第7話 砕いて言うと何かが起きた?

 メトレアが回復するまで、結局は2時間を要した。おかげでもう昼過ぎだが、これから昼飯も食う暇なく図書館へと向かう。

 それにしても、痺れ薬に後遺症の類がなさそうでよかったよ。実際のところは検査しないと分からないらしいけどな。

「すっかり治ったわよ」

 と、本人が言ってんだからいいんじゃね?

 メトレアはずかずかと大股で歩いていく。だから、その歩き方だと脚が見えるって。


「ここが図書館か。結構立派な建物だな。道中が獣道じゃなければ、の話だが」

 街はずれどころか、ほとんど人里離れた山の中と形容してよさげなところに、その図書館はあった。現実世界ならあり得ないが、この世界なら普通なんだそうな。

「じゃ、あとはよろしくね」

「ああ、そういえば人見知りだったな。ちょいちょい忘れるけど」

 仕方ないな。メトレアを後ろに連れて、俺一人で荷物を届けてくるか。せめて同行はしてもらうぞ。喋らなくてもいいから。

(これ、元の町に戻るころには夜になっているよな。一日がかりで25プサイとか、安すぎ)

 想定外とはいえ、本当に営業赤字みたいになってしまった。



 ドアを開けて、カウンターに向かう。ここが図書館である以上、大声を上げるのは気が進まないからな。

「すみません。ここにアセラさんって人はいますか?」

 手近な司書に聞く。

「あ、えっと、アセラは私です……何か御用ですか?」

 その司書の女性は、おずおずと答えた。

 適当に伸ばし放題伸ばしたみたいな黒髪に、驚くほど真ん丸の眼鏡。前髪が顔にかぶっているのが鬱陶しい。

 真っ黒なワンピースに、白い丸襟。司書と言うよりはシスターのようでもあり、喪服のようでもある格好だな。

「えっと、これを……ハイテンの町にあるアルヴィンさんから預かったんですが……」

 依頼主の名前を言うと、アセラさんは前髪を両手でかきあげた。

 ちなみに今気づいたんだが、その眼鏡は片眼鏡モノクルだったんだな。左目だけしか見えてなかったから気づかなかった。


「あ……」

 荷物を覗き込もうとしたアセラさんは、顔を下に向けた際にモノクルを落としてしまう。

「ああ、大丈夫ですか?」

「は、はい」

 俺が拾ってやろうと思った時、アセラさんとぶつかった。

 そのまま、もつれるように倒れる。どうやら二人して拾おうとした結果らしい。

「おっとと!」

「きゃんっ!」

 結果、俺がアセラさんの下敷きになる。せめてモノクルを踏み潰さないようにと、俺は手を床について耐えた。

 背中に、暖かくて柔らかな感触が広がる。

 そう。広がるのだ。むにゅっと。いや、むにゅううっと。

 で、け、え!つーか、アセラさん、薄着過ぎませんか?どう味わっても布一枚越しで、突起の場所まで伝わってくる感触なんですけど。下着は?

「わっ、わわわ、す、すみません。すみません」

「い、いや、こちらこそ。あ、これ、眼鏡です」


 お互いに体勢を立て直して、眼鏡を渡す。アセラさんは再び眼鏡をかけて、荷物を見た。

「ああ、これ、私のお薬です。ありがとうございます」

「いや、仕事をしただけですよ」

 むしろ、こちらこそ貴重な体験をありがとうございます。そこまでの大きさは珍しいです。メトレアを越えたな。ってね。



「ところで、どこか病気なんですか?」

 俺が聞くと、アセラさんは首を傾げた。

「いえ……どうして?」

「いや、中身は薬だと伺っていましたので」

 詮索していいものかどうかわからないが、つい聞いてしまった。

「いえ、私はいたって健康です。このお薬は、病気を治すものではないのです」

「え?じゃあ何ですか?」

「えっと、恥ずかしながら、気持ちよくなる薬……です」

「なんとっ!」

 そんな同人誌でしか聞かない薬が実在するのか。魔法やドラゴン以上の驚きだ。と思っていたら、

「つまり、違法薬物ね。麻薬ともいうわ」

 ずっと俺の後ろにいたメトレアが、こっそりと耳打ちで教えてくれた。

 ああ、そっちか。確かに気持ちよくなる薬だ。


「え、えっと、その……」

 アセラさんは俺の耳元に顔を近づけると、ひそひそと話す。

「誰にも言わないでくださいね。その……憲兵さんに串刺しにされちゃうので」

 そう言って耳元から離れた彼女は、恥ずかしそうに体をくねらせた。リアクションと雰囲気はベストだが、会話の内容が間違っている気がする。

「つーか、そういうのは職場じゃなくて自宅に届けてもらった方がいいのでは?」

 と俺が聞くと、アセラさんはにこやかに言った。

「いや、ここが私の家でもあるんですが……」

 なるほど。図書館にダイレクトに住んでいるのか。

「うふふっ。それじゃあ私は、すぐに吸ってきます。待ち遠しかったんですよ。昨日なんか一睡もできないくらいに」

 可憐な花のような笑顔を向けるアセラさん。もう第一印象から二転三転している。この短時間で。

「あ、もしよろしければ、お二人も一緒に吸いますか?」

「いや、遠慮しておく。頭がやばい感じになりたくはないし、依存症とかフラッシュバックとかあったら嫌だからな」

「そうですか……まあ、たしかに頭は壊れますし、私も吸い始めてから友人や恋人が離れていくばかりなので、無理におすすめはしませんよ」

 解っているなら使うなよ……

「それでは、私は奥で吸ってきます。あ、報酬は向こうから貰っているのですよね。いつでもお帰りになられて結構ですよ」

「ああ、そうする」

 長居は無用だ。帰ろう。




 踵を返して、図書館を去る。ドアを閉めて、この獣道を戻るのかと辟易していると……


 ドォン!


 図書館の中から、大きな爆発音が聞こえた。

「なんだ?」

「さあ?でも、ただ事じゃないわよ」

 さっき出てきたばかりでアレだが、再び図書館に戻るぞ。




 あたりには黒い煙が立ち込めていた。まるでボヤでもあったかのような光景だ。

 煙は、奥の部屋から流れてくる。たしかアセラさんが入っていったドアだ。

「アセラさん、無事ですか?」

 入ってみると、何かに躓いた。

「こ、これって……」

「嘘……なんで……?」

 こういう時、モノクルが床に落ちていたら、きっとまだマシだっただろう。

 落ちていたのは、モノクルじゃない方だった。

 さっきまで笑ったり、恥ずかしがったりしていた顔が、今は俺の手の中で明後日の方を見ている。目を見開いたまま、口を開けたまま。

 せめて目は閉じてやることにした。口は……閉じられない。

 下あごが見当たらないからだ。いや、顎から下が全部見当たらない。

 多分、周囲を探せば細かい部品に分かれた身体が見つかると思うのだが、当然探す気はしなかった。

「アセラさん!……」

 俺は、生首の上半分くらいだけのアセラさんを抱えて、立ち尽くすことしか出来なかった。

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