第5話 確認
「先生。いったいどういう風の吹き回しです?」
「何が?」
「今回の事件です。最初はぜーんぜんやる気がなかったくせに、急にやる気満々になって、こうしてわざわざお出かけになるなんて」
収録の翌日、紅倉は芙蓉の運転する車で遭難事故の生き残り、
「どうしてなんです?」
「さあ? なんででしょうね」
すっとぼけられて、芙蓉はチラリとルームミラーに後部座席の紅倉を見た。ちょこんとお人形のようにお行儀よく腿の上に手を揃えて前を向いている。
クラシックのCDが流れている。シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」。先生は現在ロマン派の室内楽がマイブームになっていらっしゃる。
「たんたんたんたんたーんたたん」
第四楽章、副題のゆえんである歌曲「ます」のメロディーをいっしょに口ずさんだ。芙蓉は微笑んだ。何はともあれ出不精の先生がこうして自ら出かけようというのは喜ばしい。
歌い終わると紅倉はポツリと言った。
「生きてる人間より幽霊の方が簡単でいいわ」
「あらあら」
芙蓉は困ったものだと呆れ、
「生きてる人間の心地よさを教えて差し上げなくてはなりませんね。今夜も冷えそうですよ?」
と誘った。
「遠慮しとくわ」
紅倉はにべもなく断わったが、ふと気づいたように考え直した。
「そうよね、生きるか死ぬかの極寒地獄だったら、諦めて抱き合うか……」
「先生、わたしたちも現場の山小屋に行きましょう!」
「ええーい、やかましい、この色情娘! ぜーったい行くもんですか!」
前日のスタジオからこっち、らしくない緊張を続けていたが、バカ話でいつもの調子が戻ってきたようだ。
「つれないですねえ」
恨み言を言いながら、芙蓉も微笑んだ。
埼玉県S市の常磐家に着いた。車から降りると近くの工場から溶けたゴムの臭いが広がってきていた。芙蓉は思わず顔をしかめてしまったが、紅倉は平気そうだった。
呼び鈴を押すと母親が神経質な顔を覗かせた。木曜日。父親は会社に行っていて、おかげで駐車場に車を置けた。
「どうぞ、お入りください」
母親はあまり乗り気でない様子で招き入れた。昨夜芙蓉が電話で訪問の許可をもらった。テレビの取材ではないということで受け入れてもらった。何しろ娘は殺人犯の疑いを持たれているのだ。娘が休学しているのは事故そのもののショックばかりではない。
和室の応接間に通されたが、
「すみません、椅子に座れるお部屋がありがたいんですが……」
と紅倉は頼んだ。紅倉は正座が大の苦手なのだ。正座すると、そのまま立てなくなってしまう。
尚美が階段を下りてきて言った。
「二階に来てくれます? わたしの部屋に」
紅倉はニッコリ微笑み、二人に続いて母親も階段を上がろうとすると尚美は
「ごめん。お母さんは待ってて」
と上に上げなかった。
紅倉は予想通りつまずいて芙蓉に支えられた。
尚美の部屋は六帖の板敷きで、机とベッドがあって、
「すみません、そこにどうぞ」
と尚美は二人にベッドを示し、自分は学習机の椅子に座った。
「おじゃまします」
紅倉は芙蓉と仲良く並んで座り、ニコニコと部屋を見渡した。
「居心地のいいお部屋ね。ごめんなさいね、わたしみたいなのが入っちゃって」
尚美の部屋にはポプリが甘く爽やかに香っていたが、紅倉の強烈なバラの香水で台無しだ。
尚美の部屋はオレンジを中心に暖色系の色でコーディネイトされ、きちんと物が整理されて育ちの良さを表していた。
尚美は紅倉を見て、笑った。思ったより血色も良く元気そうだった。
「わたし、霊とかあの世とかぜんっぜん信じない方だったんです。くだらないって馬鹿にしてたんですよ?」
紅倉もニコニコ笑って言った。
「それが、信じたくなった?」
尚美の顔から笑みが消え、急速に母親に似た神経質な
「だって……」
「そうとでも思わなければ、自分の精神が壊れてしまう?」
尚美は紅倉を信じていいものかどうか迷っている。
「あなたは自分が山崎さんを殺したと思ってる?」
「分かりません。覚えてないんです。でも……」
「自分でも殺してしまったかもしれないって思っているわけね?」
尚美はきつく眉根を寄せて溢れてくる不安と闘った。
「……分かりません……。本当に、分からないんです……」
尚美は辛そうにぎゅうっと拳を握りしめた。紅倉は静かに眺めて言った。
「山崎さんを殺したのはあなたではありません。雪男です」
「は?」
は?と芙蓉も思わず紅倉の横顔をまじまじと見た。ふざけているわけでもないらしい。
「あなた、美人でしょう?」
どう?と紅倉に訊かれて、芙蓉は尚美を見て「ええ」とうなずいた。尚美は渋い顔をした。このモデル並の美人と人間離れした超美人に「美人」と言われても全然真実みが感じられない。
紅倉は「はあー……」とため息をついて、
「もてないのよ、わたしたち。ねえー?」
と同意を求め、芙蓉も真顔で「はい」と答えた。
「だからね、雪男が嫉妬して山崎さんを殺してしまったのよ」
「はあ………」
こんな馬鹿げた説明で納得する人間はいない。やはりふざけているのかと疑いの眼差しを向ける尚美に紅倉は心外そうに「ほんとうなのに〜」と言った。
「ま、それは番組を楽しみにしてもらうとして、
尚美さん。
あなたにお話ししてほしいの。
あなたは、山崎さんが好きだった?」
尚美は紅倉が何を知りたがっているのかいぶかしんだが、考えている内、ふと表情が解け、切ない感情がこみ上げてきた。
「はい……。好きでした…………」
言葉にすると感情が止めどなく溢れ、ぼろぼろ涙がこぼれてきた。
「知り合ったのは、いつ?」
「春です。叔父さん叔母さんの紹介で。おじさんの大学の同じ山岳部の後輩で、いい奴だぞ、って。ああ、おじさんと同じ会社に勤めていたんです。すごく目をかけてたみたいで……。おじさんも、おばさんも、すごくいい人で、わたしをすごくかわいがってくれたのに………」
「立ち入ったことを訊くけれど……、あなたと山崎さんのお付き合いはどの程度だったの? そのー……、恋人?」
「八〇パーセントくらい」
尚美は悪戯っぽく言い、寂しく笑った。
「最後の踏ん切りがつかないっていうか、……忠男さん、すごくまじめな人だったから」
「なるほど。分かりました」
紅倉はパチンと手を合わせた。
「以上です。知りたかったことは確認させていただきました」
ス、と立ち上がり、芙蓉も続いた。
「ありがとうございました。尚美さん。山崎さんのかたきはわたしが必ず討ちます。番組、楽しみにしていてくださいね」
玄関を出ると紅倉は哀れむような目で芙蓉を見て言った。
「美貴ちゃん。あなたもああいうまともな恋愛に憧れないの?」
芙蓉はつんとすまして言い返した。
「何を言ってます。わたしの恋心にみじんの迷いもありません」
「はいはい、分かりました。あなたは幸せな人ね」
げんなり言う紅倉に、
「ええ、そうですとも。わたしは世界一幸せな乙女です」
と芙蓉は大威張りした。紅倉も呆れて笑い、
「んじゃ、行くわよ決戦の場へ」
と気合いを込め、
「はい」
と芙蓉もしっかり応えた。
次の収録はそれから九日後、「本当にあった恐怖心霊事件ファイル/戦慄!最凶悪霊女の姿をついに撮した!スペシャル」放送の翌々日のことだった。
その前に。
「はあん? ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
怒鳴りつけられて三津木はげんなりした。
黒の、ハリウッドスターのパーティーにでも出席するようなきわどいカットのドレスを肌に張り付けた、派手な顔立ちの女。
霊能師、岳戸由宇(がくとゆう)。
芙蓉言うところの自称紅倉美姫のライバルである。
「なんでわたしがあの「死体袋」といっしょに番組やらなきゃならないのよっ!!」
ひどい言い方だが、もちろん紅倉美姫を指して言っている。
「だいたいなんで先にわたしの所に持ってこなかったのよ!?、あんな美味しい話」
水曜夜十一時。先ほど七時から八時五四分までテレビで番組を放送していた。
「頼むよお、な?」
三津木はあやすように言って手を合わせた。
「紅倉美姫が是非お願いしますって頼んでるんだぜ? 恩を売っとけよ」
三津木の馴れ馴れしい口調に岳戸はジロリと睨んだ。赤ワインのグラスをテーブルに置くとツカツカ歩いてきて、歩いてきて、すぐ真下から三津木の目を見つめた。
「俊作さんはどうなのよお?」
ワインまじりの甘酸っぱい息。真冬だというのにこんなに肌を露出した薄いドレスを着て、部屋はムンムンと暖房がたかれ、オゾン層破壊の権化みたいな女だ。背広姿の三津木は熱さにじっとり汗をかき、そもそも岳戸も露出した肩をしっとり湿らせ、官能的な匂いを立ちのぼらせている。
三津木はゴクリと喉を鳴らした。まだこの女にそそられる……
「あなたも頼みなさいよ、わたしに!」
「ああ、頼むよ、ゆう……」
岳戸は三津木の首に腕を回して引き寄せ、唇を重ねた。
ここはテレビ局からほど近いホテルの一室。二人の密会の定宿だ。
都会の夜景をバックに、三津木は岳戸を抱きしめた。
二人は愛人同士だ。お互い独身なので恋人同士と言ってもいいのだろうが、三津木の相手は岳戸一人だが、岳戸のお相手は三津木一人ではない、らしい………
岳戸は長いキスに満足すると妖艶な笑みを見せた。
二十八歳。元テレビタレント。
彼女を「霊能師」にしてしまったのは、三津木だ………
「フッ、フフフフフ。あの女がわたしに『お願いします』ね? フフフフフ、そうね、愉快だわ。アハハハハハ」
岳戸は毒のある高笑いを上げた。
取りあえず、出演は取り付けた。紅倉の依頼通りに……。
そして収録が始まった。
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