2話

「ねえねぇ。真面目くーん」

彼女は、いつものようにベランダから僕を呼んだ。出会ってから数日しか経っていない他人同士なのに彼女は僕を真面目くんなんて怠けたニックネームなんてつけて、僕を呼び出す。もう恒例行事もなっているそれに、僕は起きたての出来上がった髪を手櫛で整えながら寝巻き姿でベランダに出た。外は気持ち悪いぐらいの快晴。日の光に寝起きの僕は目を細める。これも決まって取る恒例行事だ。

「なんですか」

ベランダに出ると彼女が手すりにもたれかかりタバコを吸っていた。相変わらずの派手な髪色に勿論彼女も寝巻き姿だった。しかし何故か化粧だけはバッチリに決めてある。女性のポリシーなのだろうか。まるで戦場の戦士みたいに鎧を脱ぐことがない。

「一緒にモーニング行かない? オススメの喫茶店があるの」

「一人で行ったらいいじゃないですか。俺はごめんです。こんな朝早くにわざわざ外に出るなんて」

「真面目くんってさ、人生楽しんでないって目してるよねー。なんか、過去に暗い過去とかあったりして」

「そうやって、人の過去を聞き出そうとしても無駄っすよ」

なんでこの人は、人の傷を軽々しくえぐることができるのか。確かに自殺願望のある僕は、側からみれば死んだ目をしているかもしれない。でもこんな赤の他人に助けてもらおうとは微塵も思っていない。自分の問題は自分で解決する。僕はそう思いながら彼女に聞こえるか聞こえないかぐらいのため息をつく。

「で、行くんすか。行かないんすか」

「行くに決まってんじゃん。十分後に会おうね」

彼女はそう笑みを浮かべながらひらひらと手を振って部屋に戻っていく。いつもそうやってその言葉にホイホイ飲み込まれてしまう僕はやっぱり馬鹿なのかと、彼女が部屋に戻っていくのを見届けて今回2回目のため息をつく。

彼女の名前は、佐々木真美と言った。昨日の記憶を遡りながら、僕は数日前のことを思い出した。結局、あの時は買いたかった薬を彼女のせいで買えずに、何故か小1時間彼女の用事に付き合わされた。薬局を出て、商店街のたこ焼きを買って、彼女が気になっていたという本屋にひっぱられて、やっと自分の部屋に帰ってこられたのは時計の針が夜の十時を刺してからだった。

出会ってはいけない人だった。隣人なのは仕方がない。でももし出会ってしまっても、ゴミ捨ての時や廊下で不意に会って会釈するぐらいの関係でありたかった。しかし、なってしまったものは仕方がないと僕は無残に散らかった自分の部屋を見て頭を掻く。


彼女につれてこられた場所は、徒歩三十分ぐらいの古い年季の入った喫茶店だった。隣町の長居駅から徒歩五分。喫茶店の前には、スーパーがありお客さんで賑わっている。しかし、この喫茶店も満更でもなさそうだ。だって入口にはたくさんの自転車が泊まっていて、繁盛していたから。

「ここのモーニングメニューのホットケーキ美味しいんだ」

 彼女はまるで常連客のようにカランカランとドアを開けて「いらっしゃいませー」と大きな店員さんの挨拶と共に、迷わず一直線上にある席につきメニューを開く。

「君、ドリンクどうする?」

「コーヒーで」

「大人だねぇ。私バナナジュースかなぁー」

彼女は手をあげて、手慣れたように店員を呼んだ。

「えっと、このモーニングでドリンクがー」

 彼女の話し方は独特で、必ずなにか迷った時には、えっとーというワードをいちいち声に出す。注文が済んだあと、彼女はタバコを胸ポケットから取り出して火をつけた。

「タバコ吸うんですね。いつも思ってたんすけど」

「幻滅した? 可愛い女の子がタバコを吸うなんて!」

「いや、タバコ吸うんだなー意外。と思っただけなんだけど……」

「ははは、でも君も吸ってるよね?」

「そうっよ」

「真面目くんって、タバコ吸うイメージが湧かないんだよねー。なんか根っこから真面目そうなのに、変なところが怠けてるって感じ」

「貴方は、人をおちょくるのが趣味なんですね」

「それ、当たってるかも。初めて会った人には、大概最初、嫌な顔されること多いから。君、見る目あるよねー」

そんな会話をしているうちに、頼んでいたものがテーブルに並べられる。店員さんはB型なのかゆっくりとドリンクとホットケーキをテーブルに並べている。この店員さん可愛いな。そう心の中で思っていたら、彼女が机の下で僕の足を思いっきり踏んで「イッテッ」と声が出た。また僕の心情を読みとられたらしい。足を踏まれたのは、彼女の嫉妬だからか。もし僕のことを異性として嫉妬しているのなら、本当に勘弁して欲しい。

店内は煙の匂いとコーヒーの匂いが交じって、純喫茶独特の匂いで満たしている。

「そういえば」

ホットケーキを食べ終えて、数分してから彼女は何かを思い出したように口を開いた。

「君、最近になってから引っ越してきたんだよね」

「そうですけど」

僕はそっけない返事をする。しかし内心、彼女に僕の内心を踏み込んで欲しくないと願った。こうやってホイホイついていく僕もぼくだが、本当はただの隣人のままの関係でいたいと思っていることも。

僕は、彼女の言ったとおりこの数ヶ月前に引っ越してきたばかりだ。部屋にはまだ片していない段ボールが所狭しと転がっている。

彼女は「ふうーん」とつまらなそうな顔で店内を見回した。あまり興味はないらしい。少し安心はしたものの、じゃあ聞くなよ。と少し腹が立つ。

「佐々木さんは、ずっと前から住んでたんすよね」

「まあね、2年前かなぁ。その時は、あの馬鹿でっかい薬局なんてなかったんだよー」

満更でもなさそうなその表情に、何故か僕と同い年ぐらいの彼女が大人っぽく見えた。

「なんで引っ越してきたんすか」

「君はぐいぐい聞いてくるねぇー」

と彼女は僕を見るなりニヤニヤ笑う。

「興味はないっすけど」

「ひっどいなー」

彼女は苦笑しながら二本目のタバコを吸い始めた。

「家出かなぁ」

少しの間があって、彼女は口を開く。あまりの爆弾発言に、僕は目を見開いた。まるでコンビニ行ってくるわ。と友人に言うみたいに。

「私の両親がさ、うるさい人で大学も行ってなかったし、フリーターだったしって、家出てきちゃったの」

「ふーん」

「君は、大学生? 私と同じ家で少年だったりして」

「違いますよ。貴方みたいに将来のこと考えずに家出なんてしません」

「君、人のこと自分より底辺に見るのやめたほうがいいよ」

そう笑ながら、彼女はホットケーキをがっつく。僕は胸ポケットからタバコを取り出し、ライターで火をつけた。タバコは好きな方だと思う。だって煙を肺に入れるたび寿命が縮んでいくようで、心地いい。

僕は彼女に嘘をついてしまったと罪悪感に駆られた。本当は彼女と一緒で家出少年だ。でも彼女みたいに両親が嫌いだったとかじゃない。

僕は…ぼくは…?


「真面目くん、何ボケーってしてんの?」

彼女の声で我に帰った。彼女を見ると肘をついて頬を膨らませている。

「すいません。考え事してました」

「素直に謝るところは、可愛げあるじゃん」

彼女はまた笑った。よく笑う人だなと思った。

「なに考えてたの?」

「教えるわけないでしょ」

「あー! さては元カノだなぁ?!」

「まぁ、そんなとこです」

ぼくは諦めてて適当にごまかす。嘘はついていない、元カノのことを考えていたのは事実だ。

「未練抱えるのはよくないよー。こういうときはキッパリ諦めて他の人探すとかさー」

彼女はわかりきったようにぐいぐいと話を進める。こういうところがきっと彼女の悪いところなんだろうなと思う。

「佐々木さんはいるんすか?」

「へっ?」

「だから、入るんすか? 好きな人とか」

内心、興味はなかったが僕が聞かなくても彼女のことだ。話し出すに違いない。

「私は、いたよー。で三ヶ月で別れた」

「それ、早くないっすか?」

「えー、やっぱり? なんか私長続きしないんだよねー。だからやめたほうがいいよ。恋愛なんて」

その時、不意に見せた彼女の寂しい表情を僕は見逃さなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る