第5話。雛鳥の本性

「……」


 マキに弁当を届けた後。僕と竜胆りんどうさんは家に帰る途中で食料品店に寄り、買い物をしていた。


 けれど、平然を装うようのは難しくて。学校での出来事が僕の心を揺さぶり。今は顔に出さないようにするで精一杯だった。


「あの、竜胆さん……」


「どうしましたか?」


 少しでも気が紛れるならと思い、カートを押している竜胆さんに声を掛けた。


 竜胆さんの声を聞くだけでも、僕は遠ざけたい現実から、逃げられるような気がして。甘えてしまう。


「マキの通ってる学校って女子高なんですね」


「そうですね。あの子を普通の学校に通わせるのは色々と問題がありますから」


 学校に行けばマキの男嫌いがどの程度のなのかわかると思っていたのに。極端に異性の少ない女子高では、確かめることは出来なかった。


 しかし、すべてが無駄足だったわけでもない。マキが生きている世界の片鱗を、僕は目にしたのだから。考え方にも変化が与えられる。


「僕は……マキに問題があるようには思えません」


 学校ではマキが築き上げた人間関係を確かに感じた。努力して手に入れることは難しくて、自然と得たものだと言うのなら、マキは何処にでもいる普通の女の子であるはずなのに。


「だったら、あの子の本性を見ますか?」


 竜胆さんはカートに乗せられたかごに商品を入れながら、僕の言葉を返してくれる。


「本性……?」


結莉ゆうりくんがあの子の男性恐怖症を疑うのだと言うのなら。実際に男性を会わせるだけで、真実の確認は出来ますよ」


 それは。とても残酷なことを行う気ではないのか。だとしたら竜胆さんの言葉を疑うことは間違いだったのかもしれない。


「それでマキが傷つくのなら僕は反対です」


 僕の言葉で竜胆さんは、顔を近づけてくる。僕の目を覗き込み、まばたきの無い瞳が触れると思う距離まで寄ってくる。


「もう結莉くんは、あの子の心臓に刃物を突きつけてることを忘れてはいけませんよ?」


「なっ……」


「結莉くんは嘘をついて私の傍にいるんですよ。あの子を騙して、偽りの人間を演じている、結莉くんが、誰かを傷つけたくない。なんて軽々しく口にすることが、許されると思いますか?」


 竜胆さんは正しいからこそ、否定の言葉を探してしまう。だけど、先に口を開いたのは僕じゃなかった。


「結莉くんが心配をしなくても。あの子なら簡単に傷ついたりはしませんよ」


 僕から離れた竜胆さんは、何事も無かったかのように買い物を続ける。


「……でも、マキに誰を会わせるんですか?」


「私の知り合いです」


 竜胆さんの知り合い。今朝に聞いた美和先生と呼ばれる人物だろうか。だけど、他にも知り合いと呼ぶ人間ならいてもおかしくない。


 男性恐怖症であるマキに異性を会わせるのは危険な行為だと思うけど、竜胆さんが止めないのなら本当に危ないことじゃない。


 僕は竜胆さんのことを信じるしか出来ないのだから。




「結莉。ただいま」


 学校から帰ってくるなり、僕の体にべたべたしてくるマキ。少し香る汗の匂いに混じって、マキの匂いがする。


 カツラはもう取っているけど、相変わらずの対応と言うべきか。マキは完全に僕のことを信じきっている。


「……」


 僕の隣に座っている竜胆さんに目を向けると、何も言わずに黙っていた。


 マキに男を会わせるのは今日だと言っていたけど。既に連絡は済ませているのだろうか。


 竜胆さんからは、僕には知らないふりをするように言われているけど。マキに迫られたりしたら、口を滑らせてしまうかもしれなかった。


「お母さん、お風呂は?」


「まだ沸かしてないわよ」


「うーん。結莉と一緒に入りたいけど……汗かいてるし」


 流石にシャワーを二人で浴びるのは無理があると思う。それはマキも気づいてるのか、誘ったりはしてこなかった。


「マキ。汗臭いから入ったほうがいいよ」


 本当はそんなことないけど。


「結莉の言うことなら従おうかしら」


 マキは僕から離れて、リビングを出て行った。竜胆さんの言いつけを守ると言うよりも、僕の言葉を優先してくれるように感じる。


「竜胆さん」


「どうしましたか?」


「お風呂のこと。ずっとこのままは無理じゃないですか?」


 このままマキの誘いを断り続ければ勘づかれる可能性があると言うのに。僕の体には致命的に、性別を証明するモノが存在しているせいで、解決することは難しい。


「そうですね。結莉くんに負担をお願いする形でなら、方法は無くもないですよ」


「それって……」


 僕の問い掛けに竜胆さんは、人差し指と中指をくっつけたり、離したりしてみせる。


 その意味を理解した時、背筋がゾッとした。けれども、竜胆さんが見せる僅かな笑顔が、冗談であることも表している。


「竜胆さんって、意外と意地悪なんですね……」


「ふふ。私は結莉くんに対しては誰よりも優しいつもりですよ」


 竜胆さんは僕の頭を触ってくる。


「そう。誰よりも……」


 竜胆さんが何かを口にする前に、玄関の方から呼び鈴が聞こえた。


「結莉くん。これ被ってください」


「え……」


 どこからか取り出したカツラをおもむろに被せてくる竜胆さん。それはマキの学校に行った時に被ったものと同じだった。


 竜胆さんは、二度目の呼び鈴が鳴る前にリビングを出て行くと。玄関の方からは扉が開かれる音が聞こえた。


「……」


 何故、竜胆さんは僕にカツラを被せたのだろうか。竜胆さんの友人と呼ばれる人物が、僕の正体を見破る可能性が少なからず存在していると考えれば納得は出来る。


 しかし、初対面の人であればマキと同様に疑いはしても。性別まで見抜くことは難しいはずだった。


 リビングの扉が開かれ、姿を見せる竜胆さん。その後ろに続いて現れたのは、一人の男だった。


「竜胆、その子は?」


「この子は親戚から預かってるのよ」


 竜胆さんの砕けた言葉に対して、男の口調には違和感を覚えた。僕が真意を見極める為に口を開こそうとすれば、竜胆さんの腰の辺りに抱き寄せられる。


 僕の口元は竜胆さんのか細い指先で覆うように隠され、発言が出来ないようにされる。どうやら、今は喋らない方が都合がいいみたいだ。


「あまり、この子のことは気にしなくていいわ」


「そうか」


 なんだろう。


 この人が僕を見る眼は。


 マキの他人に関心の持てない冷たい瞳とは、在り方が異なっている。まるで我が子を見つめるような、優しい瞳。だけど、何処か曖昧さを感じた。


「……っ」


 そう言えば、マキは何処に行ったのだろうか。


 お風呂に入っているのなら、竜胆さんの計画は破綻する可能性がある。わざわざ嫌いな男の前に姿を見せるなんて真似をするとは思えない。


 だけど、僕の考えは一瞬にして撤回させられる。


 男の後ろ。開かれたままの扉。その向こう側に立っている人間の顔は笑わない『鬼』のようだ。両手で棒状の物体を握り締め、それを頭より高く持ち上げていた。


「結莉くん。あの子の相手をお願いしますね」


 竜胆さんの背中を押された。僕は咄嗟に、それを隠すことを考え。勢いと共に駆け出し、扉を閉めながら、恐怖の塊に飛び込んだ。


「結莉……」


 僕が押し倒したのは、間違いなくマキだった。マキの傍には何処に置いていたのか、金属製の物体。野球に使うようなバットが落ちていた。


 だけど、今のマキが掴んでいるのは僕の体。力強く抱き寄せられ、マキの体に沈んでしまうようだ。


 マキが何をしようとしていたのか。


 強引に止めなければ、未来の光景は確実に脳裏に刻まれていた。


 マキは、あの人を殴り倒そうとしていた。


 これが竜胆さんの口にしたマキの本性なのだろうか。男性恐怖症と言っても、マキのように排除することで平穏を得ようとすることもあるのか。


「マキ。少し外に出ようよ」


「……そうね」


 またマキが男と下手に顔を合わせるような事態は避けたい。マキが僕に従うのなら、例え本人が嫌がっているとしても、連れ出すことは容易だった。


 まだ着替えていないところを見るにマキが、お風呂に入っていないことがわかる。


 すぐに二人揃って出掛けることが出来るのは幸いだったのかもしれない。


 玄関から外に出れば、辺りは夕暮れに染まっていた。


「……」


 僕の手を掴んだまま黙り込むマキ。


 この辺りの地理に詳しくはなく、何処かに連れて行こうにも思い浮かばない。


「マキ。この辺りに公園はある?」


 マキに尋ねると、僕の手を引いて歩き出した。少し出遅れたところで、マキが僕を気遣ってくれるから、転ぶようなことはなかった。


 道行く人からは、僕達が姉妹にでも見えているのだろうか。竜胆さんに被せられたカツラは、このまま付けていた方が利口なのかもしれない。


「ねぇ、マキ」


「……」


 マキが反応を見せてくれないと不安になるはずなのに。繋がれた手と手が僕とマキの関係を確かに結んでいるような気がしていた。


 マキに連れられて、着いた場所は遊具のあまりない小さな公園だった。その中でも比較的まともなベンチに、二人で座ることにした。


 だけど、僕が座ろうとした瞬間。先に座ったマキに引き寄せられる。マキの膝上に着席させられると、力強く抱きしめられてしまう。


「結莉」


 耳元で囁かれる、弱々しい声。


「私のこと嫌わないで」


「なんで、僕がマキを嫌うの?」


「私が最低な人間だからよ」


 先程のマキの行動は、決して許されるものではなかった。暴力の矛先が僕に向けられていたのなら、今と同じように平常心を保ったまま、マキと会話することは出来ていなかったはずだ。


「僕は、マキのこと──」


 他人を騙してる人間が口にする言葉なんて、偽善にしかならない。竜胆さんの言っていた通り、僕がマキの為に何かをするなんて、自分を守る為の自己中心的な行動だった。


 だったら、僕に何が出来るのか。


「マキのこと。姉として、好きだよ」


 これが、今告げられる最大限の言葉だった。


「嘘はよくないわ」


「嘘じゃないよ……僕には。本当に姉がいるから」


「結莉のお姉さん……?」


 すべては話せないけど。自分のことを話さないといけない気がした。いくらマキの包容力が大きいと言っても、信じられない部分もあったんだと思う。


「姉は、お母さんのことが好きで。お母さんのやることにはなんでも従う人なんだよ」


「それって……」


「僕は、家族のことが嫌い。あの家にいると煩わしいとすら感じてしまう。なのに、だんだん姉はお母さんと同じように理不尽なことを押し付けてくるようになって、お母さんが二人いるみたいで、姉のことも嫌いになってた」


 これは本当の話だった。例え、マキがどれだけ酷い人間だったとしても。自分の意志を持たない人間よりも、何倍もマシに思える。


「だから、自分の思ってることをちゃんと言葉にしてくれるマキのことが。僕は好きになれたんだと思う」


「結莉って……」


 マキの指先が僕の頬に触れ、顔が近づいてくる。


「どうしようもないくらい。馬鹿ね」


「……っ」


 何か言葉を返そうとした。だけど、マキに触れられていない反対側の頬に、柔らかい感触がもたらされた。


「でも。好きになってくれて、ありがとう」


 一瞬、何が起きたかわからなかったけど。マキが離れた後も残された頬の感覚を、しばらくは忘れることが出来なかった。

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