第10話。御伽の束縛
今日は何曜日だっけ。
今日は何日だったっけ。
暗い。何も見えない。
何も聞こえない。
また僕は戻ってきてしまった。
この黒くて、何も無い世界に。
「
閉ざされていた扉の向こうから真っ暗な部屋に光が差し込む。そこから現れた
御伽が足を踏み入れた、この空間。床や壁、さらには天井にはノイズのような写真が、貼り付けられている。
僕の体は椅子を縛られ、自由に身動きが出来ない。おまけに口に貼られたガムテープが邪魔で、声を出すことすら出来なかった。
だけど、食事の時はガムテープを剥がされる。御伽は加減を知らないのか、剥がされる時に痛みを伴う。
「……」
「結莉。ほら食べて」
口を開けなくても御伽は食べ物に見える何かを顔に押し付けてくる。食べなければ無理やり口を開かれ、喉の奥に押し込まれる。
食事が終われば、再びガムテープを口に貼られ。下着の代わりに付けられているオムツを確認される。僕はこの部屋から出ることが許されず、トイレに行くことも出来ない。
監禁生活が始まり数週間が経過した。
次第に僕は経過した日数を数えなくなり、暗い部屋の中で目を閉じ、永遠にも感じられる時間が経過するのをただ待つだけの毎日を送っていた。
「結莉。大丈夫。私が守ってあげるから」
御伽が部屋を出ていけば、部屋は再び暗くなる。窓はガムテープで閉鎖されており、昼でも明かりが差し込むこともない。故に今が朝なのか夜なのか、正しい時間すらわからなかった。
「……」
最悪な結末。
僕の選択が招いた結果であり、後悔している。
御伽が狂気を孕んでいることは初めから気づいていた。僕は御伽の狂気に呑まれないように、逃げ出したのに元の鳥かごに連れ戻されてしまった。
嫌味ように御伽は僕のことを結莉と呼び。本当の名前を口にはしない。僕を女の子として扱うのも御伽は母親を真似て、罰を与えているつもりなのだろう。
「……」
だけど、御伽のやることはくだらない。
所詮、御伽のやっていることは。今まで母親が僕にやってきたこと。今さら苦しみを感じることなんてなかった。
ただ、僕は少しづつ腐り始めていた。
既に生きる希望を失った。また長い時間をかければ、御伽の束縛から逃げられるチャンスがあるかもしれない。
だけど、もうどうでもよかった。
今の僕に行くあてなんてない。もう一度、誰かに拾われたとしても、
だから、このまま御伽のままごとに付き合い続けるつもりだった。その方が誰も不幸にならず、傷つけなくても済む。
そんなことを考えて、今日も一日が終わる。
繰り返される毎日。このまま何事もなく変わらない日々が過ぎると思っていた僕にとって、それは大きな変化だった。
「結莉……?」
御伽が僕に駆け寄ってきた。だけど、すぐに御伽の顔が歪んでしまう。何か違和感があったけど、視線を下げればすぐにわかった。
自分の脚が吐瀉物まみれになっていた。汗やら何やらが全身から溢れ出し、酷い腹痛に襲われてしまう。
「結莉、顔が真っ青になってる……」
御伽の動揺に比べて、僕は酷く落ち着いていた。
何も考えずに御伽は僕の口元のガムテープを剥ぎ取った。あまり痛みを感じなかったのは、ほとんど外れかけていたから。
「酷い熱……それにこれって……」
御伽は一度部屋から出て行った。すぐに戻ってきた御伽の手には水の入ったペットボトルが握られていた。
「結莉。飲んで」
僕の口に御伽がペットボトルを当ててくる。だけど、喉が痛くて、口に含んだ水をすべて吐き出してしまう。
「どうしよう……このままじゃ……結莉が死んじゃう……」
なんとなく、僕は気づいていた。御伽の作った料理によくないものが入っていたことに。御伽は色々な料理を作るけど、美味しいものばかりじゃない。
その中の一つにお腹を壊すような物があった。
「御伽のせいで、僕は死ぬ……」
嫌味のように口にした言葉。御伽だって、原因に気づいている。だけど、どうやって解決すればいいかわかっていない。
「結莉を死なせたくない」
御伽は自らの口に水を含んだ。そのまま僕に顔を近づけると、唇を重ねる。強引に水を飲まされ、吐き出そうとしても、御伽が口を塞いでいる。
繰り返すうちに水を飲むことが出来た。御伽の必死さが伝わってしまい、僕は御伽と唇を重ねることに何も感じなかった。
どうして、いつも御伽は母親の真似なんてするのだろうか。今の御伽なら、僕は心さえも許してしまえるのに。
本当に残念な人だった。
数日が経つと熱が下がり吐き気も無くなった。
なんとか僕は生きているけど、お互いにまともに寝れていなかった。御伽は目の前で膝を抱えて座り込み、顔を伏せている。手に包丁が握られているのは、万が一を考えてだろうか。
「結莉は私が絶対に守ってあげるから。だって、結莉は私に残された最後の家族だから……」
うわごとのように御伽が言葉を口にする。
もし、正常な状態であれば、僕は御伽の言葉を受け入れていたかもしれない。だけど、どれだけ御伽が必死に僕を看護しても、今さら僕の心は御伽には向けられなかった。
「家族……」
この部屋が僕にとって、世界のすべてだった。
母親に閉じ込められた長い年月。母親と僕が言葉を交わした時間は僅かだったが、多くの母親の言葉を知っているのは御伽のせいだ。
御伽は僕に知識を与え、愛情を与えてくれた。
だけど、彼女が母親と同じ行いをするなら。
「僕は、御伽を家族だとは思わない」
「どうして、そんなこと言うの?」
御伽がゆっくりと顔を上げた。
「僕が好きなのは、姉の御伽であって。今の御伽じゃない。死んだ母親の真似しか出来ないかわいそうな人間。母親が死んだんだから、同じように死ねばいいんだよ」
きっと、僕が母親に抱いている感情は怨みだ。だって、母親が死んだと聞かされた日、僕は本当に嬉しかった。
やっと自由になれたと思っていたのに。次は御伽が僕を束縛しようとした。だから、僕は御伽を騙して、逃げ出した。二度とここには戻らないように。
「結莉。やっぱり、あの女に余計なことを……」
「御伽。マキに手を出したら、許さないから」
「今の結莉は何を言っても無駄」
「いいや。無駄じゃないよ。僕は怨みを忘れたりはしない。何年、何十年かかろうとも、僕は御伽を殺す。御伽を殺す為だけに生き続ける」
駄目だ。今の状況で御伽を上回ることは不可能だった。どれだけ強い言葉を選んでも、御伽の立場が揺らいだりはしない。
「そんなの……望んでない」
なのに、御伽が動揺していた。
「私は……」
御伽が頭を抱え込む。
「ママ……どうしたら……」
いったい御伽は何に反応をしたのか。
「死ぬのは怖い……」
御伽の口からハッキリ聞こえた。
どれだけ異常者に見えても、御伽の精神年齢は幼いままだった。母親の死を身近に味わい、弟からは殺意を向けられる。
そんなの普通なら耐えられない。
「結莉だって、同じでしょ」
御伽が動き出し、僕の傍に近寄る。御伽の手に握られた包丁が僕の首元に触れてくるが、何度も同じ脅しをされたせいで慣れてしまった。
「死ぬのは怖いよね?」
「別に怖くない」
「本当のこと言ってよ」
「怖くない。だって、こんな最悪な生活を続けるくらいなら死んだ方がマシだよ。僕は御伽に同情も同感も出来ない」
きっと、御伽は感情的なってしまったのだろう。
包丁が僕の皮膚を切る。
「御伽。母親の言いつけを破るの?」
「……っ!」
御伽が離れて、包丁を落とした。
「御伽は母親との約束も守れないんだね」
「違う!私は……結莉を……」
「守るんじゃなかったの?」
御伽は僕を傷つけた。御伽は答えを得る為なら強引な手段を選ぶ。しかし、それは本来の御伽が持っている考え方であって。
母親の真似とは関係なかった。
だからこそ、御伽の心が分裂する。本来の自分と母親を真似る自分。二つの人格が御伽の精神を蝕み、悲痛な叫び声を上げさせる。
「私は……私は……」
「御伽は誰になりたいの?」
「私は……結莉の……お姉ちゃんに……」
御伽が手を伸してくる。だけど、途中で止まった。
「ごめんなさい」
その言葉を口にした御伽は何を考えたのか。
御伽は部屋を飛び出して、力強く扉を閉めた。すぐに玄関の開く音が聞こえ、御伽が飛び出して行ったことがわかった。
御伽が情緒不安定になることは何度かあったけど、今回ばかりは違っていた。御伽が家を出て、数日が過ぎようとしていた。
空腹と喉の乾き。異臭に満たされた部屋は、気力を奪う。自らの命を、自分で断ち切ることも許されない。
苦痛の中で、幸せな日々が頭に浮かぶ。
それは御伽や母親と一緒にいた時間ではない。
竜胆さんとマキがそばにいてくれるだけで僕は幸せだったのに。その幸せを自らの手で壊してしまった。
これは僕に与えられた罰なのだろうか。
僕の母親が死んでしまった時。束縛から解放され、一瞬でも救われると僕は思っていた。だけど、母親が御伽に託した言葉。最後に母親として、残した言葉。
それが「──を守ってあげて」なんて最悪なのもだった。
そんなことを御伽に言えば、御伽は手段を選ばずに実行する。冗談のように聞こえても、実際に今のは残された母親の言葉に従っている。
ただ一つわからないことは。
母親の言葉を無視して、御伽が消えてしまったこと。このまま僕が死ねば、母親の言葉に逆らうことになる。
いつか戻ってくる。
そう、考えながら。
僕の意識は、少しづつ薄れ始める、
きっと、これが死に向かうと言うこと。
怖くはないけど。
少し、寂しい。
もう一度、マキに会って。
ちゃんと謝りたかった。
「ごめん……マキ……」
もう目覚めることはない。
目を閉じ、僕は意識を沈めた。
「……ッ!」
静寂の世界に突如として、崩壊の音が鳴り響いた。
外から何かが割れる音が聞こえ、誰かの声が聞こえる。御伽が帰ってきたのかと思ったけれど、足音はしばらく近づいたり遠のいたりしていた。
そして。最後に。
扉の隙間からゆっくりと光が差し込み、その眩しさに目を細める。目を開けるよりも先に、体に飛び込んできた人物に体を強く抱きしめられる。
「結莉。会いたかった」
とても、懐かしく感じてしまう声。
この声を聞いたら、枯れていた涙が溢れてくる。
「ごめ……ごめんなさい。マキ、ごめんなさい」
ああ、僕にとって、姉は。
この世界でマキ一人だけだ。
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