第16話。御伽の記憶

御伽おとぎ。大丈夫?」


 季節の変わり目に御伽が風邪を引いた。


「平気だから……」


 御伽は体調を崩したまま寝込んでいた。起きている時間が少なくなり、ずっと横になっていた。


「御伽って、昔から体が弱かったんだよね?」


「そうだけど……」


「どうして、お母さんは御伽に対しては僕と同じ扱いをしなかったの?」


 御伽から聞いた話だと、母親からは一度も監禁されたことがないそうだ。


「私の体が耐えられないから。もし、私が監禁されていたら、死んでいた可能性の方が高かった」


 長い間、僕は監禁生活を送ってはいたが、死に至るようなことはなかった。だけど、少しづつ自分というモノを失うような感覚があった。


 もし、竜胆さんの家で過ごした時間が、人間として生きているというのなら。監禁部屋で過ごした時間は死に向かっていた。


「……お母さんは狂人だったの?」


「ママは狂っていた。ううん、狂ってしまった」


「狂ってしまった?」


「昔は、あんな人じゃなかった」


 昔。僕には母親の記憶がほとんどなかった。監禁部屋で僕の世話をしてくれたのは御伽だ。御伽に押し付けた後から、母親は監禁部屋に立ち入ることはなかった。


 だから、あらためて母親のことを知りたいと考えた。


「いったい何が起きたの?」


 御伽が腕を差し出してくる。


「……結莉ゆうり。隣に来て」


 僕は御伽の隣に近づいた。すると、御伽に頭を抱き寄せられ、その熱を感じた。


「私の記憶がある範囲で話してあげる」


「記憶がある……」


 御伽の言い方に違和感を覚えたけど、言葉を遮りたくなかった。


「それは結莉が生まれるより前のこと。ママは他の誰かと比べても、普通の母親だった。ううん、むしろ、優しいくらいで……狂ってなんかいなかった」


 母親の狂気を御伽が感じていた。それでも御伽には母親のやっていたことが正しいと思っていたのか。


「どうして、お母さんは変わったの?」


 母親の異常性。自らの子供を部屋に閉じ込め、外の世界と隔離する。いつからか僕は母親の行動が異常だと気づいていた。


「私が入院している間に事故に遭った」


「事故?」


「そう。だから、私が退院する頃にはママはもう別人のように変わってた」


「その事故って、何があったの?」


 僕が聞きたいのは、どんな事故が起きたのか。


「階段の上から落とされた」


 御伽はハッキリと言葉を口にした。


「それは……誰に落とされたの?」


「犯人は見つかってない。でも、ママが突き落とされる瞬間を見てた人がいた」


 つまり、誰かに殺されたというのか。


「お母さんを突き落とした人って……女の人?」


 僕の頭に最初に浮かんだ人物は、竜胆りんどうさんだった。


 竜胆さんがやった確信なんてなかった。けれども、竜胆さんならやってもおかしくない。なんて、考えるのは僕が竜胆さんと関わってしまったせいだ。


「ううん。男」


 それなりに時間が経っていると思うけど、犯人が見つかっていない。犯人が見つかったところで、僕も御伽も何も言うことはないだろう。


「お母さんって、誰かに恨まれるような人間だったの?」


「よく分からない。ママは外だと普通に振る舞ってたし、誰かと揉めてるなんて話も聞かなかった」


 だったら、母親は誰に突き落とされたのか。


「でも……あの人はママを恨んでるかも」


「あの人って誰?」


「パパ」


 父親のことは母親や御伽から話を聞いたことがない。一度も見たことがなかったし、気にもしていなかった。


「御伽はお父さんに会ったことがあるの?」


「どうだろう。小さい頃、パパが……」


 御伽の言葉が詰まる。


「私のパパは……」


 御伽の言葉が詰まり苦しんでいる。それでも御伽は必死に言葉を口にしようとする。僕を抱きしめる力が強くなり、御伽の体が強ばっていた。


「違う。私のパパは……ナツメじゃない」


 ナツメ。


 その名前が、何故今出てくるのか。


 竜胆さんの家に出入りをしていた男。竜胆さんと親密な関係を持ち、マキの父親となるはずだった男だ。


「御伽。夏芽なつめに会ったことがあるの?」


 御伽の薄ら開いた瞳が僕を見つめる。


「なんのこと?」


「……っ」


 何度か質問を重ねてみるけど、御伽が同じ回答に辿り着くことはなかった。御伽の過去の記憶は閉ざされているのか、本人の意思でも思い出すことは難しい。


 すぐに御伽の熱が酷くなった。本当は病院に連れて行きたかったけど、御伽が泣きわめいてしまって手がつけられなくなった。


 よく考えれば、御伽が病院嫌いになる理由ならあった。僕は御伽の熱が下がるまで傍で看病を続けた。


 今の僕にとって、御伽が唯一の家族だ。




 御伽の熱が下がったのは、発熱から一週間が過ぎた頃。このまま御伽が死ぬのではないかと思う日もあったけれど、御伽には生きる意思が残っていたように感じた。


「御伽……暑苦しい……」


 風邪が治った御伽は僕にべったりするようになった。元々、それなりの距離感があったのに、今はもう四六時中一緒に行動をするようになった。


「姉として、結莉を守る」


「……お母さんに言われたからじゃないの?」


「なんのこと?」


「だから、僕のことを守ってほしいって」


 御伽は母親の意志を継いでいると思った。だけど、母親の意思ではなく、真似をしているだけ。実際は何かを引き継いでいるわけじゃなかった。


「そんなこと言われてない」


「え?」


「結莉のこと守ってあげて。なんて言われてない」


 つまり、本当に御伽の意思で口にしていたのか。


「でも、あの人が似たようなこと言ってた覚えが……」


「私も記憶が曖昧。もしかして、似たようなことを言われたのかも」


 御伽の記憶。何か大切なモノが抜け落ちているように感じたけど、無理をして思い出させる方法もなかった。


「似たようなこと……」


 僕の記憶が間違っているのだろうか。


 そんなことを考えていた時のことだった。


 突然、玄関の呼び鈴が鳴った。


 僕と御伽が驚いたのは当然だ。この家を訪ねてくるような人間は限られている。


「御伽?」


「私から離れないで」


 御伽が部屋を出て行く。御伽が外の様子を確認したかと思えば、台所まで移動する。御伽が棚の中から包丁を取り出すと、玄関が開く音が聞こえた。


「入ってきた……」


 泥棒だろうか。しかし、呼び鈴を鳴らしてから時間が短すぎる。中に人が居るか、確認する時間じゃなかった。


 御伽は包丁を持ったまま、廊下に続く扉に近づいた。そのまま躊躇いもなく、扉を開けると、そこに立っていた人物を顔を合わせることになる。


「よかった。御伽」


 廊下に居たのは、知らない男だった。


「……」


 御伽が背中に隠した包丁を強く握る。


「もう、ここには長く居られない。だから、お父さんと一緒に暮らそう」


 父親。御伽の父親。それは、つまり。


「アナタなんて知らない」


「御伽……これまでのことは謝りたい。彼女から御伽には会わせないと言われて……なっ」


 突然、男が驚いた。一瞬、視線が合ってしまったけど、御伽が僕を隠してくる。


「その子はいったい……?」


「私の大切な弟」


「御伽、何を言ってるんだ……」


 何かが、おかしい。


 男の顔は焦り、怯え、戸惑っている。


 ソレは御伽の言葉を受け入れられていない。


 何故、受け入れないのか。


 答えは、簡単だ。


「キミの弟は死んだはずだろ?」


 その言葉を僕が理解するよりも早く、御伽が動いていた。御伽は手に持った包丁で男に襲いかかろうとする。だけど、僕は御伽の背中に抱きついていた。


「結莉、どうしたの……?」


「はぁはぁ……」


 上手く呼吸が出来ない。理解しようとすると、頭の中で色々な感情が溢れてくる。御伽の熱が無ければすぐにでも気が狂ってしまいそうだ。


「その子はいったい……」


「帰って」


「いや、しかし……」


「今すぐ帰らないと、殺す」


 御伽の言葉は恐ろしく響いた。男は転がるように家を出て行った。最後に見た男の顔は恐怖に満ちており、自分の子供に向けるものとは思えなかった。


「御伽」


 僕は御伽から離れた。


「結莉……いやだ……」


 すぐに御伽が僕の体に抱きついてきた。


「僕は御伽のこと信じてる。だから、本当のことを話してほしい」


「本当のこと……」


 御伽が頭を抱え、髪をかきむしる。


「違う……あの男が嘘を……違う……嘘って。間違ってるのは……何が間違って……」


「死んだって、話はなに?」


「わからない。結莉と私は……生まれた時から一緒にいる……だから、いないなんてありえない」


 僕の記憶が正しければ、母親と御伽に育てられたのは間違いない。


「でも……」


 御伽の手が僕の頬に触れてくる。


「あまり、お父さんに似てない」


「……っ」


 いったい、どうなっているのだろうか。


「御伽。僕を手伝ってほしい」


「わかった。なんでもする」


 僕は本当の過去を知りたかった。


「あの男の人ともう一度話せない?」


「パパの連絡先は知らない。待ってたら戻って来るかもしれないけど、結莉を見られたのはよくなかったかも」


 もし、あの男の言葉を真に受けるなら。僕は御伽と引き離される可能性がある。今の御伽が僕を失えば、何をするか考えるだけで恐ろしい。


「御伽?」


 御伽は家の中に目を向けていた。


「結莉は何が知りたいの?」


「それは……僕の正体だよ」


「もしかしたら、わかるかもしれない」


 御伽は歩き出し、一つの部屋の前に止まる。


「この部屋にママの残したモノがある」


 そこは僕が監禁されていた部屋だった。今はガムテープを使って、部屋の扉が開けられないようにしている。


 それも気休め程度だったけど、お互いに立ち入らないという意味では。役に立っていた。


「ここに……?」


「この部屋に入ろうとすると、頭が痛くなる。我慢すれば何とかなるけど……」


 母親の真似ていた御伽は部屋に入っても平気だった。だけど、今の御伽が踏み入れることが出来ないのは、記憶が曖昧なことと関係があるのだろうか。


「結莉。きっと、ここを開けたら後戻り出来なくなる」


「……かもしれない。でも、このまま何も知らず、何も思い出さず、二人で腐っていく方が御伽はいい?」


「私はそれでもいい」


 御伽が僕を抱きしめてくる。


「もう、結莉を失いたくない」


「大丈夫だよ、御伽。僕は何も変わらない」


 僕は御伽に嘘をついた。


 もしも、この先にある真実が、僕の人生を狂わせるものなら。また僕は別の人間として生まれ変わってしまうだろう。

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