第3話。雛鳥の寝床
リビング。僕がソファーに座り一人でテレビを見ていると、お風呂上がりのマキが姿を見せた。制服ではない、私服の格好。薄着なせいで、色々見えてしまいそうだ。
「お母さんは、どこに行ったのかしら」
「
少し前に用があるからと、竜胆さんは家を出て行ってしまった。
「そう」
マキは適当な返事をして、リビングからキッチンに向かって行く。おもむろに冷蔵庫を開けたかと思えば、袋に包まれた棒状の物体を取り出していた。
袋を剥がしながら、マキは真っ直ぐに僕のところにまで歩いてくる。そこでのようやく、マキが持っている物がアイスだとわかった。
「失礼するわ」
僕の隣に座るマキ。
マキはアイスを口にしながら、テレビのリモコンを持って、チャンネルを変え始める。
改めて近くで見ると、マキの肌は綺麗だった。髪の手入れもちゃんとしている……ようには見えないけど、触り心地は良さそうだった。
「
「な、なんですか」
「また敬語になってるわよ」
「……ごめん」
謝ると、僕にアイスが向けられた。
「はい。あーん」
「え……でも……」
「美味しいから。食べなさい」
本当に、いいのだろうか。
「い、いただきます……」
アイスを食べると、口の中にバニラの甘みを感じた。軽く齧って、顔を離すと、アイスは再びマキの口に運ばれていた。
「結莉って、何歳?」
「今年で十三歳になります……」
「なら、中学生ね」
成長が人よりも遅いのか、年齢の割にあまり身長が伸びていないけど。中学生くらいには見えているのだろうか。
「私も、去年までは中学生だったのよ」
「そうなんだ……」
マキは大人っぽいとは思っていたけど、そんなに歳が離れてるわけじゃないようだ。
「ねぇ、結莉。学校は楽しいかしら?」
学校のことは、よくわからない。だけど、マキに事情を話したところで下手に追求させれても困ってしまうから、僕は適当に答えることにした。
「楽しくない」
「私も同じ。楽しいなんて思ったことないわ」
マキの表情から明るさが消えた。
友人の有無は定かではないけれど、マキが男性恐怖症である以上、他人との関わりに問題が発生する可能性が高い。
普通の高校生とは違う人生。僕の悩みに比べたら、正当な理由の中で苦しんでいるマキの方がよっぽど、誰かに手を差し伸べられるべき状態だった。
なのに、今まで誰もマキの病気を治そうとしなかったの何故なのか。竜胆さんにはその気があるみたいだけど、場合によっては手遅れかもしれない。
「結莉、私の顔を見つめてどうしたの?」
「えーと……」
まずは、マキの男性恐怖症の度合いを知りたい。そうでないと、自分の行いがどれだけ危険な行為なのか、理解出来ずに進行してしまう。
「学校でさ、マキは友達と話したりしない?」
「人並みには」
「それを、楽しいとは思わない……?」
「友達と話したいならケータイ使えばいいのよ。わざわざ学校に行って、顔を合わせながら話したところで、学校生活が楽しくなるわけじゃないわ」
それは最もな意見かもしれない。今の時代、ケータイを持っている人間がほとんどだろうし、直接的な寂しさを感じる機会は少ない。
しかし、僕が最も聞きたいのはマキの友人関係じゃなかった。このまま話の流れで、恋愛の話をするのは、別に不自然じゃない。
「でも、高校生なら、恋愛とか……」
少しマキの反応が怖いけど。
「恋愛、ね。私、まだ恋すらしたことないから、よくわからないわ」
男が嫌いだから、恋愛なんて無理。って言うと思ったけど、マキは誠実に答えてくれた。
「むしろ、結莉はどうなのかしら?好きな人、じゃなくても気になる人とかはいないの?」
「い、いないよ……」
「そう。なら、いいわ」
「……」
マキの何気ない発言に違和感を覚えながらも、言葉の真意を聞き出す勇気は僕にはなかった。
これ以上の詮索も、変に怪しまれるだけ。続きは日を改めて、内容を変えて聞き出すしかなさそうだ。
アイスを食べ終えたマキはリビングから出て行き。数分後には、竜胆さんが家に帰ってきていた。
竜胆さんが持っているのは中身のわからない紙袋。食事の材料を買いにでも行ったのかと思ったけど、見る限り食べ物ではなさそうだった。
「あの子と、何か話しましたか?」
「学校のことを少し……」
「あの子から話してくれたんですか?」
竜胆さんは意外そうな顔をしている。
「マキが学校の話をすることがおかしいですか?」
「あまり私には話してくれないですから」
竜胆さんとマキはあまり仲が良くないのだろうか。
「結莉くん」
「なんですか?」
「何か、学校を休んでいる理由は思いつきましたか?」
そうだった。竜胆さんから僕が学校に行っていない理由を考えるように言われていた。話を合わせる為にも、竜胆さんが勝手に決めるわけにはいかない。
ここにいる限り、僕が学校に通うなんてことは絶対に出来ないし。ずっと僕が家に居ればマキも疑問に思うはずだ。
「行きたくないから行かないだけです」
「それだけですか?」
「あまり余計なことを言っても、マキに追求されるだけですから」
ボロ出さない為にも、適当な理由の方が僕は楽だった。
「そうですね。結莉くんの言う通りですね」
竜胆さんは納得してくれたのか、リビングから出て行った。
「結莉、一緒に寝ましょ」
しばらくした頃。二階からリビングに戻ってきたマキに声をかけられた。
「でも……」
食卓の椅子に座っている竜胆さんを見れば、僕の疑問に答えてくれる。
「結莉くんがマキと一緒に寝るのが嫌なら、私と一緒でもいいですよ」
「それじゃ……」
「でも、それだとマキに『嫌われ』ますよ?」
マキに嫌われる。男性恐怖症の克服以前にマキに嫌われれば、対応も難しくなる。
一応、竜胆さんの命令でマキが強引な手段は取らないと思うけど。二人きりになった時が、少しだけ不安だった。
「僕は……マキと一緒に寝ます」
「やった」
すぐに僕はマキと二階ある部屋に行くことになった。階段を上ったすぐ傍の扉。扉にはマキの名前が書かれた小さな看板が掛けられていて、ここがマキの部屋だとわかった。
扉を開けた先。少なくとも僕が知っている普通の部屋と比べれれば、異様な光景があった。
部屋の真ん中に置かれている布団。それ以外は、家具や雑貨。人間が生活をする上で集まる物が『何も』なかった。
「……」
収納とクローゼットはある。おそらく、私服や着替えは、そこにあると考えられるけど、露出したフローリングが異様だった。
「ごめんなさい。ベッドがなくて」
「え、一緒に寝るってまさか……」
「同じ布団で寝るって意味よ」
いやいや、一緒に寝るって聞いたから。マキの隣に布団を用意してくれると考えていたのに、一人分の布団で一緒に寝るなんて。
「やっぱり、竜胆さんと……」
「今さらだめ」
マキは僕の手を引っ張り、布団に引きずっていく。いくらマキが女の子だからと言っても、僕よりも体格の大きなマキに力任せでは勝てない。
マキの行動に驚いて、竜胆さんに助けを求めようとしても。背後から口元を押さえつけられて声が出せなくなる。
「結莉、大丈夫だから。落ち着いて」
「んーんー!」
僕の体を掴む腕と脚。こんな時でもマキの体の柔らかに気づいてしまうのは、本当はマキが怖いわけじゃないからだろうか。
「嫌なら離すわよ」
「……」
おとなしくすると、マキも口から手を離してくれた。今は布団の上でマキの脚の間に座らされていて、逃げようにも逃げられない。
「結莉、髪は伸ばさないのかしら」
「え?」
「髪綺麗なんだから、短いのはもったいないわ」
髪なんて長くすれば、ますます女の子と間違われてしまう。でも、マキが言うのなら、少しくらいは伸ばしてみてもいいかもしれない。
竜胆さん以外には正体がバレてはいけないのなら。自分を偽ることが何よりも大切だった。
それまで、マキに気づかれないことが最優先だけど。
「……なら、伸ばすよ」
「じゃあ、手入れは私がしてあげるわ」
マキの細い指先が髪に絡まる。痛みなんて感じないほど、優しく、意味なんてないはずなのに、マキの行動がとても重要なことに思えた。
「もう今日は遅いから、寝ましょうか」
「うん……」
マキに体を倒されて横になる。布団から体が外に出ないようにマキが僕に寄り添ってくる。
「おやすみ。結莉」
「うん……おやすみ……」
布団で寝るのが初めてなせいか慣れない。少し硬い気もするし、何よりも背中越しにマキがいるのせいで違和感があった。
マキが女の子だとか、そんな話じゃない。
誰かと一緒に寝ることが、自分にとっては慣れない行為。いつも一人、真っ暗な天井を眺めながら、眠りにつくのが普通だったからだ。
「……っ」
でも、今は眠れない。
何時間経っても、眠気が訪れない。
「結莉。起きてるの?」
「……っ!」
声をかけられ、思わず驚いてしまう。
「マキ。起きてたの?」
「いいえ。目が覚めたのよ」
上手く眠れずに、少しづつ体勢を変えていたせいだろうか。僕は色々と不安を感じていたのか、マキからはあまり離れられなかった。
「ごめんなさい。眠りにくかったかしら」
「いや……そんなことは……」
マキが僕から離れようとした時、腕を掴んで止めてしまう。すると、逆に抱きしめられてしまった。
決して苦しくはなく、優しく抱きしめられ。まるで割れ物を扱うように、マキの僕に対する扱いが伝わってくるようだ。
「私、憧れてたの」
「憧れてた……?」
「一人で眠るのは寂しくない。誰かの熱が欲しいわけじゃない。だけど、弟や妹とは一緒に眠ってみたかった」
僕は、他人だ。マキの願いは叶えられない。
「マキは一人っ子なんだよね……?」
「そうね。ああ。でも、昔、私には弟がいたわ」
今はいないのだろうか。
「私が小さい頃の数少ない記憶。確かに弟がいたはずなのに、今はいない。お母さんに聞いても、弟なんて生まれていないし、死んだ事実もないって言ってたわ」
マキ、寝ぼけているのだろうか。ところどころ声の強弱に変化があり、聞こえにくい部分もあった。
だけど、話を聞く限り、マキが適当なことを言っているように聞こえない。
「もしかしたら、この時を夢に見ていたのかもしれない」
「夢……」
次第にマキの吐息だけが聞こえてきた。
それがさっきよりもハッキリ聞こえるような気がした。僕は安心感を覚え、自然と意識が途絶えた。
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