1−2

「着きましたよ、アリーシア様」

 御者が声をかけてくれたので、アリーシアは一瞬の眠りから目覚めた。

 馬車はすでに止まっており、扉は大きく開かれていた。骸骨の御者が乗ったときと同じように細く白い手を差し出している。

 青年は、と馬車内を振り返ったがもういない。

「あの、一緒におられた方は……」

 ドレスの裾をあげ、そろそろと下りながらアリーシアは御者に訊ねた。御者は首を傾げて、意味がわからないという仕草をした。

「さあ、私は誰かが乗っていたことさえ存じませんが」

「そんな……」

 では、あれは幻だというのだろうか。

 もし、実在する青年だとしても、あの会話が最後だというのだろうか。青年はもう会えないと言っていたではないか。アリーシアの胸になぜだか切ない気持ちがこみ上げた。あの温かい炎をもう見れないのだろうか。

「そんなことより。さあ、アンカーディア様がお待ちです」

 御者はアリーシアを促す。

「なんて、凄いお城なの……!」

 アリーシアは息を飲んだ。

 馬車を降り立ち、見上げた城はどこまでも黒い城だった。

 森に囲まれた大きな黒い屋敷。その後ろには大きな塔が3つ立ち並び、城全体を囲むように高く大きな塀が築かれている。城を取り巻く堀は川のように広く深く、侵入者を阻んでいるようだった。

 ステンドグラスの窓さえ黒で、入り口の大きな扉も漆黒に磨かれたオークだった。

「さあ」

 御者が幼いアリーシアの背中を押す。

 扉は、そっと触れるだけで内側へ開かれた。

(なんて素敵……)

 足を踏み出したホールは外からはわからないほどに、光と温かさに満ちていた。

 鏡のようにい磨かれた黒い大理石の床。室内の調度品も全て黒だったが、数多く飾られたランプや蝋燭の明かりで美しく優しい色合いに光っている。そこに、カーテンやレースの真紅が色鮮やかに浮かび上がる。

 黒と赤で彩られた不思議な城だった。

 ここまで美しい城をアリーシアは見たことがなかった。

「お久しゅうございます、アリーシア姫」

 そこに、声がかかった。

 ホールの真ん中の階段から、長身の男が下りてくる。

 父王よりはずいぶん若く、先程の青年よりは年上に見えた。

 緩やかに波打つ銀髪を背に垂らし、顔には薄い縁無しの片眼鏡。青年はそのスラリとした肢体に漆黒の衣装とローブを纏っていた。

 その顔は、男性ながら女性と見紛うほどに美しかった。

(何て美しい方なの……)

「アリーシア姫……?」

 アリーシアははっとして身を伏せ、お辞儀をした。

「アンカーディア様……でいらっしゃいますね……」

 ご挨拶を、と言いかけたアリーシアの声が震えた。

 人間が持つオーラとは違うと、幼いながら分かっていた。今ここで無礼があれば、自分など一瞬で消し飛んでしまうことも。

 彼はやはりあの八賢者の一人なのだ。この旧アルゴン国を一瞬で荒野に変えたあの魔術師。

 アリーシアは震えた。

 怖いと思ったが、後から考えればただの怖さでなく畏怖だった。

 男、アンカーディアはふっと笑った。

「そう、固くならなくても良い。……わが将来の花嫁よ」

 近寄ってきたアンカーディアが顔を上げるようにとアリーシアの肩に触れる。

 ビクッと怯えてしまったアリーシアは顔を赤くした。

 自分では物怖じしない性格だと思っていた。けれど、今はアンカーディアを前にしてこんなにも震えている。

 アンカーディアが不意に笑った。

「そんなに怖がらないでいただきたい」

 ふわりと、何の抵抗もなくアリーシアの体はアンカーディアによって持ち上げられた。

 アリーシアが思わずアンカーディアの肩に縋り付くと、片腕で持ち上げられているのがわかった。こんなにも軽々と……とアリーシアは思ったが、魔法の力かもしれなかった。

 すぐ横に、アンカーディアの美しい横顔があった。その顔が優しく微笑んでいる。

 アンカーディアは首を傾げた。

「呪いを無視しても良いのにあなたはここに来た。その勇気を讃えて、私は精一杯あなたをもてなしましょう。許嫁殿」

 メガネの奥の美しい瞳は、アリーシアと同じエメラルドグリーンだった。

 それに気づいたアンカーディアが顔を近づけてくる。額同士がそっと触れ合った。

「おや、瞳の色はお揃いですね」

「アンカーディア様……」

 目の前の男が、国を滅ぼした極悪人。将来、アリーシアの結婚相手になる男。

 自分に無残な死を宣告した男だとはどうしても思えなかった。

 アリーシアは考えた。この場に一番ふさわしい言葉を。

「では……貴方様にふさわしい女性になれるよう頑張ります。未来の旦那様」

 怯えながらも、考えて考えて答えたアリーシアに、アンカーディアは声を出して朗らかに笑った。

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