第6話。雛鳥の親鳥
僕が
竜胆さんは相変わらず、僕に何かを指示するわけでもなく。今はマキと仲良くすることだけを、考えるように言われていた。
だから、夜は必ずマキと一緒に寝ていた。その方がマキが喜んでくれるし、寝る前は色々と話して同じ時間を共有することが出来ていた。
「……」
そんな何気ない日々に変化が起きたのは、眠っていた時のこと。物音に気づいて目を覚ますと、世界は闇に満たされ、視界には何も映ってはくれなかった。
いつもなら、僕を抱きしめて眠っているはずのマキの感覚が今は無い。マキが目を覚まして、トイレに行っただけなら、何も恐れることなんてなかった。
そう。それだけなら。
朦朧とする意識の中で、僕の体は金縛りにかかったかのように動かせず。体の上に乗っている『ソレ』を確かめる方法が何一つとしてなかった。
これが夢だとしたら、不気味でしかない。悪夢にしては酷く心地が良く。幸せな夢とは程遠い。ただ意識が途切れるまで、ソレに見下ろされているような気がした。
竜胆さん。マキ。助けて。
「あれ……」
カーテンの隙間から部屋に差し込む、太陽の光。
目が覚めた時。視界を動かすと、隣で僕に背を向けたまま眠っているマキの姿を見つけた。
いつもなら僕が目を覚ますよりも早くマキが起きている。なのに、今日に限っては、マキは深い呼吸を繰り返すだけで、ケータイが鳴っている様子はなかった。
マキは昨日、眠たそうな顔をしていた。いつもより早く一緒に眠ったことを覚えているから、寝不足と言うわけでもないのに。
「寝不足……?」
何か、不気味な夢を見た気がする。
「いや、まさか……」
夢の内容を明確には思い出そうとはせず。眠っているマキの体を揺らして起こそうとした。
「あれ、もう朝……」
弱々しいマキの手が僕の体を掴んできた。
「
そのままマキがすがるように僕の体に這い寄ってきた。マキの顔が僕のお腹に埋まり、抱き寄せられた。
マキは寝起きはいいはずなのに、今日はすぐに起きなかった。わざとやっているようには見えないし、確認の為にもマキが起きるまで何も言わずに黙っていた。
すると、マキが僕の肩を掴んで顔を上げた。
「結莉。まだ、起こさなくてもよかったのに」
「あ、ごめん……」
「それとも、何か怖い夢でも見た?」
「夢……」
色の記憶は一つだけ。黒一色だけが世界に満たされていた、あの光景を夢だと言うのなら、想像力が欠如しているとしか言いようがない。
もし、夢に現れたあの存在がマキだと言うのなら。既に僕の正体に気づいていても不思議ではないと思うけど。
「そうかもしれない……」
「なにそれ。変な結莉」
マキは呆れた様子を見せながらも、僕の体を這い上がり。抱きついてくる。
「大丈夫。ずっと私が傍にいてあげるから」
そのまま倒れるように、僕はマキの下敷きになる。何かされるのかと思えば、先程と同じようにまったく動かなくなってしまった。
「あれ、寝てる……」
やはり、起こしてしまったのは不味かったのかもしれない。後でマキが目を覚ましたら謝っておこう。
「結莉くん。平気ですか?」
僕はまた、マキの通う学校に来てしまった。
竜胆さんに家族の事情を話さなかった自分も悪いけど。弁当を忘れてしまったマキの為に、僕が届けないといけなかった。
「大丈夫です」
車から降り、前と同じようにカツラを被り、マキの教室を目指すことにした。けれども、前と違うのは、学校全体が静まり返り。まるで、誰もいないかのようだった。
一応、マキの教室に行ってみるけど、通り過ぎる教室にも人影はなかった。今日が休校と思えてしまうほど、不思議な状況に戸惑ってしまった。
竜胆さんに伝える為、一度戻ることにした。
「あら……」
そんな時。一つの教室から出てきた、白衣を羽織った大人の女性。首に掛けられた名前の書かれた札を見た時、僕は竜胆さんに言われたことを思い出した。
「
「はい。私が美和先生です」
竜胆さんが知り合いと言っていたのは、この人のことだろう。まさか、美和先生が保健室の先生だとは想像も出来なかったけど。
「僕、結莉です」
「あー竜胆の……お初です」
ある程度、美和先生に事情を話しているのだろうか。
「えと。結莉でしたか。私の渡した服はサイズ合いました?」
それを聞いて僕の着ている服を、竜胆さんが誰に借りたのかわかった。
「あ、それは大丈夫です……ありがとうございます……」
「色々と事情があるみたいですね。はい。でも、竜胆の頼みなら私は喜んで……あれ……」
美和先生が私の顔を覗き込んでくる。
「結莉。私と会ったことあります?」
改めて、美和先生の顔を確認するけれど。僕は美和先生と出会った記憶はなく、すぐに顔を横に振った。
「じゃあ。気のせいですね。はい」
美和先生は納得したように頷いていた。
「あの、僕。マキに弁当を届けに来たんですけど」
「今、生徒達は全校集会に出てます。はい。なので、ここで待っててもらってもいいです?」
「それは……」
美和先生に弁当を渡そうかと思ったけど。
「私は竜胆と世間話をしてきます。はい」
そんな言葉を残して、美和先生は竜胆さんが車を停めている駐車場の方に歩いて行ってしまった。
言われた通り、保健室で待つことにしよう。下手に出歩いて他の先生に見つかった時、言い訳する方が大変そうだし、全校集会があるのならマキに会うことも出来ない。
「……」
だけど、保健室に入った瞬間。
背筋が凍るような、酷い寒気を感じた。
「どうして──」
ベッドに座る彼女。
名前を──
「誰」
僕に気づいたのか、御伽は顔をこちらに向けた。
「あれ、確か
「……」
心臓の高鳴りが僕の思考を鈍らせる。目の前にいるのは、僕にとって最悪の相手。マキ以上に僕の正体を知られてはならない人間だった。
今すぐ逃げ出したい。だけど、相手が追えば必ず捕まえられる。会話を繰り返せば見破られる可能性が高くなる。
僕は正しい選択肢を選ばなくてならない。
「こんなところで何してるの?学校は?」
やっぱり、この人だけは何も変わらない。
「わたしは、マキに弁当を届けに来ただけです」
いつも以上に警戒をして、自分の呼び方や声の感じを変えることにした。いくらカツラと化粧をしているからと言っても、御伽を騙すのは慎重にならなくてならない。
「また、琴吹さんか」
あの時もそうだったけど、マキとは犬猿の仲で間違いはなさそうだ。こんな機嫌の悪い顔を見たのは僕ですら初めてのことだった。
「キミも琴吹さんに付き合わされて大変でしょ」
「別に、そんなことは……」
マキのことが面倒なんて思ったこと一度もない。
「何度同じ失敗をしても学ばない。本当に『馬鹿』なんだから」
「……っ」
その時、僕は全身がゾワゾワと震えたような気がした。
きっとこれから先も。自分の為に同じような反抗心を抱くことは一生ないのだろう。
「マキを……わたしの姉を馬鹿にするのはやめてくださいっ!」
感情を乗せて、僕の口から解き放たれた言葉。
「別に。本気で言ったわけじゃないけど」
御伽からは明らかな動揺が見て取れた。僕の言葉にそれほど重みがあるとは思えなかったけれど、確かに想いが伝わった。
そう言えば、僕が自分の意思を御伽に伝えたのは今回が初めてだったかもしれない。言っても無駄だと思い込み、何も伝えられなかった自分は、少しづつ世界から消え始めている。
「どうして、そんなにマキにつっかかるんですか?」
「それは、琴吹さんが嫌いだから」
はっきりと口にした。
「どうして?」
御伽は立ち上がり、僕に近づいてくる。
「誰かに迷惑かけるような人だから」
僕の頬を、御伽の指先が撫でる。
だけど、その顔に感情は浮かばない。何故なら、彼女の口にした言葉は。御伽の母親が口癖のように繰り返していた、他人の言葉なのだから。
だから、僕は余計に苛立ちを覚えてしまう。
「っ、わたしは迷惑だなんて思ってない」
「でも、琴吹さんがお弁当を忘れたから、アナタがわざわざ届けに来たんでしょ?例え、アナタが迷惑に思わなくても、実際に琴吹さんが負担を与えてる」
「だから、なんで。マキがわたしの負担になってるって勝手に決めるの!そうやって自分の方が正しいと思い込んで、何でもかんでも押し付けるから、みんないなくなるんだよ!」
「……っ!」
保健室に響き渡る、破裂音。
次の瞬間。僕の頬が少しづつ痛み始める。
「私、なんで……」
殴られた僕よりも、暴力を振りかざした御伽の方が驚いていた。殴り慣れていないのか、僕の痛み自体はたいしたことないけど。
御伽は後退りをする。いくら僕が暴言を吐いたと言っても、自分よりも年下の人間を殴って平気な顔は出来ないのだろう。
「ごめんなさい……」
「……」
その言葉は僕には届かない。
「琴吹さんの妹さんを殴るなんて……」
僕は、アナタの家族ではないのだから。
「気にしないでいいですよ。わたしも言い過ぎたみたいですから」
僕は、少しだけ笑ってみせた。
「っ、キミは──」
「はい。お待たせ」
御伽が何か言葉をしようとした時。開かられた扉から美和先生が姿を見せた。美和先生は僕の肩に手を乗せ、僕の顔を真上から見下ろし始める。
「そろそろ終わるみたいです。はい。行きましょうか」
美和先生が僕の手を掴んで、歩き出した。
「待って、キミ……名前は?」
「わたしの名前は結莉ですよ」
「結莉……」
そう。今の僕は結莉だ。
それ以外の誰かになるつもりはない。
その日の夜。
「結莉。平気かしら?」
マキに後ろから抱きしめながら、テレビを見ていると。そんな声を掛けられた。
「なんのこと?」
「あの女に殴られたって聞いたわ」
あの女。マキが言っているのは御伽のことだろう。
「その話、誰から聞いたの?」
「本人からよ」
御伽は妙なところで真面目だ。きっと馬鹿正直にマキに謝ったのだろう。僕を殴った理由は、本人すらわかっていないはずだ。
「私の為に怒ってくれたのよね?」
「それは……違うよ。あれは、僕の為に……」
半分くらいは自分の鬱憤晴らしだったのかもしれない。だけど、マキのことを好き勝手言われるのだけは許せなかった。
「結莉」
耳元で囁かれるマキの言葉。
「好きよ。誰よりも」
「……っ」
それが恥ずかしくて、思わず顔を逸らしてしまう。だけど、マキは僕の反応を喜ぶように顔を擦り寄せてくる。
「愛してるわ。結莉」
マキが愛しているのは、妹の結莉。その事実が僕の中で存在する限り、マキの言葉は御伽と同じように届くことは無い。
「マキ。ありがとう」
今の僕が受け入れられるのは、竜胆さんの言葉だけだった。
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