ただの普通の男
最後に考えていたこと、それは寄る辺となる住処がないことだった。”僕”が自殺したマンションは現場検証などは終わっているだろうし、何食わぬ顔で生活するというのが頭をよぎったが、この案はないなと却下した。
男の死人がよみがえって、何食わぬ顔で生活しているなんて話題になったら面倒ごとになるに決まってる。
加えて自殺した俺を発見したやつも懸案すべき事項だろう。
第一発見者でありながら現場を去った人物。”僕”は自殺することを決意していたなら、その前に自宅に誰かを呼ぶことはないだろう。自殺したことを早めに発見してもらいたかったとかの線も考えたが、それなら警察知らせるのでもいい。知人に今から自殺するとか言って自殺したとしてもその知人が現場から逃げる必要もない。
現在も見つかってないということだし、後ろめたい事情があったやつに違いない。そんな奴が知っている場所に好き好んでまた住むことに気が進むわけもない。
そもそもどうやってそんな家賃の高そうな区域のマンションに住んでいたのか気になったが、多くのマンションは男性を無料で歓迎しているようだ。まあタダより高いというものはないという通り、女性しかいないマンション住むいうことになるのだろう。まさしくライオンの住む檻に入る見返りというわけだ。
それなら豪邸や一軒家にもタダですめるのかとおもったが、そこまで生ぬるいわけでもなかった。
不動産業者に利益もないのにただのわけもない。男性はいくらか安くなるようだが、安くなった金額でも数えるのが億劫なくらい桁が並んでいて、気が遠くなりパソコンを閉じた。
またもマンションにタダで住むのが無難な案だが、物件さがしやら手続きは面倒だ。最初は居心地もいいと感じていたが、今はなるべく早くこの病院を去りたいところだ。
病院の購買に行ったときや、気分転換に病院内を歩きまわったとき自分以外の患者をみて、昔の記憶がよみがえる。
親につれられて入院している曾祖母の見舞いに行ったときのことだ。幼かった俺は、曾祖母と面識がなく、家に一人で留守番できないから連れてこられただけだった。おそらく危篤状態だったのであろう。そんな弱弱しくなった曾祖母をみて、幼心にも俺は恐怖を感じた。死に近い老人には、独特の雰囲気のようなものがあるのだと思う。
病院いるとそんな昔の苦い記憶がちらちらと脳裏をよぎる。病院が本来居心地のいいよう場所として存在することなど無理なのは当たり前ともいえるが、今になってそんな当たり前に気が付いた。
いろんな意味で、最初から俺がとるべき選択肢は一つしかなかったということなのだろうか。随分長々と言い訳しただけのような気がするが、まあいい。俺は住処を獲得するため行動を起こすまで。
次の日の朝、そろそろかな感じる時間になり俺はナースコールを押した。しばらくして、ガラガラと扉が開く。期待どうりの顔が見えて無意識ににやけそうな顔を抑えるのに必死だった。あくまでも冷静にいこう。それが俺のありたい自分だ。
「おはようございます小室さん。医者に聞くのもおかしな感覚ですが、もう体調は大丈夫なんですか」
「そんな大したものではないです。すこし疲れがたまっていたので休みをいただいただけのことです。お気遣いありがとうございます」
「これがいわゆる医者の不養生ってやつですかね。あはは」
「・・・・・そうですね」
彼女の鉄仮面がさらに怖い気がするのは気のせいではない。最初から飛ばしすぎたかもしれないな。
「それで、なにかございましたか桐谷さん」
「はい。昨日検査結果を聞いて特に異常がないとわかったので、退院したいと思いましてね」
「え?」
「異常がないんだから、もう退院してもいいんですよね?」
「で、でももう少し様子をみたほうが安心だと思います。今も記憶があいまいな状態なのですよね?」
「まあそうですね。でも前に進む必要もあると思うんです。それに病院の雰囲気ってなんだか苦手だなって感じてまして、どうも落ち着かないんですよね」
「桐谷さんがそうおっしゃるなら医者としてこれ以上無理には止めません」
やはり俺は幸運だ。こんなにも魅力的な女性を俺みたいな男が一喜一憂させることができる機会がやってくるとはな。捨てる神あれば拾う神あり。神に感謝だ。
「それでですね、現在一つ困ったことがありましてね」
「なんでも言ってください。できる限りは力になりましょう」
「退院しても住む場所がないので、困っていましてね。前に住んでたところに戻るわけにも行かないですし、すぐにいい場所も見つからないと見つからないんと思うんです」
「はい」
「ご迷惑でなければ、いい場所が見つかるまででもいいので、小室さんの家に居候させてもらえないかな~なんて」
「ど、どうしてそんな結論になるんですか。それならいい場所が見つかるまでは病院いてくださっていいですから」
「そうですよね。お医者さんは激務でお忙しいでしょうし、ご迷惑でしたよね」
彼女の鉄仮面が少し、また少しと崩れていくのが見える気がする。ただ、今はその仮面を無理やりはがすのでなく少しずつゆっくりと。
雪解けの時期に顔をだすふきのとうの美しさが如く。
ただただ零れ落ちる本音で彼女に求められたい。
「いえ、迷惑なんてちっとも思ってません。ただ私は」
「私は?」
「私は自分勝手で最低なことをしたんです。あなたと対等でないんです。そんな私とあなたはかかわるべきじゃないんです」
零れ落ちる最後の一滴をひどく渇望する。
「奇遇ですね。俺も自分勝手で最低な人間なんです」
そんな渇望に耐えられない俺はどうしようもないただの普通の男だった。
俺は彼女に近づき、肩をつかむ。かつて味わったあの熱量に再び酔いしれるために。
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