小室楓:3
今までの人生の中で一番スリリングで興奮した一日を終えた私は逃げるように病院から帰宅し、泥に沈むようにベットに倒れ込み眠った。とても精神的につかれる一日だった。
翌日、私は人生で二回目の仮病を使い仕事を休むことにした。今の精神状態でいつものように仕事ができる自信がなかったので体調不良のようなものだ。
一回目の仮病を使ったときは小学生のときだ。その日は体育の授業で跳び箱をする日だった。運動神経が悪いわけではなかったが、跳び箱だけはどうしても苦手だった私は、学校に行くのが億劫で仮病を使ってしまった。
母は厳しい人だったが、今まで体調不良で学校を休みたいと言ったことなどなかったので、熱は当然なかったが心配して休ませてくれた。
クラスメートたちが授業を受けているところを思い浮かべながら、家で子供向けアニメを見たり、図書室で借りた本を読んだりした。そんな行為に背徳感と同時に心地よさを感じたことを覚えている。
しかし母に嘘をついたことに罪悪感を感じ、それ以降、仮病を使うことはしなかった。
今回も同僚へ迷惑をかけるかもしれないという罪悪感を抱きつつも、ベットに横になっていても思い出すのはやはり昨日のことだった。
確かに、私は桐谷さんを大学の講義のゲストをお願いした時点で、下心があったどころか下心しかなかったようなものだったことは否定しようのない事実だ。
だけど強引にキスするつもりなんてこれっぽっちもなかった。一緒にスーツを選んだり、食事したりして、少しでも多く一緒の時間を過ごすことで、彼と今後も接する機会が作れる程度の関係性まで発展させることが今回の目標だった。
ゆっくり堅実に。それが私の持ち味の一つだと私自身が一番そう思っていた。男性専門医として経験をすべて活かして彼を安心させ、頻繁ではないが少なくない接触をして彼をものにすればよかったのに。
桐谷さんと過ごす時間は精神的に満たされるものであったと同時に、彼の仕草一つひとつにチクチクと、それでいて心のどこかにいちいち引っかかる劣情が蓄積していくのを感じていた。蓄積されたそれは少しずつ着実に膨れ上がっていた。
その結果としての一方的に唇を押し付けるだけのわいせつ行為をしてしまった。
そんな最低な行為をしてしまったにも関わらず、彼は私を許すどころか更に誘うように私をからかった。
彼は私のことを異性として好意的に思っているか、あるいがただ彼が淫乱なだけなのか。
どちらにせよ現代にはほとんどいないタイプの珍しい男性なのは間違いない。
自宅にいても思い返すのは、肩もみされたときのときの心地よさや唇の感触、後ろから抱きしめられたときの圧迫感、耳に近くから囁かれたときの背中がゾクッとする感覚。
仮病を使って正解だった。すこしそういったことを思い出すだけで体が熱くなる。
何度も思い返してはその記憶に浸かる。そうしていると自然と手が下半身へとのびる。あのときの私は冷静ではなかったが感じた充足感は鮮明に思い出せて、そんな自分にあきれる。
火照った体は理性でごまかせるものではなく、記憶を頼りに自慰行為にふけった。
初めて仮病を使ったときの背徳感と心地よさに似たものが絶頂までより早く導いた。
二日連続して仮病を使うのは気が引けて、いつも通り朝食を食べ、いつも通りの時間に家を出る。だからと言って、いつも通りの心持ちに回復したわけじゃない。浮足立って仕事に集中できるか不安だ。
出勤すると私の後輩の佐久間が声をかけてきた。
「先輩!もう調子は大丈夫なんですか?」
「ちょっと体調が悪かっただけよ。もう大丈夫」
「先輩が体調不良で休みとか珍しいですよね。」
「別に、私は超人的な人間じゃないんだから休むことくらいあるわ」
「ええ! 先輩っていつも全然疲れてなさそうだったし、ロボットかなにかと思ってましたよ。」
「失礼ね。そんなこと言ってる暇があったら仕事始めるわよ。」
都内でも男性専門医の所属する男性科が設置されている大型病院は数えるほどでしかない。そもそも男性のための施設が都市部にしか存在せず、男性は実質的に都市部しか住むことができない。人口が一番多い東京は当然男性の数も多いはずなため、本来は来院する男性もそこそこの数はいるはずなのだが、来院する男性が少ないのは男性専門医を信頼していない男性が多いのだろうか。
そのため男性科がある病院でもほとんどが男性科としてだけでなく普通に内科でも仕事をしており、男性患者を特に優先するという業務形態になっている。
内科で何回か診察をしてふわふわした感覚もようやく落ち着いたころ、聞きなれない通知音がポケットの中から聞こえる。すぐにナースコールだと思い出した。現在私が担当しているのは一人しかいないため思い浮かぶ顔は一つしかない。
桐谷さんのいる病室の前についたが、扉の取っ手をつかむが重たく感じる。
一度は過ちを犯したが彼は許してくれた。2回目は許されないと自分を戒めてから扉を開く。
部屋に入るなり、彼は何事もなかったように私に話しかけてきた。私の体調を崩したことについて、医者の不養生だと揶揄するのがあまりにも普通過ぎて前のことを忘れてしまったのかと思うほどだ。もしかたら記憶障害がまだ存在しているとかだと心配になる。
「それで、なにかございましたか桐谷さん」
「はい。昨日検査結果を聞いて特に異常がないとわかったので、退院したいと思いましてね」
「え?」
「異常がないんだから、もう退院してもいいんですよね?」
「で、でももう少し様子をみたほうが安心だと思います。今も記憶があいまいな状態なのですよね?」
「まあそうですね。でも前に進む必要もあると思うんです。それに病院の雰囲気ってなんだか苦手だなって感じてまして、どうも落ち着かないんですよね」
「桐谷さんがそうおっしゃるなら医者としてこれ以上無理には止めません」
突然のことで引き留めるための強い理由が思いつかない。病院という接点がなくなれば、そのまま関係が継続することはないだろう。
「それでですね、現在一つ困ったことがありましてね」
「なんでも言ってください。できる限りは力になりましょう」
「退院しても住む場所がないので、困っていましてね。前に住んでたところに戻るわけにも行かないですし、すぐにいい場所も見つからないと思うんです」
「はい」
「ご迷惑でなければ、いい場所が見つかるまででもいいので、小室さんの家に居候させてもらえないかな~なんて」
「ど、どうしてそんな結論になるんですか。それならいい場所が見つかるまでは病院いてくださっていいですから」
「そうですよね。お医者さんは激務でお忙しいでしょうし、ご迷惑でしたよね」
もちろんとても魅力的な提案だったが、男性専門医という職業に対して職権乱用の可能性だの、男性の人権がなんだとうるさい団体も存在している。過去にも男性専門医が患者と結婚した例があったが、メディアに取り上げられて批判されたせいでその病院の利用客が一時減少した。
反面、その男性は快く定期的に人工受精用の精子の供給をしてくれることになり、かなり儲けたらしい。
またその病院では医者や看護師に対しての待遇がいいことが業界内では話題になり優秀な人材が集まるきっかけになったらしい。今では評判の高い病院になったのは有名な話だ。
今務めているこの病院も患者と親密になることは禁止されてはいないが、その場合は退職して時間を置くまでは公にはせず、公になった後に、社会貢献と主張するために精子を定期的に供給してもらうという方針だ。
そのくらいの利点があるのは狭き門をくぐったがゆえの特権でもあり、病院が優秀な人材を集める上での条件としても見られている。
そういった事情もあって一緒に住むのは現実的でない。何よりこの提案がどれほど本気なのかもよくわからない。今度は冷静でいられるか試されているだけかもしれない。あるいはただからかわれているだけかもしれない。
少し怖いが、彼の真意を知るためにも強く拒否することに賭けてみることにした。本当に今後も関係を続けたいが故の提案かどうか。どうせ今だめなら彼が退院したあとも関係が続くことなどないだろう。
「いえ、迷惑なんてちっとも思ってません。ただ私は」
「私は?」
「私は自分勝手で最低なことをしたんです。あなたと対等でないんです。そんな私とあなたは関わるべきじゃないんです」
完全な嘘ではなく本音でもあった。最低なことをしてしまったことに負い目を感じているのは事実だし、関わるべきでないかもしれないとも感じていたが、それでも実際そうしたいわけじゃない。
「奇遇ですね。俺も自分勝手で最低な人間なんです」
どういう意味なのかを考える間もなく気がつけば二度目のキスをしていた。
頭の中が真っ白になり何が起きているのかわからなかった。それでもリアルな生々しさが少しずつ現実を実感させる。
彼の真意がよく分かった今、我慢することをやめて、積極的に求める。
反響するかのように彼はさらに積極的になってくる。両手でしっかりと顔を固定されてディープキスをされる。気がつけば離れるまで無我夢中になっていた。
「これで少しは対等ってやつになりましたか?」
「・・・ずるいです。こんなことして。私の思ってることも知らずに」
「気持ちは十分すぎるくらい伝わってきましたよ。
俺の気持ちも十分伝わりましたよね?」
「・・・・・はい」
面と向かってそう言われると今更になってものすごくはずかしくなってきて、素直に目をあわせることができない。
「どうしてこっちを向いてくれないんです? 本当につたわってますか?」
そう言われてもやはり恥ずかしいことは変わりない。対等でないとかなんとか言ったはいいが結局夢中な自分が恥ずかしい。
「まだ足りてないみたいですね」
これ以上先に進もうと彼は私の服を脱がそうとする。
「本当に伝わりました! 居候でも何でもいいですから私の家に来てくれて構いませんので、これより先は私の家でにしませんか? 今はまだ明るいですし、まだ仕事中なのでその・・・」
一番は心の準備ができていないからで、もう精神的にいっぱいいっぱいだった。今日はここでおしまいにしてほしい。
そんなことなど気にすることなく、またもあちらからの積極的なキスにあらがうすべなくただ行為を受け入れる。
他人に服を脱がせれるのがくすぐったい。
またも後ろから抱きしめられ、ソファーの上に彼に重なって座らされる
「あの、ものすごく恥ずかしいんですけど」
「大丈夫です、誇っていいほどきれいな体ですよ」
「そういうことじゃなくて・・・あ」
上半身は完全に隠すものがなくなり、裸になる。正面から見られてないので少し余裕が出てきた。もったいぶるような遠回しの触り方がもどかしくも性的な興奮を誘引する。もしかしたら経験豊富なのか、そんなことが頭によぎる。記憶喪失の以前に親密な女性がいたのかもと。
それでも今ここにいるのは私だ。
彼の手が私の体を這いずり回り、やがて一番敏感な場所へと進んでいく。ショーツの下へと手が侵入してきて、恥部へと触れる。
「んん!」
「ごめん、痛かった?」
「ひょっとびっくりしただけです」
中に自分の体ではないものが入って来て、少しずつ押し広げていく。自分の指と見た目も構造も大きく変わるものではないはずなのに、自慰行為の数倍の快楽が押し寄せる。あとはただ絶頂まで向かうのみだった。
果てた私を軽々と持ち上げ、私をベットに横たわさせる。
「今更やめるなんて野暮なこと、もう言わないですよね」
「本当にわたしでいいんですか?」
「それも野暮なことですよ」
キスされながら、中に指よりも太く熱量のあるものが入ってくる。
それからはなにか考える余裕もなく、ただ快楽の連続だった。気がつけば2回目の絶頂と同時に、彼も膣内に射精した。
「小室さん、とっても気持ちよかったです。小室さんも楽しんでもらえたでしょうか?」
「はい・・・」
「それはよかったです。独りよがりじゃよくないですからね」
「桐谷さん」
「はい」
「好きです」
「僕も小室さんのこと好きです」
「それなら・・・その・・・二人の時は苗字じゃなくて名前で呼んでくれませんか?」
「わかりました。楓さん」
「できれば呼び捨てで」
「それなら俺のことも恭介ってよんでください。楓」
「そうしましょう。恭介・・・さん」
「ちょっと、俺はぎこちなかったですけどちゃんと呼びましたよね」
「善処します・・・」
服を着ると、日常が戻ってくる。ともに冷静さも取り戻す。一気に男女の肉体的な関係まで流されて進んでしまったことに、情けないと思いつつ、うれしい誤算でつい顔がゆるみそうになるのを抑える。
「それじゃあまた明日」
精一杯顔を作ってそう言い、部屋をあとにした。
その後、必要なものを持ちトイレへと向かう。個室に入りズボンとショーツを脱ぐ。
持ってきた精子の冷凍保存用の容器を股の下に入れて、膣内の精子を掻き出し容器へと移し替える。正直気が進まないが捨てることはできない。
実物を手で触るのは初めてだ。思ったよりも粘液性が高いと知る。改めてこの白い液体が新たな命を作るというのが不思議だ。
そして彼との情事を思い出しそうになるのを振り払い、容器を持って冷凍保存用のタンクがある部屋に向かう。人工受精用に精子を冷凍保存する前に精子に処理を施す。具体的には不純物を取り除き、運動良好精子を選別する。
選別していて気が付いたが運動良好精子が平均より2,3倍くらいの量がある。結果としては精液量、精子濃度も高いことが分かった。この数値は男性の人口が減少する前に平均的だったといわれている数値と同じくらいの数値だ。
彼は精神的にも特殊だが、肉体的にも特殊だといいうことだろうか。
男性の減少とともに人工受精や体外受精の技術が進歩が医療的な一回に必要な精子量を下げたとはいえ、妊娠は精子の状態に左右される要因も多い
。
このような優秀な精子は高く値が付くだろうことは容易に想像できる。
直に注がれたことでもしかしたら一回だけで妊娠することもあるかもしれない。
選別が完了し人間の頭くらいのサイズの冷凍用のタンクに精子が入った容器を入れて、日付と名前を記入したラベルを貼って処理を完了する。
他の冷凍タンクが並べられている場所に追加して、一息つく。
このあとどうするか。院長に報告するか、しばらくは伏せておくか。
しばらくの間考えていると昼休みの時間になった。
いずれにせよ隠しきることなどできないだろうと結論づけた。
昼食をとることなく院長室へと行き、扉をノックする。
「院長、入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
部屋に入ると、横山院長は読んでいた新聞を机に置き、こちらを見る。
「桐谷さんですか。先日は大学での講義ありがとうございます。おかげでとても助かりましたよ」
「とんでもないです。それで今日は報告しなければいけないことがありまして」
「報告ですか」
「はい。私の担当している桐谷さんのことなのですが」
「ああ、彼のことですか。これ以上滞在は引き延ばせそうにないですか?」
「彼は明日にも退院したいそうです」
「死亡判定の誤りについての不満はもうなさそうでしたか?」
「ええ、そのことは問題ないと思います」
「そのことは? ほかに何か問題でも?」
「はい。その前に確認なんですが、この病院は男性専門医と患者が親密になるのを禁止してないことで間違いないですよね?」
「推奨してるわけではないですが、禁止しているわけでもないのは間違いないです。どうしてそのようなことを今更確認する必要が?」
「今回私は、彼と親密な関係になったことを報告しにきました」
「ええ! まだ彼が病院に来て数日しかたっていませんよ。それは事実なのですか?」
「はい。加えてもう一つ報告しなければならないことがありまして、大変言いずらいことなのですが・・・・・病院で彼がその気なったのでその・・・性的な行為にまで発展してしまいして」
「ちょっと小室さん、そういうことはこちらに親密になったこと報告してからでないと困りますよ」
「申し訳ございません。ただ良いことも分かりました」
「良いこととは何です?」
「彼の精子は非常に優秀だということです。男性が減少する前と同じくらいの質と量が確認できました」
「具体的にはどのくらい珍しいものになりますか」
「金銭的価値では言えば、平均の精子状態と同じ量でも数倍、数十倍の価値はあるでしょう。研究機関などにも高値で売れる可能性もあります」
「それほどですか」
「それほどです。そのためにも私と桐谷さんの関係を認めてもらえますよね?」
「いいでしょう。ただし、今回のようなことは次がないよう、健康状態など細かく報告するようにしてください。条件についても理解していますね?」
条件とは公にしないことと、精子を提供することだ。
「理解しています」
「よろしい。それではさっそく詳細を報告してもらいましょうか」
「はい?」
堅苦しい雰囲気だった院長いつの間にか様変わりして、わたしはにやにやする院長に性行為以外のことをつまびらかに話すことになった。絶対院長が聞きたいだけだ。
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