小室楓:1
幼い時、織姫と彦星という物語がとても好きだった。お互いを求めあうそんな恋。男性が減少する前はこの話は有名な物語だったらしいのだが、男性が減少して積極的な男性がも減少したため、そんな物語はまさしく夢物語と化してしまった。私は男性と接点の多く医者という職業へのあこがれもあり男性専門医を目指すことを決めた。医者という狭い門のさらに狭い門は決して楽でなかった。医師として、そして男性と接点のある職業としての重要な職業倫理を十分に順守する精神力もためされた。そしてようやく大学を卒業し研修医として働き始めた。しかしながら男性との接点は確かにあるが女性に対しての嫌悪感を隠さない男性や、女性を恐怖する男性も多く、そんな恋の予感など微塵も感じることはなかった。しかし、大学時代からこういったエピソードを聞いていたし、私はすぐに患者がちょっと扱いずらい男性ってだけの医者として割り切ることができるくらいには、医者という職業のやりがいは実感していた。
その日、勤務している病院に自殺した男性の遺体が運び込まれてきた。そもそも男性の遺体自体珍しいが、年齢が20歳の男性の死体なんてさらに珍しい。男性の死体を検視する機会が少ない現代では検視官は男性の体について学ぶこともなく、検視官による男性の死体の取り扱いが問題になるケースが多くなったため、検視官でなく男性専門医が検視するきまりになっている。特別興味があったわけではないが、都内の大きな病院ということもあり何人かいる男性専門医のなかでくじで公平に決めることとなり、結果的にわたしと後輩の二人で検視を行うことになった。とはいえ検視自体は気の滅入る作業だし、個人的には気の合う後輩でよかった。9月の蒸し暑さが一転、肌寒さすら感じそうな遺体のある地下へ、後輩と話しながら向かう。
「若い男性とは自殺とは悲しい世の中です」
「二十歳の男性かぁ。できれば生きてるときにご対面したかったですよ」
「しかし検視が決まりとはいえ、かなり貴重な機会です」
「そうですね先輩」
「もちろん、周りに自慢なんてしないように・・・・・・・」
そういいながら検視室の扉を開いた瞬間、目に入ったのは全裸の男性だった。医者として精神的にたいしたことでは動転したりしないという自信はあったけど、この時はさすがに腰を抜かして悲鳴を上げるほかのなかった。
その後、息を吹き返した男性のことを上司に報告した。死亡判定に関しては間違った手続きはなかったようだが、担当した医師はそこそこな処罰を受けたようだ。気の毒にと他人事ながらそう思った。
そのまま私が彼、桐谷恭介さんの担当をすることとなった。最初に死亡判定に間違いがあったことについて平謝りしに行くことになったが、彼は不思議な男性だった。死亡判定の間違いもあまり気にしていないようだったし、男性専門医として今まで感じてきた男性の女性に対する負の感情も感じなかった。彼は自殺したときの記憶がはっきりしないらしく死因について尋ねてきた。伝えるかどうか判断に迷ったが機嫌を損ねてもまずいので、素直に伝えることにした。それでも彼は合点のいった様子ではなかった。彼に関して、上司からは自殺した影響で体に異常がないかの検査をするよう提案することと、彼からの要望はできる限り対応するよう言いつけられた。前者は間違いなく男性を少しでも長く病院に滞在させたい、後者は死亡判定の誤りについて男性の口から言いふらされたら病院の評判は地に落ちてしまうため、口止めできるようにという意図だろう。しかし一度不手際があった病院で検査なんて受けたがらないと思っていたが、桐谷さんはぜひお願いしますという。やっぱり彼は不思議な人だ。
翌日、検査をおこなった。私以外の看護師もいたが、彼は女性に対しての嫌悪感など微塵も表すこともなく無事検査は終了した。今まで医者としてかかわってきた男性のどんなタイプにもこのような男性はいなかったので、どうして彼は自殺を図ったのか少し気になった。そんな彼は検査後こんなことをたずねてきた。
「病室も豪華だったし、検査もしっかりしたやつですよね。実際はどのくらいかかるんですか?」
「男性から費用など頂きません。」
「え?いやいやそんなことありえないでしょ。この病院は男性を優遇する経営方針をとってるとかそういうことですか?」
「この病院にかかわらず、少ない男性を優遇するのは当たり前です。男性に利用してもらうだけでその病院の地位が上がる程です」
「男性が少ない?」
「男性はあまり気にしない人も多いかもしれませんが、男性は以前よりもさらに出生率が低下しています。あなたもたくさんの女性に必要とされているんです。だからもう自殺なんて悲しいことしないでくださいね」
「はぁ・・・」
彼は男性にとっても、一般的なことを聞いてきた。もしかしたら自殺したショックで精神的に混乱しているのかもしれない。それに再び病院で自殺されてもかなわないので、私としてもはげましたつもりだったがあまり心には響かなかったみたいだ。表に出さないだけで本当は女性嫌いなのかもしれない。
通常業務に戻りしばらくして、呼び出された。どうやら桐谷さんが用があったらしく、ナースステーションまでわざわざ来てくれたようだ。私はナースステーションについた私は診療室で用件を聞くことにした
「桐谷さん、御用でしたらナースコールでお呼びしてくださってかまいません。わざわざこちらまでありがとうございます。」
「ずっと病室にいるのもなんだか飽きちゃいまして。ききたいことがあったのでそのついでに少し歩きたかっただけです。」
「聞きたいことですか?検査結果でしたらもう少し時間がかかると思います」
「そのこととも関係することで話したいことがありまして」
「自殺したときの記憶もそうなんですけど、それ以外のこともどうも曖昧なんです。なのでいろいろと質問してもいいですか?」
「自殺以外の記憶もですか・・・・」
自殺以外の記憶も、自殺の影響で記憶障害が発生しているということだろうか。しかし彼個人のことはまったくしらないので正直答えられことはそう多くないかもしれないができる限りのことはするようにとは言われていたので質問にこたえることにした。
「わかりました。できる限りお答えします」
「ありがとうございます。それで前にも聞いたんですけど男性が少ないというは本当なんですよね?」
「そうです。男性を構成する遺伝子に何らかの問題が見つかったのが今から100年ほど前で、それ以降男性の数は減少していて今では、1000人に一人ほどの割合です。ですので、あまり
病院内でもあまり他の方には話しかけないようにしてください。あまり免疫のない女性は話しかけられただけで好意だととらえる方もいますし、積極的が過ぎる方もいますから。もちろん私は男性専門医ですから安心してください。」
ナースステーションまでわざわざ来ることや、記憶があいまいであることで女性に対する警戒心が薄いようなので、彼には忠告することにした。現実問題として病院内だからって確実に安心できるわけじゃない。すると彼はこちらにおもむろに近づいてきた。次の瞬間、彼は私の手を握ってこういった。
「こういうこともしないほうがいいんですよね?」
初めて男性専門医として揺らいだ瞬間だった。今までだって他の女性と比べたら男性との接点も多いが、女性として見られたいと白衣を着ているときに感じることはなかった。でもそれはしょせん求められないからそうなだけだったのかもしれない。男性専門医であっても手を触る機会などほとんどない。それどころか男性のほうから積極的に握られることなどほとんどの人にはない機会。私よりも大きい手が力強く私の手を握ることが私をひどく動揺させる。手を握りながら私を見つめるその瞳に目が離せない。安心して下さいなどどの口が言ったのか。これは男性専門医としての私を試しているのか、それ以外の何かの意思表示なのか。それを期待してもいいのか。
「も、もちろんこういうことは絶対控えてください」
動揺しつつもこう返せたのは医者としての私がかろうじて残っていたに過ぎなかった。いやそれすらもただ私以外にはするなと言いたいだけだったのかもしれない。その後もいくつかの事柄について質問されたが、その時考えていたのは医者としての私と女としての私か、どちらを取るべきかただそれしかなかった。
「わかりました。聞きたいことはこれくらいですかね」
質問を終え、彼は席を立ち診療室の回転式の丸椅子がくるりと回る。そんな彼の背中に私は気づけば呼び止めていた。
「あの」
「はい」
呼び止めたはいいが何を話せばいいのか、必死に頭を働かせて考えた。そういえば明日大学の講義に男性専門医としてゲストで呼ばれていることを思い出して、それにかこつけてどうにか親しくなるというアイデアを思い付いた。
「実は明日大学の講義に、男性専門医としてゲストで呼ばれることになりまして」
「男性も講義に出たら、説得感があるかなと思いまして、よかったらその・・・ご一緒にでていただけないかぁなんて」
「大学の講義ですか。楽しそうだしいいですね。ご一緒しますよ」
「本当ですか!? ありがとうございます」
こんなお願いも快く承諾してくれる桐谷さんはやはりほかの男性とは違う、女性を普通の目で見てくれる。まさしく私が昔好きだった織姫と彦星のような互いを求めあう関係になれるのではないかという期待感。彼は特別なのだろう確信し、このチャンスは絶対に逃がせないと本能が予感させる。この時のために私は医者になったとすら思うほどだ。気が付けば私は医者ではなくただの女だった。提案した後で気が付いたが、大学に男性を連れて行くなんてピラニアの住んでいる川に餌を放つようなものじゃないかとの考えがよぎり、これは悪手だったのではないかと後悔することになった。
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