第53話 終幕への序章

 魔導国の執務室は、まさにこの世の生き地獄と化していた。


 その執務室の現在の主となっていたアルベドは、鬼のような形相で目の前に置かれている決済の書類に自らの苛立ちをぶつける様に魔導王代行の印をその剛腕の力で押していく。

 

―ドォォン!! ドォォン!!


 というあり得ない音を立てながら…


 その光景をただ見守り続けないといけない者達にとっては、それは苦行の試練であった。


 アルベドは、その者達のドン引きした視線を物ともせず、自らの苛立ちをその決済の書類にぶつけていた。

 

 アルベドがこんなにも苛立っている原因は、先程受けたアインズからのメッセージの内容にあった。


「―アルベドよ。昨晩はご苦労であった。それで昨晩の事だが…

 内密に…いや、昨晩の事は、すべてお前の記憶の中から抹消するのだ。

 お前は、昨晩、何も見聞きしていないし、誰とも会っていない…そう言う事でいいな!?」


 そのアインズのメッセージを受けたアルベドは、正直、昨晩行われた試験において、主人が自らをどのように審査されたのかを聞きたかった。


「畏まりました、アインズ様。このアルベド、アインズ様のご命令に従わせて頂きす。」

 

 しかし、アルベドは己の思いを封印してアインズのメッセージにそう答えた。


 従属者として、模範的ともいえる従順な応対をしたアルベドであったが、その内心では苛立っていた。


 それは、アインズ―モモンガに向けた苛立ちではない。

 

 それは、昨晩、モモンガが己に課した試験の際、自分は失態を犯してしまったのではないか?


 という不安から来るものであった。


 (アインズ様は、どうしてこうも解りやすい試験を行われたのかしら…

 パンドラズ・アクターの毒による戦線離脱…

 未知の敵勢力の刺客が魔法コスプレで登場…

 そして、その刺客がアインズ様の御子になりたいと懇願…

 しかも、その刺客が自らがナザリックを創造したという妄言を発する…

 といった難易度の高い試験だったわ…)


 シンプルにこれらのすべての事象を考えた場合。


 パンドラズ・アクターがとてつもないバカで未知の毒物を摂取してしまった。


 さらにそれに負けない程のとてつもないバカがどこぞのバカのアドバイスで魔法少女コスプレで登場した。


 そして、その頭のネジがあさっての方向に飛んでいったバカが身分知らずな発言をした。


 さらには、その壊滅的な思考をしたバカが『ナザリック』を別の何かと勘違いしてさらに頓珍漢な事を言った。


 ―といった所であろうか…


 「・・・・・・・・・・。」


 (そんな事、有り得るかーーーーーーーーーーー!!!!)


 アルベドは、心の中で絶叫、というかツッコミを入れた。


 (そうだわ。そんなあり得ない事ばかりの状況でモモンガ様は私に試験を行ったんだわ。

  逆に言えば、『私がこんなわかりやすい試験を行った理由は、お前ならわかるだろう?』

―という意味が込められていた事は明白…。)


 アルベドがそう思考した時、執務室の机の上で鬼気迫る表情で決済の書類に判を押していたアルベドの動きが止まる。

 動作を止めたアルベドを見て、本日のアインズ当番のシクススやその横で腐ったミカン色をしたエルダーリッチ達は表情を僅かに緩ませ、胸を撫でおろした。

 

 しかし、一呼吸の後、アルベドは先程以上に鬼気迫る表情で、餌を前にした猛獣のような勢いで目の前の書類に判を押していく。

 その光景に先程表情を緩ませた面々は先程以上に毒々しい表情を浮かべるのであった。


 (‥‥。‥‥モモンガ様にどう思われようとも、部隊の編成をやめる訳にはいかないわ…。)


 アルベドは、モモンガに『至高の御方殲滅部隊』の存在を察知されていても、その部隊の編成を止める訳にはいかないと心に決めていた。


 (他の至高の御方が現れた場合、ナザリックが内部分裂する恐れがあるわ。

  いえ、それよりも最も危惧しなければいけない事は、他の至高の御方が現れた場合、その者がモモンガ様を連れてナザリックを去ってしまう事だわ…)

 

 それは、アルベド、いや、ナザリック全てのモノにとって『絶望』という言葉ですら生温い、まさに世界の終わり…終焉と呼ぶべき状況であろう。


 (その最悪の状況を回避する為には、今行っている部隊の編成は完遂しなければならないわ!!!)


 アルベドは重々承知していた。

 自らを、そしてこのナザリックを創造した御方達がモモンガさえも凌ぐ猛者の集まりである事を。

 

 (モモンガ様の叡智に及ばないとしてもその力は絶大なものよ…

  今、部隊の編成を停止すれば、間違いなく奴等と対峙した時、こちらが詰むわ…)  


 しかし、そうした計略がモモンガに気取られていたと思うとアルベドは更に苛立った。


 己に―


 アルベドが、モモンガの為に行おうとしている事ではあるが、その事がその対象にバレた場合、それが原因でモモンガに見放される可能性がある―

 いや、それ以上にそれが原因でモモンガがこのナザリックを去ってしまう可能性があるのだ。


 そんなジレンマがアルベドを苛立たせていた。


(でも、モモンガ様の為になるならば、私はどんな事になっても厭わないわ。


 …。でも、その事でモモンガ様に嫌われたら、私は生きていけないわ…)


 その苛立ちを紛らわすの様に、アルベドは目の前の書類にその想いの丈をぶつけていた。



 そんな時であった。


 ―トン!トン!


 執務室のドアをノックする音が小さく響く。


 その音を聞いたアルベドは動きを止めた。


 その事にホッとしたシクススは、慌てて執務室のドアを少し開くとその訪問者の応対をする。


 「ア、アルベド様!デ、デミウルゴス様が面会したいとの事です!」


 訪問者の応対をしたシクススは、恐る恐るアルベドに向かって大声を張り上げる。


 「……。いいわ。入れてちょうだい…」


 冷ややかな視線をシクススに向けて、アルベドはそう言った。


 そのアルベドの言葉を受けて、シクススは震えながら執務室のドアを開く。


 その開かれたドアの奥から、デミウルゴスは執務室の中央、アルベドの机から五メートル程の所まで機嫌がいいのか口元を緩ませながらゆっくりと歩み寄る。


 「すまないね。急に押しかけてしまって。」


 デミウルゴスは、部屋の中央まで来ると軽く一礼をしてアルベドに向かって謝罪する。


 「そんな事どうでもいいわ。

  それよりも、貴方は今、アインズ様のご計画に関わっている筈よね?

  どうして今、ここにいるの?このアインズ様のご計画が完遂するまでは、ここには戻ってこない筈じゃなかったかしら…」


 「そうですね…。私もそのつもりでした。

  しかし、パンドラズ・アクターが戦線離脱した―と聞いたので戻ってきました。ところで彼はどうしたのです?第九階層の医務室にいると聞いたので、寄ってきたのですがいませんでした。」


 「パンドラズ・アクターについては、金輪際、階層守護者は関与するなというアインズ様のご命令が下っているわ…。」


 アルベドは、自らの苛立ちを抑え込むかのように発言した。


 「アルベド。何かあったのですか?少し感情的になっているように見受けられますが?」


 「‥‥。そういう貴方の方こそおかしいのではなくて?パンドラズ・アクターが戦線離脱したから、見舞いのためにナザリックに帰還してきた―なんて…まさか貴方は言わないわよね?」


 「いえいえ、パンドラズ・アクターが戦線離脱したから、私はナザリックに戻って来た…という事に間違いはありません。」


 「‥‥。わかったわ…。そういう事なの…。」


 アルベドとデミウルゴス内での意思疎通がなされた会話の中、その会話を聞いていた他の者たちは頭の中で巨大な?マークが浮かんでいたであろう。


 そんな中、デミウルゴスはその会話の意味が理解できていない者達に向けて、解説するように口を開く。


 「パンドラズ・アクターの戦線離脱…。それがどういう経緯で起こった事であるか…に関しては、興味深い所ですが、そんな事よりも肝心なのは、私が現在率いている仮想対ナザリック軍の相手がパンドラズ・アクターが扮しているモモンではなく、アインズ様が扮しているモモンになった…という事です。」


 デミウルゴスは、自らの想いを爆発させるように叫ぶ。


 「アインズ様より、私の全てをアインズ様にぶつける機会を頂けたのです!!!

ならば、私の全ての力をもってお応えしなければならない!!…という事ですよ…」


 そんな光景を口を引きつらせながら見入っていたシクススは、デミウルゴスの背中に蠢く複数の漆黒の触手に気付き、目を見開く。


 「心配しないでください。彼は私のとっておきの配下です。」


 シクススの反応にいち早く気づいたデミウルゴスが安心させるような優しい言い回しで言葉を発した。


 「デミウルゴス。『アレ』を使うというの?

  アインズ様がお許しになるとは思えないのだけど…」


 アルベドは、殺気の籠った細目でデミウルゴスを見据える。


 「アルベド。心配には及ばないよ。アインズ様よりすでに許可は頂いているからね。」


 デミウルゴスのその言葉を受け、アルベドの殺気は解除される。


 「そう。それならなにも問題はないわ。でも、『アレ』が使える状況になるとは到底思えないのだけど…」


 アルベドは、デミウルゴスに向けて残念そうな視線を投げかける。


 「フフフ…。アルベドは魔導国に籠っていたら、知らないのも無理はないね。」


 「それはどういう…。!!!。デミウルゴス。まさか『アレ』が使えるような者がこの世界に存在しているという事なの⁉」


 「アルベド。君が驚くのも当然の事だよ。実際、その存在を知った時、私も今の君以上に驚いたからね…。

  しかもその者は、つい最近までは只のガラクタ…。いや、誰も見向きもしないような廃品だったからね‥‥。」


  デミウルゴスは、そう語りながら自らの主の慧眼の凄まじさに感歎していた。

  そして、デミウルゴスは、強く想う。  


 (アインズ様。このデミウルゴス。私の持てる全てのモノを以て、アインズ様をご満足させて魅せましょう!!)


  デミウルゴスは、自らの宝石の眼を見開いた。



 

 





 





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