたずらをする。

 横断歩道を渡るのに、信号待ちをしていた。その時、


「泉貴……?」


 向かい側の歩道に、泉貴と知らない女性が……。腕組みをしてとても楽しそうに話している。女性はすごく笑顔で、泉貴もそれにこたえるかのように笑顔で話している。あんな笑顔、私の前でしてくれないのに……。

 信号が青になった瞬間、訳わからなくなっていろんな感情が入り混じって全力で走った。どこに向かっているのか分からないけど、とにかく走った。きっと、どうしようもない衝動に駆られたのだろう。


 走り続けて着いた場所は……。家だ。私と泉貴の、家だ。

 無気力のまま、玄関のドアを開けてリビングのソファーに横たわった。やっぱり、そういうことだったんだ。

 泉貴……。今、泉貴に対する失望感がすごい。その瞬間、この間莉緒ちゃんに言われた言葉を思い出した。

 『信じてもいいけど、裏切られた時の失望感。

どうしようもないくらい辛いよ。悲しいよ』

 今、その状況だ。苦しい。どうしようもなく息苦しい……。



 ここ、どこ? まわり、真っ暗で何も見えない。

「萌」

 泉貴? 暗闇の中、泉貴の声が聞こえる。私の名前を呼ぶ声だ。

「泉貴! どこなの?」

「萌、ごめんな」

 泉貴! お願い、どこにいるの? 真っ暗の中、右も左もわからずに彷徨う私。

「ねえ、お願い! 泉貴、いるんでしょ?」

 泉貴の声はするのに、どこにいるのかがわからない。どこにいるのか教えてくれない。

「ごめん、萌。俺には、君を幸せにすることなんて出来なかったんだ……」

「どういうこと?」

 突然、泉貴が出てきた。

「泉貴!」

 姿が見えたから駆け寄ったのに、止められた。

「萌の新しい幸せを願うよ」

 そう言って、泉貴は背中を向かせて歩き出した。

「泉貴、待って! お願い、行かないで。一人にしないで!」

 泉貴は、私の声なんてお構いなしに歩くのをやめない。やだ、行かないで……。

 私、泉貴じゃないと駄目なのに。こんなにも好きなのに……。

「泉貴ーー!」



「泉貴!」


 あれ、ここって。私は今どこにいるの? 見渡すと、見たことあるテレビ、食器の数々、壁にコルクボード。そこには、泉貴と撮った写真がたくさん貼ってある。

 あ、そっか。ここ、私たちの家だ。時計を見ると、夕方の6時半。いつの間に、寝ていたんだ。それにしても、さっきの夢……。なにもない真っ暗な世界で、泉貴の声がすごく響いていて。


 夢を思い出そうとしたら自然と泣けてくる。それほど泉貴のことが大好きなんだ。

 なんか、ご飯を作る気もなくてボーっとしていた。今頃、あの人と……。もう、それしか考えられないや……。時間は刻々と進んでいき、記念日の終わりを告げようとしている。ていうか、もう終わりでいいよ。早く、今日終わってよ。なんなら、私たちの針も止めようか。


 夜23時。あと一時間で終わろうというとき。


「ただいま」


 帰ってきた。でも、帰ってこなくてよかったのにって思う自分もいて。お帰りの言葉を言えなかった。


「萌?」


 ソファーに座って無気力な顔をしている私を見て、心配そうにしている泉貴。


「泉貴。今日、何の日なのか覚えてる?」

「萌と付き合い始めて、一年だろ?」


 なんだ。知らない女といても覚えてるんだ……。


「じゃあさ……。なんで、私と一緒にいてくれなかったの?」

「それは、仕事って」

「仕事なんて嘘じゃん!」


 私は、泉貴の発言に被せてものを言った。


「私、見ちゃったんだけどさ。今日、私が知らない人と会ってたんでしょ?」

「あの人は、友達だよ」

「嘘つかないで!」


 我慢が爆発しそう……。私は、自分の想いをぶつけた。気づけば、言いたくないようなことまで言っていた。泉貴は、初めて見る私に困惑している。今まで喧嘩してこなかったんだから、困惑するのは当たり前だろう。


 泉貴も私に当たってくる。仕事が忙しいだの、構ってあげたいのに私がわがまますぎるだの。


「もういいよ」


 疲れた。これ以上言い争うなんて、時間の無駄。

 私は小物入れから、あるものを取り出した。


「萌、それって」


 私が取り出したのは、一ヶ月記念の時にくれたクローバーのペンダント。


「これくれたとき、約束したよね? どんなに忙しくても連絡は取り合うこと、隠し事をしないこと、嘘をつかないこと。最後に、お互いに全力で愛し合うことだって……」


 私は、涙ながらに訴えた。


「そのときにした約束を、ことごとく破った。私はこんなに好きで好きで大好きで。苦しいくらい大好きなのに……。私と泉貴、好きの大きさが違っていたんだよね」

「俺だって、萌のこと大好きだよ。萌のことを一生幸せにするって決めた。

全力で守るって」

「嘘の大好きなんかいらないんだよ……。泉貴、あなたに出会えてよかったよ。泉貴の愛をちゃんと感じられなくてごめんね? 今までありがとう」


 ペンダントをテーブルに置いて、私は家を出た。

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