第11話。雛鳥の傷跡

「全部、私に任せていればいいの」


 御伽おとぎが僕の体に手を伸ばす。


「……うわぁっ!」


 声を上げて、僕は飛び起きた。


「ん……結莉ゆうり……」


 僕の声を聞いて、隣で眠っていたマキが体を起こした。すぐにマキは僕の体を抱き寄せて、寝ぼけながらも頭を撫でてくれた。


「また、怖い夢を見たの?」


「ごめん……」


 僕が御伽の家から竜胆りんどうさんの家に戻って来てから一週間。少しづつ元の生活を取り戻そうとしていた。


 マキは態度は相変わらず。僕が殴ったことを気にしてる様子はなく、今もこうして一緒に眠ってくれていた。


「大丈夫。あの子はもういないから」


 あの子。御伽のことを言っているのだとしたら間違いはない。御伽は学校にも姿を見せずに行方不明になっていた。


 もし、御伽が僕を本気で連れ戻すつもりなら、この家に現れるはずで。今日まで御伽が姿を見せることはなかった。


 やっと、心置き無く眠ることが出来ると思っていたのに。症状は以前よりも悪化していた。


 マキは部屋の明かりをつけた。まだ窓の外は真っ暗で、布団に入ってから時間が経ってないことがわかった。


「お茶でも入れてくるわ」


「いや、別に喉は……」


 僕の言葉を無視して、マキは部屋を出て行った。


「……」


 膝を抱えて、頭を伏せる。


 マキは、御伽のことに関して何も聞かない。


 姉が弟を家に連れ戻しただけの話。真実を知ってしまえば、マキよりも御伽の主張が正しいことは明白だった。


 だけど、御伽はやり方を間違えた。


「結莉」


 部屋に戻ってきたマキの手にはコップが握られている。


 マキから差し出されたコップに手を伸ばして、受け取ろうとした時。僕の手からコップは抜け落ちてしまい、地面で砕け散った。


「……」


 コップが破片に変わる瞬間のことだった。マキは顔色を変えるどころか瞬きもせずに僕のことを見ていた。


「ごめん……」


 マキは、以前のマキとは違う。


 元々、マキは片耳が聞こえずらかった。日常生活に影響を与えるほどではなかったけど、それに僕が手を加えた。


 今のマキは周りの音があまり聞こえていない。僕が殴った方が重症で、今は元から聞こえの悪かった方の耳が頼りだった。


 マキも竜胆さんも僕を責めるようなことはなかった。


 僕はマキに嘘をつきながら、傷もつけた。だと言うのにマキが許してくれるのは、何故なのだろう。


「結莉。全部私が悪いのよ」


 マキは地面に散らばる破片を拾い始める。


 僕も手伝うつもりで、破片に手を伸ばせば。痺れるような痛みを感じた。


 指から流れる赤い血。我慢出来ないほどの痛みじゃなくても、もっと別の場所がジンジンと痛んでしまう。


「結莉」


 マキに腕を掴まれた。僕の指先がマキの開いた口に入る。マキの柔らかな舌が、傷口を舐め。まるで血を吸われているようだった。


 僕はマキの口から指を引き抜いた。


「どうして、マキは僕を許してくれるの?」


「結莉は何も悪いことしてないわ」


 その言葉は余計に僕の心を乱す。


「マキ、お願いだから僕を叱ってよッ!」


 マキに確かな声を届けたくて、僕は叫んだ。


 その時、マキの表情は変わる。いつも何を考えているかわからないのに。今日だけはハッキリとわかる。


「マキ……なんで笑ってるの……?」


 ああ、やっぱり。マキは竜胆さんの娘だ。


 その笑みは、とても恐ろしい。


「結莉。アナタに私を傷つけた責任がとれる?」


「それは……」


「私がアナタを責めることは簡単よ。けれど、それでアナタが許されたと思うなら。それは与えられた罰から逃れるということよ」


「……っ」


 僕は、いつまでも自分勝手だった。


 結局は自分のことしか考えていない。


「もし、私が役目を与えることで結莉の気が晴れるのなら。結莉が私の傍にいてくれるだけで、私は満足よ」


 僕は竜胆さんの所有物。だけど、竜胆さんもマキも僕のことを御伽のように束縛したりしない。だから僕は、ずっとこの場所にいたい。


「うん。もう何処にも行かない」


 僕はマキの失ったモノを補いたい。


 許されようとも思わない。


 この痛みを忘れたくはない。




「竜胆さん」


 マキの代わりにコップの破片を一階に持っていくと、竜胆さんがキッチン側の椅子に座り込んでいた。


「どうしたの?」


 竜胆さんの様子がおかしい。どこかふわふわしているというか。言葉の裏に何も隠されていないような感覚。


「ごめんなさい。コップを割ってしまって……」


「そう」


 竜胆さんに近づくと、僕の腕は掴まれる。


「怪我したのね」


「あ、もう大丈夫です……」


 血は出ていない。だけど、竜胆さんはマキと同じように僕の指を口に含んだ。しかし、マキとは違い明確に指を吸うような感覚があった。


 特に嫌なわけじゃなかったけど、手に持っていた破片の入ったゴミを早く捨てたかった。竜胆さんからは隅に置いておくように言われ、冷蔵庫の傍に置いた。


「竜胆さん。もしかして飲んでますか?」


「いいえ」


 竜胆さんが腕を伸ばして僕を抱き寄せてくる。


「あの……」


 今なら答えてくれるかもしれない。


「マキの耳が悪いのは、生まれつきですか?」


「……」


 竜胆さんの吐息が耳元で聞こえる。


「まさか、寝て──」


「父親にやられたのよ」


「え……」


 僕は竜胆さんの口にした言葉がすぐには理解出来なかった。


「あの子がまだ小さかった頃。夫は個人経営の仕事が上手くいかず、毎日お酒を飲んでは。吐け口のように私を殴っていた」


「……っ!」


 竜胆さんの昔のことを僕は知らなかった。


「でも、それをあの子が知った時。夫に向かって罵声をあびせて、置いてあったバットで夫を殴ったの」


「それでマキは……」


「子供の力なんてたかが知れてる。殴られた夫はあの子からバットを奪い取って、頭を殴って怪我を負わせた」


 この話を聞いて、マキが以前。竜胆さんの再婚相手を殴ろうとしたことを思い出した。


 マキのやり方は昔から何も変わっていない。何かを守る為に、弱い自分に武器を与える。後先なんて考えることはしない。


「あの子は意識不明の重体。しばらく病院のベッドで眠っていたけれど、数日後には目を覚ました。そして、あの子が退院する頃には、既に父親と呼ぶべき人はいなくなっていた」


「それがマキが男性恐怖症になった理由ですか?」


「まあ、キッカケにはなったかしら」


 父親からの暴力。形は違えど、僕が母親や御伽から受けていた躾も似たようなものなのかもしれない。


「結莉くん……水をお願い……」


 竜胆さんは少し深い呼吸をした後に僕に頼み事をした。


 冷蔵庫には入っているペットボトルの水を竜胆さんに渡すと、飲んだ。僕は今のうちにマキのいるところに戻ろうとした。


「ああ、結莉くん。今の話は聞かなかったことにしてもらえますか?」


 竜胆さんは、いつも通りに戻っている。


「どうしてですか?」


「辛いことは忘れていた方がいいですから」


「マキは……覚えてないんですか?」


「入院したことは以外は何も」


 竜胆さんだけが持つ、マキの過去。もし、過去が原因でマキが苦しんでいたなら、僕には何も出来ないのではないか。


「竜胆さん。僕は……」


 竜胆さんに僕の必要性を尋ねたとしても。返ってくる言葉は決まっている。


 期待なんて初めからされていない。だったら、失敗したって竜胆さんが僕を叱るようなことはないはずだった。


 だから、僕は前に進みたい。


「マキに。本当のことを言いたいです」


「そう……」


 竜胆さんが僕に手を伸ばす。そのまま僕の体は竜胆さんに抱き寄せられ、優しい抱擁を受ける。そして、酷く鋭い爪が背中に喰い込んでくる。


「竜胆さん……っ!」


「死にたくないなら、黙ってた方がいいですよ」


「……死ぬ?」


 何故、そこに死があるのか。


「結莉くんがやったことは、昔に父親のしたことと同じ。もし、あの子が結莉くんの正体を知れば。まぁ、言わなくてもわかりますか」


「それでも僕は……」


「あの子が結莉くんを殺せば。もう、あの子は二度と幸せにはなれない。自分の手で過去も、今も、未来も壊した人間が。正常でいられると思いますか?」


 マキも竜胆さんも、僕の自分勝手な考え方を。少なくとも僕が正論に感じる言葉でねじ伏せてくる。


 僕は。ただ鳴き喚く雛鳥のようだ。


 与えられた餌を啄むことしか出来ない。


 餌を呑み込み。消化して。排出する。


 それ以上のことを、誰も望んでなんかいない。


「きっと、竜胆さんの言葉に従っていれば何も問題はないかもれない。でも、僕が決めたことまで竜胆さんは否定しますか?」


「いいえ。結莉くんの考えを否定するつもりはありませんよ。ただ。真っ直ぐな考え方をするほど、周りが見えなくなる。それが自分にとっては最善の手段であったとしても、はたから見れば穴の空いたザルと同じ。みっともなくて見てられない」


 僕は竜胆さんに口論では勝てない。


「結局、僕は何も選んだらダメなんですね……」


 僕から離れた竜胆さんは、再び椅子に座った。


 竜胆さんは笑ってはいない。


 何を考えているかもわからない。


「一つだけ、結莉くんの望みを叶える方法ならありますよ」


「それって……」


 竜胆さんは何も答えてくれない。


 自分で考えろということなのか。だけど、僕の考えは竜胆さんにしてみれば浅はかで、完全な答えには辿り着けない。


 僕が一人で踏み切れないのは、僕自身がマキを信頼していないから。竜胆さんが言うように命の危険を感じないわけじゃなかった。


 もし、真実を話すことが許されるとしたら。


 それは僕がマキを信じた時。でなければ、僕はマキに拒絶され傷つけられた時、後悔をしてしまう。


「竜胆さん。おやすみなさい」


 これ以上、竜胆さんと話しても何も決まらない。


 マキの部屋に戻りながら、答えのない問題を解こうとする。けど、それがすべてが無駄であることを思い知らされるように、マキの部屋に着いていた。


 扉を開けると、マキが布団に横たわっていた。


 ゆっくりと、マキに近づき、傍に座れば。僕の体はマキに抱き寄せられる。その優しさが余計に僕を苦しめてしまう。


「マキ……ごめん……」


 マキに聞こえないように呟いた。


「結莉。好きよ。何があっても」


 真実を知らない僕達の関係は今日も変わらない。

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