第2話 取材 その2 山小屋
外にいた者たちはたまらず小屋に駆け込み、ドアを閉めた。
「なんだこの急変はあ!?」
と、地元の登山家が一番驚いていた。
「モッちゃん」
等々力は茂田カメラマンをそう呼ぶ。
「カメラ、回しとけよ」
言われるまでもない。茂田カメラマンは勘を頼りに小屋内部の様子を撮し続けていた。男が四人、白い息を吐きながら、時たまガサガサジャケットの腕をさすり上げるだけで、じっと固定した姿勢のまま、緊張した面持ちで目だけギョロギョロ動かしている。ファインダーに切り取られた画はさながら映画のワンシーンのようだ。
しばらく待ったが何も変化はない。
「外の画が欲しい」
茂田カメラマンは柳井に三脚を出させてカメラを据え、別のハンディーを受け取ると窓から外を撮した。窓ガラスを拭ってもすぐに真っ白にくもる。二人がかりでドアを押さえながらかんぬきを外し、ドアノブをひねった。途端にドンと圧力がぶつかってきて戸を押さえる二人はうっと足を踏ん張った。細い隙間から狂った気流が甲高い声を上げてなだれ込んでくる。一瞬引き戻されたと思ったら十倍する力でぶつかってきて、二人は堪らず跳ね飛ばされ、ドアが全開した。茂田カメラマンはハンディーを構えたが、腕が踊り、よろけてすっ転びそうになり、片手を付きながらしゃがみ込んだ。
「モッちゃん、駄目だ!、小屋が保たん!」
なだれ込み暴れ回る風に天井がバキバキバキッと恐ろしい音をさせている。等々力の指示で茂田以外の四人で必死にドアに取り付き、大騒ぎしながらなんとか力業で閉め、かんぬきを掛けた。全員雪をかぶって真っ白になり、室内もまるで旧式の冷凍庫のように至る所に白いまだら模様が描かれていた。
閉め切り、湿気のこもった狭い空間が、真っ白い吹雪の中に孤立している。ゴオオオと小屋を揺すぶる低い唸り声の中に時折ヒイイイン……と女の悲鳴にも似た風のねじれこすれる音が聞こえた。
一時間経ち、二時間経ち、まだ午後の早い時間だというのに夕刻の暗さがずっと続いている。窓枠にたまっていく雪の向こうに外の荒れ狂う吹雪の様子が見えた。さっきまではくもっていて見えなかった。それだけ小屋内部、五人の体温が下がってしまったということだ。
五人が五人とも耐えきれない寒さに震えていた。突っ立っていたのが、茂田カメラマンを除いた四人は中央に背中をくっつけてしゃがみ込んでいる。茂田カメラマンだけは隅に三脚のカメラと共に陣取り、特に窓に注意しながら小屋の様子を撮り続けていた。
等々力が歯をカチカチ言わせながら言った。
「こ、こりゃたまらんな。こ、こんな状態で三日も閉じ込められたら、そ、そりゃ、ははは、裸で暖め合おうって気にもなるな」
「いいいいい、」
と下っ端ADの
「いやですよ、しゃしゃしゃ社長と抱き合うなんて、ととと凍死したって、おおお男のプライドがゆゆゆ許しません!」
「ば、馬鹿言ってんじゃないよ」
地元の登山家が唇をこわばらせながら言った。
「こ、このまままた三日も吹雪が続けば、ほ、本当に、し、死ぬぞ!」
「いったい、い、今何度くらいなんだ?」
登山家がジャケットの袖をめくり手袋を押し下げ多機能デジタルウォッチで温度を見た。
「マイナス八度! ば、馬鹿な、ここは北海道じゃねえぞ!」
「山の上でも珍しいんですか?」
「山頂ならまだしも、ここはたかだか四合目だぞ!? しかもこんななだらかな所で、ふつうあり得ん!」
「つ、つまり」
等々力が凍った口をせいぜいニヤつかせて言った。
「こ、こりゃあ、ふつうの自然現象じゃない、超常現象ってことだ!」
へ、へ、へ、と無理やり笑ったが我ながら元気がない。外の吹雪く音はますます激しく、小さな小屋には圧倒的で、皆じいっと押し黙ってしまった。
ブルブル痙攣するように震え続けていた柄田が、か細い声で言った。
「ちきしょー……、しゃちょー、今度温泉ロケ連れてってくださいよー、オレまだ連れてってもらってないんだからー……。いいなあ〜、オレもかわいいリポーターの女の子の入浴姿が……見たい……な…あ………」
「おいこらあー、柄田あー、寝るなあー、寝たらあー死ぬぞお……」
揺さぶる等々力の腕も力なく、自分もどうしようもなくまぶたが重かった。柳井もいつもの無愛想なのか、反応がない。
(おいおい、冗談じゃあ…ねえぞお…………)
等々力の腕がだらんと下がり、意識が飛んだ。
気力でファインダーを見続けていた茂田も意識はもうろうとして、今にも深い眠りの中に消え入りそうにしていた。
「……え? なんだって?……」
誰かが何か言ったように思ったが、四人とももうピクリとも動かず床に座り込み、
「なんだよ、空耳か…………」
茂田の意識も途絶えた。
風が、鳴り響いている。
「おい! あんた、しっかりしろ! 目を開けろ!」
肩をガクガク揺さぶられて茂田はうるさそうに目を開いた。
「おっ、気が付いたか。分かるか? 助かったんだよ! 吹雪が止んだ!」
満面笑み崩れた登山家に肩を叩かれ、反射的に窓を見ると赤い光が滲んでいた。夕焼けだ。次いで慌ててカメラを見た。とっくにテープが切れて止まっている。いったいどこまで撮れているんだろう? 何か写っているのだろうか?…………
「時刻は……」
ドーンと音がしてびっくりした。
「せーの!」
等々力がドアに体当たりしている。
「ドアが凍り付いて開かないんだ。時刻は四時十分。ここは携帯はつながらないんだ。早いところ帰らないとまた捜索騒ぎになっちまう」
言いながらも登山家はほっとした余裕のある表情で等々力を見ている。
「お、おい」
ドアに体当たりを繰り返す等々力を見て、こんな面白い画を、と茂田は一瞬慌てたが、助手の柳井がしっかりハンディで撮影しているのを見て苦笑いした。
「せーの!」
何度目かの体当たりでドアはバキン!と外で音がした。せーのとドアノブを引くと、バリンと固い物の砕ける音がしてドアが開いた。
「いやあよかったよかっ……」
「ほんとあのまま死ぬかと思いまし……た……」
開いた出口を目の前に、全員が再び凍り付いた。
巨大なクリスタルの柱が立っている。いや、上から下りている。
壊さないように避けて表に出た等々力は、振り仰ぎ、思わず
「うおっ」
と声を上げた。
「モッちゃん、モッちゃん!」
来い来いと手招きする。茂田は自分のハンディーを構え、ぐるりと氷の柱を撮しながら表に出た。小屋を撮しながら後ろ向きに等々力の隣まで行き、四メートルほどの距離から小屋の全景を撮した。
つららだ。
つららたちだ。
あの週刊誌で見た写真の実物がここに生えている。
夕焼けをバックに黒い魔物の口が開いている。
感度を合わせたファインダーに魔物の口の詳細が浮かび上がる。
濡れた黒い木壁に、地面まで届きそうな一・五メートルもある極太のつららが十数本、屋根から伸びている。まるで巨大な牙のように。
開いた入り口には巨大な一本と、二本三本、五十センチほどの物が斜めにバラバラの向きで生えている。
雪は七十センチほども積もっているだろうか? 登ってきたときは二十センチもなかったから五時間ほどの間に五十センチも積もったことになる。
ドア枠に白い雪が厚く氷のように固く張り付いている。これでドアがシーリングされて開かなかったのだ。中から熱気が漏れて氷状に固まったのだろうが、何物か、外の者の意志を感じずにはいられない。
他の者も出てきて、
「社長、よくあのドアが開きましたね?」
柄田に感心されて等々力はおうと威張ったが、上の空だった。ちなみに等々力は中背で小太りながらプロレスラーのように筋肉質のエネルギッシュな体をしている。
赤と黒のコントラストに冷たく光る牙。禍々しい妖気が立ちのぼっているようだ。
「おい、急いで下ろう!」
登山家に急かされて四人は小屋を発つ準備にかかった。
冬の夕焼けは急速に暗い夜の空に移り変わっていく。
夜、ホテルで、等々力と茂田はその「声」を聞いた。
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