第14話。雛鳥の愛情

 マキと竜胆りんどうさんが約束をしてから数日後。


 少し前から家には夏芽なつめが来ていた。なるべく僕は夏芽と顔を合わせないようにして、必要な時以外は部屋に引きこもるようになった。


 そのせいか、マキにベッタリされることが必然的に多くなってしまった。僕が嫌がればマキは離れてくれるけど、煩わしいと感じることは少ない。


「竜胆さんの子供って、いつ生まれるんだろ」


「さあ。知らないわ」


 僕はマキの脚の間に座っている。マキがケータイを扱っているから、それを一緒に見ている。くだらない動画だったり動物の動画だったり。二人で時間を潰している。


「マキ。もし、竜胆さんとの約束を守れたら、また水族館に行こうよ」


「そうね。あれから一度も行けてないのよね」


 竜胆さんが出した条件がもう一つ。マキが長い時間家から離れることは許されないというもの。学校には通っているけど真っ直ぐ帰ってきているし、休みの日も遊びに出かけられない。


 約束を守る為にマキが家出をしたら、何の意味もなくなる。あくまでもマキが夏芽に暴力をふるわない為の約束なのだから。


結莉ゆうり


 マキが僕に体を寄せてくる。マキは何も言わないけどストレスが溜まっていることはわかる。夏芽と一緒にいたくないはずなのに、竜胆さんから僕を奪う為に我慢をしている。


「マキ。もしも、僕がマキを裏切ったら。どう思う?」


「何も。って言うのは無理かしら。少し悲しむと思う。けれど、私は結莉を恨んだりはしないわ」


「言葉だけなら、なんとでも言えるよね」


 僕はマキを試していた。もし、竜胆さんの予想が外れて、約束通り僕がマキのモノになるなら。その時の為に対策をしないといけなかった。


「そんなに私が信じられないかしら?」


「マキのことは信じてるつもりだよ。でも、信じることと疑うことって、別に存在すると思うから」


「結莉……」


 ずっとマキに話せなかったことを話そう。


「僕は生まれた時から母親に監禁されていた」


 御伽おとぎの家から助け出された後、僕はすべてをマキに話したわけじゃなかった。あの異様な部屋を目にしながらも、マキは何も聞いてこなかった。


「椅子に縛られ、自由にトイレにも行けない。決まった時間に食事を与えられて、それ以外の時間はずっと勉強をして……」


 言葉が詰まり始めてしまう。思い出したくもない記憶。すべてを話したら、何かが変わってしまう気がした。


「そんな生活をずっと続くと思っていた。でも、母親が死んだ日、僕には逃げ出すチャンスがあった。逃げた先で竜胆さんに拾われて、僕はここにいる……」


「ごめんなさい。私、何も知らないで」


 マキが僕の体を強く抱きしめてくる。


「他人を信じるのは難しい。僕には、そう言葉にするだけの経験があって、マキのことを疑っている理由なんだと思う」


 僕が竜胆さんを信じているのは、竜胆さんには僕を必要とする理由があるから。だけど、マキには本当に僕を必要とする理由がなかった。


「結莉、話してくれてありがとう」


 マキはいつもと変わらない。


「私は結莉に同情するつもりはないわ。結莉の味わってきた苦痛を他人の私が理解するなんて不可能なことだし、結莉も同情なんて望んでいないでしょ」


 同情なんて、他人の心を一時的に蝕む曖昧な感情でしかない。同情で得たモノは、同じくらい簡単に剥がれてしまうと知っている。


「結莉。怖くなった時は逃げていいのよ」


「逃げる……?」


「この部屋の扉は簡単に開くから。信じられなくなったら、全部捨ててしまえばいいのよ」


 それは御伽の家から逃げ出したことと同じだ。一度やったからこそ、マキの提案が適当でないと感じてしまう。


「マキは、それでいいの?」


「ええ。結莉が幸せになれるなら、構わないわ」


 マキは僕を束縛したりしない。


 誰よりも僕のことを考えてくれる。


 でも、僕はマキから愛情を感じなかった。


「マキ。本当に竜胆さんとの約束守れるの?」


「現に守れてるでしょ。あの男が余計なことをしなければ、私だって暴力的になる必要なんてないわ」


 今まで何度もマキは夏芽を襲ったせいで、あまり説得力がなかった。ただ、夏芽が家に来てからはマキが急に襲ったりすることはなかった。


「マキは僕のことが欲しいから約束を守るの?」


「ええ。お母さんと一緒なんてろくなことないわ」


「竜胆さんって、何かあるの?」


 まだ僕は竜胆さんを完全に信じたわけじゃなかった。竜胆さんのうわべだけの言葉を受け入れるだけでは、竜胆さんの本性が見えてこない。


「あの人は母親として完璧、でも欠点もあるわ」


「欠点?」


「イタズラが大好きなこと。私や他人に対してもイタズラをして、困らせる。笑って済む程度なら問題もないけれど、笑えない問題も起こしているわ」


 竜胆さんのイタズラ。


「笑えないって……竜胆さんは何をしたの?」


「一つの家族をバラバラにした」


「マキの家族のこと?」


「違うわ。隣の家のことよ」


 隣の家。この辺りは似たような建物が立ち並ぶ住宅街。近隣同士の付き合いもあるとは思うけど、僕は竜胆さんが誰かと話しているところは見たことがない。


「今、誰が住んでるかも知らない。でも、お母さんが隣の家族を追い詰めて、幸せな家庭を崩壊させた事実があるの」


「竜胆さんはどうして、そんなこと?」


「面白そうだったから。そう言っていたわ」


 竜胆さんの笑みが簡単に想像出来てしまう。


「でも、竜胆さんは僕を……」


「結莉。あの人に常識は通用しないのよ」


 竜胆さんは僕を拾ってくれた。もしも、そこに竜胆さんの悪意が含まれているとしたら、目的は存在するのだろうか。


「私はお母さんの悪ふざけにずっと付き合うつもりはないわ。学校を卒業したら、出来るだけ早く家を出ていくつもりよ」


「……マキ、出て行くの?」


「それは結莉が来る前から元々決めていたことなのよ。でも、今はどうしても、結莉を連れて行きたいの」


 竜胆さんはマキが約束を守れないと言っていたけど、マキは本気で約束を守ろうとしている。もしも、マキが約束を守って僕を手に入れたのなら。


 僕はマキを裏切ることになる。


「僕じゃないとダメな理由はあるの?」


「そうね……安心するから、かしら」


 マキの手が僕の頭を優しく撫でる。


 僕だって、色々気づいていた。何故、毎日マキと一緒に眠っているのか。もし、僕が本気で願えば竜胆さんと一緒に眠ることが出来たはずなのに。


 望んで、僕はマキの隣で眠る。


 それは僕がマキを信じている証拠だった。どれだけ暴力的なマキの姿を見ても、マキの隣で眠ると僕は酷く安心してしまう。


 マキの熱も匂いも何もかもが、僕が生きていることを実感させる。死を受け入れ続けた僕が今は生きることを願ってしまう。


「マキ……」


 何か言わないといけない。だけど、僕の嘘がマキに伝えられる言葉を制限してしまう。自業自得だとわかっているのに、マキに真実を伝えられないのが辛い。


 頭の中で色々考えていると、急にマキが僕から離れた。ずっと僕とマキは部屋にひきこもっていたけど、そろそろ夕飯の時間だった。


「無理に言葉にする必要はないわ」


「……待ってよ!」


 部屋を出て行こうとするマキの腕を掴んだ。


「結莉……?」


「マキ。僕はマキのことが……」


 違う。そんな言葉を選んではダメだ。


「マキに……失望されたくない」


 すべての嘘がバレた時、僕が本当に恐れていたのはマキに失望されることだった。


 居場所なんて失っても構わない。竜胆さんの期待に応えられてなくても構わない。ただ一つだけ、マキを失う恐怖が僕の心を蝕んでいた。


「結莉」


 マキが戻り、僕のことを抱きしめてくる。


「何があっても、失望なんてしないわ」


「でも、僕は……」


「結莉が私にどんな嘘をついていたとしても。結莉が本当は私のことを嫌っていたとしも。私が結莉のこと嫌うわけないわ。だって、私はアナタを愛しているのだから」


 母親や姉から与えられなかった愛情。


 竜胆さんの偽物とも違う。


 マキの愛は本物だとわかった。


「マキ。ありがとう」


 僕の言葉でマキが離れた。


「でも、ごめん。僕は簡単には変われない」


「そう。それは、とても残念だわ」


 その時のマキの顔は、少しだけ寂しそうだった。


 でも、僕達の関係は変わったりしない。このままマキが大人になり、この家を出て行く日まで僕達は一緒にいる。


 そんなことを、僕は考えていた。




 夕飯を食べた後、それほど時間も経たないうちにマキと二人で眠ることにした。また明日もマキと二人で何も変わらない一日を過ごす。そんなことを眠る前の僕は考えていた。


 だけど、日常は簡単に変化をする。


 最近は悪夢にうなされることもなく。普通に眠ることが出来ていたのに、今日は睡眠の途中で意識が戻った感覚があった。


「竜胆さん……?」


 目を開けた時、僕の体に竜胆さんが乗っていた


「あらあら」


 顔を動かすと、隣ではマキが眠っている。ここはマキの部屋で間違いない。なのに、どうして竜胆さんがマキの部屋にいるのだろうか。


「どうして……」


 意識が朦朧としている。


「薬、効かなかったみたいですね」


「薬……?」


 竜胆さんが僕の体に指を這わせる。


「結莉くんとマキがぐっすり眠れるお薬ですよ」


「……っ!」


 この酷い眠気は、竜胆さんに薬を飲まされたせいだというか。それに時々マキの目覚めが悪いのは竜胆さんに薬を飲まされていたからなのか。


「どうして、薬なんて……」


「二人のためですよ」


 竜胆さんの不気味な笑顔が僕の心臓を早くする。


 何か、嫌な予感がする。


 僕は体を動かして、竜胆さんを押しのけた。竜胆さんは地面に倒れて大きな音を鳴らす。マキが目を覚ますことはなかったけれど、もう一人の人物が部屋の扉を開けて入ってきた。


「竜胆、何が……」


 夏芽は驚いた顔をしている。


 その顔を見て、僕は気づいた。自分の服が半分程脱がされていることに。男としての体も露出しており、確実に夏芽は僕が男だと認識された。


 これまで僕が男であることを夏芽に隠していたのは、マキに正体を知られる可能性は少しでも減らしたかったから。


 だけど、夏芽に知られたのなら、確実にマキに伝わってしまう。マキは夏芽の娘になるけれど、僕と夏芽に関係なんてない。むしろ、夏芽にとって邪魔な存在になってしまうのだから。


「竜胆、説明しろ」


「夏芽。これはちょっとした──」


 僕は気づいた。


 これが竜胆さんによって仕組まれたことだと。


 マキの言っていた竜胆さんのイタズラ。もし、竜胆さんに悪意があるとすれば、僕との約束を守るとは思えなかった。


 だからこそ、僕は選択をする。


「結莉くん、待っ……」


 終わりだ。


 もう、家族ごっこは続けられない。


 僕は逃げるように部屋から飛び出した。


 ぐちゃぐちゃになった感情を押し殺して、階段を転げ落ちるように降りる。靴も履かないまま玄関の扉を開けると、全身に冷たい雨を浴びた。


 だけど、僕は止まらなかった。


 あの家に僕の居場所なんてないのだから。

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