第12話。雛鳥の食事

 変わりない日々に僕は慣れ始めていた。


 マキに真実を告げることも出来ず、時間だけが過ぎてしまった。


「髪、伸びたな……」


 長い髪。竜胆りんどうさんとマキが毎日手入れをしてくれたおかげなのか、僕の髪は自分でも不気味でも見えるくらい綺麗に伸びていた。


「結莉くん」


 平日の昼間。今はマキはいない。


「竜胆さん……」


「喉。平気ですか?」


「はい……」


 少し前から、喉に違和感があった。竜胆さんに薬を貰ったりしたけど、症状が治まることはなかった。


「結莉くん。服、全部脱いでくれませんか?」


「え、いきなり何を言って……」


「ちょっとした確認です」


 竜胆さんとは何度か一緒にお風呂に入っているし裸を見られることに抵抗はない。


 上着を脱いで、肌を露出する。


「うーん」


 僕の体に竜胆さんの柔らかな指先が触れる。


「もしかして、僕。病気ですか?」


「だとしたら困りますね」


 竜胆さんは胸の辺りを触ったり、ワキに触れてくる。触るだけで病気の判断が出来るとは思えないけど、竜胆さんは至って真面目そうだった。


「ズボンも脱いでください」


「下を確認する必要はないと思いますけど……」


「だったら、質問に答えてください」


 竜胆さんは僕の下半身を指さしてくる。


「毛。もうはえましたか?」


「……っ」


 そのことを竜胆さんに言った覚えはない。


「やっぱりそうですか」


 竜胆さんは近くの椅子に座った。


「結莉くん。本来なら学校で教わることです。今、結莉くんは子供の体から、大人の体に変わろうとしています」


「それって……」


「喉の違和感はおそらく声変わりです」


「……っ」


 声変わり。その言葉を告げられた時、僕は自らの喉に手を当てた。喉の違和感を覚えた時から、何か変なことはわかっていた。


「今までとは違い、これから結莉くんは高い声が出にくくなり。低い声が出るようになります」


「それじゃあ、マキに僕が男ってバレるじゃないですか」


「初めからわかっていたことです。結莉くんが男の体を持って生まれた以上、決まっていたことです」


 竜胆さんの言葉を聞いて、僕は初めて竜胆さんに苛立ちのようなものを覚えた。


「それじゃあ、結局。マキの男嫌いを治さないと、僕がここに残ることは出来ないってことじゃないですか」


「あの子は許さないかもしれないですね。でも、あくまで結莉くんは私のモノ。勝手に手を出すことはさせませんよ」


 もし、殺したいほどの相手が隣にいる時。誰かにやめるように言われたところで、抱いた殺意がどれほど抑えられるだろうか。


 マキは何もかもが異常だ。何人もの人間が一つの塊を作り上げているような。不安定で曖昧な存在。


 そんな、マキが真実を知った時。おとなしく竜胆さんの言葉に従うだろうか。


「不安に思うなら、あの子の男性恐怖症を治してみたらどうですか?」


「……」


 実際に治そうとしても、方法がなかった。


 マキの症状は男性恐怖症と言うよりも男嫌いと言うべきものだと気づいた。竜胆さんがわざわざ難しい言葉を使っているのも理解出来ないけど、マキが考え方を変えないと治しようがない。


「あの子に。命令してみたらどうですか?」


「命令って……」


「結莉くんの言葉なら従ってくれますよ」


 これまでに一度も僕はマキに命令どころか大きな頼み事もしたことがない。マキは何でも聞いてくれると言っていたけど、限度はあるはずだ。


「それは僕が女の子であるという前提があるからで。男だとわかれば、意味はないと思いますけど」


「また同じ言い訳ですね」


 もう、何度も同じことで竜胆さんと言い争っていることはわかっている。だけど、自分が納得出来ないことを考えないようにするのは難しい。


「だいたい、本当なら竜胆さんがマキの……」


 言葉は最後まで続かなかった。


 竜胆さんは僕を使ってマキの男性恐怖症を治す方法を選んでいる。竜胆さんが無責任だとか、言う資格は僕にはなかった。


「竜胆さんが、マキの男性恐怖症を治したいのは。産まれてくる子供に、父親を用意したいからですよね?」


「そうですね」


「だったら、男性恐怖症そのものを治すんじゃなくて。先に再婚相手に慣れてもらう方がいいんじゃないですか?」


 それで男に慣れることも出来る。


「それは、いいアイデアですね」


 竜胆さんの笑顔。何か嫌な予感がする。


 僕が考えつくことを、竜胆さんが思いつかないわけがない。ただ、僕がマキと出会ってから、竜胆さんがマキと再婚相手を会わせたのは一度きりだった。


 竜胆さんの言葉は、矛盾している。確かにマキが暴れてしまえば、手が付けられない。だけど、竜胆さんは確実に僕をマキから守れると口にした。


 それはつまり、竜胆さんにはマキを従えさせる何かがあるということ。


「だから、竜胆さんにお願いがあるんですけど」


「いいですよ。私に出来ることなら」


 むしろ、竜胆さんにしか出来ないことだと思う。竜胆さんには再婚相手の男に連絡してもらって、マキと引き合わる手伝いをしてほしい。


 頼んでみれば呆気なく、竜胆さんは電話を使って連絡をとってくれた。会話の内容を聞く限り、今日の夕方に四人で食事に行くことになった。


「そういえば、相手の人の名前って何ですか?」


 あまりにも興味がなさすぎて、聞いてこなかった。


「ナツメ」


「ナツメさん?」


「夏芽」


 竜胆さんはわざわざ、紙に文字を書いてくれた。


「夏芽さんとは、昔からの仲ですか?」


「そうですね。夏芽とは大学のサークルで知り合い、今も関係が続いている感じです」


「そう、ですか……」


 それなりに年の差はあると思っていたけど、不思議なのは竜胆さんからは夏芽に対する好意をまったく感じられないことだった。




 学校から帰ってきたマキを、竜胆さんは有無も言わさずに着替えさせ。そのまま車で連れ出してしまった。


 車で十分も走らないうちに、目的地であるファミレスに到着した。


 あの男の人、名前は『夏芽』だと竜胆さんが言っていたけど。特に聞き覚えのある名前ではなかった。夏芽は先に着いていたようで、竜胆さんがファミレスの中に入れば、真っ直ぐその席に向かった。


「私、帰るわ」


 異変に気づいたマキは立ち止まり、僕の腕を掴んでいた。おそらく、マキは僕を連れて帰るつもりなのだろう。


「マキ。僕、お腹すいたなぁ……」


 わざとらしくマキを引き止めようとする。


「結莉。そんな演技は必要ないわ」


 マキは僕の腕を引いたまま夏芽のいる席に向かう。マキのことだから違う席に座るぐらいはやると思っていたけど、僕の意思を汲み取ってくれたようだ。


 当然のように竜胆さんは夏芽の隣に。僕とマキが隣同士に座り込み、四人での食事が始まろうとしていた。


「久しぶりだね。マキちゃん」


 夏芽は不慣れな笑顔でマキに声を掛けた。


「話しかけないでくれないかしら」


 前に比べて、随分とマキの態度が落ち着いているように見える。もちろん、決して良い状態とは呼べるものではなかったけれど、いきなり殴りかからないだけマシだった。


「結莉。何食べる?」


 マキは立て掛けるようにメニューを広げて、僕に見せてくる。


「あの、マキ……」


 ちょうど視界が遮られているから、小声でマキと話すことにした。


「何かしら?」


「お願いだから、いきなり暴れるようなことはしないで……」


「そうね。なるべく、善処するわ」


 いくら僕から頼んでも、人間であるマキが感情を抑えるにも限度がある。もし、抑えられるようなら、そのままに。抑えられないのなら、僕はマキを死ぬ気で止めなければならない。


「あ、これ。頼みましょうか」


 マキが指さしたのはお子様ランチだった。


「マキ、怒ってる?」


「別に怒ってないわ」


 ああ、マキは絶対に怒ってる。


「僕は、これが食べたい」


「なら、私も同じ物でいいわ」


 マキはメニュー表を竜胆さんに投げるように渡した。竜胆さんは特に気にする様子もなく、メニューを見ていた。


 四人分の注文が終わってからの待ち時間。予定通り、話を切り出すのは竜胆さんだった。きっと、竜胆さんなら上手くやってくれる、


「マキ。私、今妊娠してるのよ」


 ガシャンと、食器が音を鳴らした。


 隣を見てみれば、マキが拳を握りテーブルを殴りつけていた。表情が一切変わっていないのがむしろ怖い。


「だったら、なにかしら?」


 マキの空いた手が僕の手を握っている。


「妹だと、いいわね」


「妹だろうが、弟だろうが。私には必要ないわ」


「結莉くんだって、アナタとずっと一緒にいられるわけじゃないのよ」


「それは何故かしら?」


 僕は竜胆さんのモノであって、マキとは一緒にいられない。もし、これから先の生活で夏芽が竜胆さんと暮らすなら、マキが家で出て行くような気がした。


 その時、僕はマキにはついていけない。今、この世界に結莉は存在しない。僕は死に続け、生きることを諦めてしまった人間。


 竜胆さんは、終わりの時まで僕の存在を隠すと言っていていた。だけど、マキに、そんなことが出来るとは思えなかった。


「結莉くんがアナタを信じていないからよ」


「……っ、だったらお母さんなら結莉は信じるって言うの?」


「ええ、そうよ。私は結莉くんの神様。結莉くんは私以外を信じることなんて、初めから出来ないのよ」


 マキが僕を見ている。


 僕は、なんて答えるべきなのだろうか。


「マキ、ごめん……」


 だけど、僕は答えなんて持っていない。


「それで、お母さんは。その男と再婚するつもりなのかしら?」


「ええ、そうよ」


「ふーん」


 あれ、何かマキの様子がおかしい。


 竜胆さんがすべてを暴露した。


 なのに、その態度は落ち着いていて。むしろ、僕のことに関しての会話をした時が、一番感情を荒立てていたようにも感じた。


「だったら、結莉は私が貰うわ」


「ふふ。アナタは何を言ってるの?」


「お母さんは、その人と仲良くやってればいいじゃない。そうなれば私と結莉は邪魔になるでしょ」


 ここで二人の会話に割り込むなんて、無謀だと誰でもわかる。だけど、僕以外にも会話を聞いている人物はいる。


 夏芽が会話に混じることに気づいた時、僕は咄嗟にマキの腕を掴んでいた。これまでになく、僕の嫌な予感が当たる気がしていたからだ。


「俺は竜胆とマキちゃんの三人で暮らしたいと思って──」


 その瞬間、マキは置かれていたフォークに手を伸ばしていた。マキの体が浮かび上がり、テーブルに足を掛けながら、手に握られたフォークを夏芽さんの眼球目掛けて振り下ろした。


 赤。世界は染まる。


 僕は。


 マキを止められなかった。


 僕は。


 いったい何を間違えてしまったのだろう。

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