第2話 取材 その1 事故と昔話


 等々力力(とどろきちから)、四十五歳。映像制作会社「アートリング」社長兼ディレクター兼カメラマン。秘湯ロケやアイドルのイメージビデオを制作したりもするが、ほぼオカルトが専門。根っからの好き者である。中央テレビの「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」は三津木と等々力が二人で作っているようなものだ。

 一月下旬、等々力は精鋭部隊六名(経理担当の奥さんとバイトの娘以外の全員)を引き連れて秋田県柚元ゆもと市に入った。緑豊かな田園都市であり、国道沿いに白く雪化粧した平原が広がっていた。

 降雪量は例年の三分の一にも充たない二十センチ。ただし降ったり止んだり、晴天荒天の差が極端だという。等々力一行が訪れたこの日、空は真っ青に晴れ上がっていた。

 午後に到着すると二隊に分かれた一行は、一隊をホテルの手配と山の状況の把握に当たらせ、等々力率いるもう一隊はふもとのある地域の取材に当たった。

 出発前の下調べで、

 一つの事件を見つけた。


 秋田県柚元市元洲町(ゆもとしもとすちょう)。

 事件の起きた取宇美とうみ山の東端のふもとの集落である。住宅地としては柚元市中心部から南の外れになる。

 三十年前ここで一件の悲惨な事故が起きた。

 日本海から内陸に向かって長い取宇美山の東端のこの地は冬の寒波の影響がもっとも緩やかな地域である。日本海側では三メートルを越す大雪も、こちらは一メートル二十かそこらで済む。

 しかし三十年前のその冬、記録的な大雪に見舞われた。元洲町でも二メートル五十の積雪があった。


 事故の被害者は森行雄(もりゆきお)、中学三年生の十五歳。

 行雄は二月初旬の日曜日、前夜に降り積もった屋根の雪下ろしをやっていた。

 この辺りは一軒当たりの土地が広い。

 雪下ろしを終えた後、行雄はふざけて屋根から雪の積もった庭に仰向けにダイブした。

 新雪のクッションにズボッと人型の穴を開けて落ちたが、行雄がそこから立ち上がることはなかった。

 夜仕事から帰った父親は(母親はいない)最初姿のない行雄がどこか友だちの所でも遊びに行ったのだろうと思い怒っていた。中学三年生ではあったが、行雄は地元の農協に就職が決まっていて受験勉強の必要はなかった。

 行雄は十時を回っても帰ってこなかった。玄関のカギも開けっ放しで、父親はさすがにおかしいと思い、行雄の行動を考えた。朝出かけにまだ布団に潜っている息子に「たまには表の雪かきでもしろ!」と怒鳴った。表の雪はそのままだったが、屋根の雪が無くなっていることに気付いた。

 父親は慌てて家の周りを調べ、庭で雪に潜って冷たくなっている息子を発見した。

 死んでいた。

 即死だっただろう。

 何故なら、

 行雄の胸から木の枝の折れ口が飛び出していたからだ。

 直径五センチもある木の枝が背中から胸に貫通していた。

 そこには何もないはずだった。

 しかし、

 夜中の大風で向かいの家のイチョウの枝がボッキリ折れ、ここまで飛ばされていたのだ。

 更に降り積もった雪に枝は隠され、行雄は気付かず、その真上にダイブしてしまったのだ。


 そういう事件だった。

 雪の下には何があるか分からない。それは雪国の人間の常識だった。この事件は改めてその危険に警鐘を鳴らすこととなった。



 三十年後の現在、等々力たちが訪れてみると新しく建った家の持ち主は縁故のない他人に変わっており、遺族から話を聞くことは出来なかった。まあふざけたオカルト番組の取材ではとても話も聞けまいが。

 等々力はしょせん嫌らしいテレビマンである。しかもオカルト専門の。

 雪の中で胸を串刺しにされて死んだのだ、十分関連づけられるが、更に何か今回の事件につながる面白いネタはないかと近在の者に取材した。

 女のネタだ。

 週刊誌に掲載された写真には女の霊が映り込んでいたのだ。なんでもいいから女に絡んだネタが欲しかった。

 森行雄の周辺の女性というと母親であったが、母親は行雄が小学三年生の時に家を出ている。

 不倫をして男の下へ走ったのだという。

 以来行方は誰も知らない。


「というわけなんだよ」

 夜ホテルに帰ってきてから等々力は三津木に電話した。

「心霊事件の陰に女あり。やっぱり幽霊は色っぽい女の方がいいよなあ」

『その母親を幽霊にしちまうんですか?』

「う〜ん……、やっぱり無理があるかな?」

 電話の向こうで三津木は含み笑いを洩らした。

『リキさん』

 三津木は等々力を力=リキと呼ぶ。

『うかつだなあ。つらら女って知りません?』

「つららおんなア? 知らん。雪女と違うのか?」

『そっちの地元の雪女ですよ』



 秋田県に伝わる話。

 冬、吹雪の夜。ある若者の家に旅の若い女が宿を求めて来る。若者が泊めてやるが、吹雪は一向に止まず、女は家に泊まり続け、そのまま二人は結婚する。

 しかし暖かな春になると、女は突然いなくなってしまう。

 妻がいなくなってしまったので夫はやがて別の女と結婚する。

 しかし冬になると前の女がまたやってくる。女は夫が別の女と結婚しているのを知ると怒って、つららに化身し、男を刺し殺す。



『というのがWikipediaに載ってましたよ?』

「秋田県の話か。そりゃうかつだったな。雪女の話なんてどこもいっしょだと思ってたからな」

『ハハハ。俺もですよ。たまたま、ウィキペディアさまさまです』

「いけるね。バッチリだ。よし、それで行こう!」

『少年の事故死の件も捨てがたいですね』

「やるよ、もちろん! 制作費、奮発してくれよ?」

『紅倉先生がオーケーしてくれましたからね、プロデューサーも嫌とは言いませんよ』

「紅倉ミキちゃんさまさまだな」

 等々力も紅倉との付き合いは三津木に次いで長い。

「明日山小屋に登ってロケハンしてくるよ」

『だいじょうぶですか? 天候は?』

「晴れ、ということだ。こっちの人も崩れることはないだろうと言ってたから、心配ないだろう」

『そうですか。とにかく雪山ですから気を付けて。成果、期待してますよ』




 翌日朝から等々力たちは遭難した四人と同じルートを登った。「秘湯と美女」シリーズで鍛えた足には楽なゆるい道のりだった。

 朝七時に登り始めて十時三十分には現場の山小屋に着いてしまった。

 多少雪が積もっていたがドアは内向きなので問題なく開いた。外向きでは雪が積もったら開けなくなってしまう。中は何もない三メートル四方の板敷きだ。重い登山靴でドカドカ雪を散らしながら上がる。

 メンバーは五人。等々力と茂田しげたカメラマン、カメラ助手兼ADの柳井やない、下っ端ADの柄田つかだ、それと、捜索にも加わっていた地元の登山家だ。

 ここまで楽な坂登りの道々訊くと、三十代の地元の登山家も「つらら女」を知らなかった。口伝えの昔話はメディアに載らないと現代ではすたれていく一方だ。

 山小屋は見たところ近頃使った形跡はない。もともと立ち寄る人も少ない上、あんな事件があった後では気味が悪くて入らないだろう。これが都会が近ければかえって若者たちに荒らされるところだろうが。

「ここに衣服が脱がれていたんですね?」

 と、さっそく現場検証にかかる。

 茂田カメラマンは等々力の指示を待たずにさっそくカメラを回して小屋の様子を収める。中央に立ち床が入るようにぐるりと一周し、壁を撮して一周する。窓がある。格子が十字にはまった一枚ガラス。上の一辺を軸に下が外に開く造りだ。さすがにこの高さまで雪が積もることはないのだろう。天井を撮してぐるり。一通り撮し終え、カメラを下ろした。

 カメラを下ろす動作をして、ふと、茂田は考え込んだ。

 今、何かを見た気がした。

 ベテラン「オカルト」カメラマンである茂田は、経験的に、撮影の直前、直後に、「何か」が写りがちであるのを知っていて、わざといい加減なスイッチの入れ方、切り方をするのがもはや癖になっていた。

 今、構えたカメラを下ろすとき、ファインダーから目を離すその直前、窓が斜めに写り込んで、その上の隅に……

 何か、垂れ下がっていた。

「お、おい……、社長……」

 押し殺した声で呼びかけた。

「……あ? なんだ?」

 資料に渡された山崎忠男と常盤尚美の写真を見ながら、ここで男と女がああしてこうしてと妄想たくましくしていた等々力は思い出したように頓狂とんきょうな声を上げた。茂田は小声で言う。

「社長。そーっと窓を見てくれないか?」

 自分はじいっと壁の下を見つめている。カメラマンの習性でカメラのファインダーさえ覗いていればなんでもどこでも平気でいられるが、ファインダーから目を離した途端に意気地いくじがなくなる。自分でそれを確かめる勇気がないのだ。

 等々力は言われたとおりそー……っと窓を見た。雪を少し乗せた黒く湿った立木の向こうに灰色の雲が広がっているだけだった。

「なんにもねえぞ。何か見たのか?」

 等々力はカメラの目を疑わない。時として人間の目では捉えられないものを見てしまうことがあるのだ。

「なんか黒いのがぶら下がっていて……黒い……女の髪の毛だったような気がするんだよ…………」

 等々力は、ニタッと笑った。その時である、

「社長。雲が」

 外で小屋の写真を撮っていた柳井が報告した、次の瞬間、

 カッ

 と雷光が走り、

 ゴロゴロゴロゴロゴロ

 と物凄い轟音が大気を震わせ、ガラス窓がビリビリ鳴った。

 ゴンゴンゴンゴンと大粒のあられが降ってきたと思ったら、それはすぐに大きな雪の固まりになり、突風と共にあっと言う間に吹雪になった。




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