ヤンデレ妹から逃げ出した俺の末路

滝千加士

第1話 


 そこは薄暗い地下室であった。

 ジメジメとしていて、暖かくも寒くもない。

 部屋のサイズは一畳ちょうど、鬼島大智が寝転がったらそれだけでスペースのほとんどが埋まる極小の部屋。

 光源は壊れかけの電球唯一つのみ。

 唯一の地上との繋がりは、扉の上部に確保された鉄格子の窓。

 扉は鉄製で、その厚さは3㎝にも及ぶ。

 内側にドアノブはついておらず、一度部屋に入り誤って扉が締まってしまうようなことがあれば誰かが外から扉を開けてくれるまで確実に出ることが出来ない。

 そして万が一扉を破壊、あるいは鍵のかけ忘れなどで出ることが出来ても、廊下には一切の隙も無く監視カメラが設置されている。

 そう、牢獄という名にこれ以上ない程に相応しい部屋。

 それが、大智が現在暮らしている部屋だった。


 そんな場所に、一つの足音が迫ってきていた。

 

 大智は知っている。

 その人物は唯一人。

 かつて大智に希望を与えてくれた存在であり、現在絶望を与える存在。

 大智の唯一人の肉親である妹、朱音であった。


「そろそろ反省出来ましたか?」

「……んん! んんんんーッ!!」


 大智は必死の表情で懇願する。

 最も、自殺防止の為にあてがわれた猿轡のせいで言葉にはなっていなかったがその必死さは顔を見れば一目瞭然だろう。

 

「ふふっ、何も聞こえませんよ兄さん。当然ですね。私がつけたんですもの。でもとってあげませんよ。反省したかどうかなんて、下半身を見れば分かりますから」


 鉄格子の向こうからそう告げると、朱音は部屋を覗き込んだ。


「……膨らんでいない、ですか。……まだ反省していないようですので、もう暫く地下生活を楽しんでいてください」 

「んんん! んっ……!」 


 大智の呼びかけが聞こえていないかのように躊躇いなく朱音は去って行く……かと思われたが、


「あぁ、忘れていました。食事です。私は分からず屋の兄さんに罰を与えているだけで殺したい訳ではありませんからね。ほら、兄さん。あーんですよ、あーん」


 大智は知っている。

 朱音の言うその言葉の意味を。

 猿轡をしているのに訳が分からない、普通ならそう思うだろう。

 しかし、この朱音特製猿轡は違うのだ。

 これは、いわばぶっとい鉄のストローを咥えた状態で固定しているようなものなのである。


 朱音の指示に従い、大智はストローの口を鉄格子の隙間から差し込まれたそれにあてがう。

 液体状のサプリメントのようなものである。

 身体を健康にするためだけのものの筈だが、あり得ない程に美味い。

 まぁそれよりマズいというかありえないものを大量に食っているからなのだが。


「ふふ、良く出来ました。本能には抗えないという奴ですか。はぁ、性の本能を私に向けてくださるだけでいいのに何故こうも抗うのでしょう。ま、意地を張るのなら付き合いますよ。私は兄さんを愛していますから」


 そうして再び、朱音の気が向くまで長い沈黙がこの地下に訪れるのだ。 




 ――いつもであれば。



 超長期に渡る、危険の伴う脱出計画だった。

 もし一度でも朱音が部屋を探ろうとしたら。

 もし一度でも朱音が猿轡をとってしまったら。

 もし一度でも理性が性欲に負けていたら。

 ……もし、部屋の中にも隙間なく監視カメラを設置されていたら。


 全てはご破算、より強固な牢獄に閉じ込められていただろう。

 

 監禁されること7年。

 1年目の終わりごろ、つまり猿轡を噛まされて3ヶ月程が経ったある日突如思いついた計画だった。

 途方もない計画だった。

 そもそも可能なのか、それまで心折れずにいられるのか。

 数々の不安はあったが大智はそれを実行に移した。


 すなわち、地面に穴を掘って逃げるである。

 単純明快だがこれ以上の作戦は思いつかなかった。

 扉は勿論壊せない、壁も鉄筋コンクリートだから壊せない。

 だけど唯一床だけが土だったのだ。

 いや、正確には違う。

 最初は学校の廊下のようなタイル張りの床だった。

 しかし爪で剥がそうとしてみたり、ストローの口で掘ろうとしてみたりと色々やっていくうちにだんだんと露出していき、3年目の中盤辺りにようやくタイルとその下にあった薄い石を削り終え、その後の4年でようやく穴を何処かへ繋げることが出来たのだ。

 そう、今こそ最大のチャンスなのだ。

 もしこの機を逃がせば、二度と脱出は不可能だろう。

 何故か? それこそが朱音の持ってくる液体サプリが美味く感じる理由である。

 そう、大智は掘って出来た削りカスを全て食ったのだ。

 だから朱音は違和感を覚えなかったのである。

 実際体調は悪い。

 もし朱音が健康サプリではなくそこらのコンビニで買った適当な食材を大智に与えていたら、大智は早々に死んでいただろう。

 まぁそれならそれで大智は良かったのかもしれないが。


 開通させた穴に今までとは違い足から入り、穴の上に大智が寝る時に使っていた毛布を丸めた状態で乗せ、ほふく後進で終着点までひたすら進むこと30分。

 

「んぐっ!」


 相変わらずの酷い匂いに大智は顔をしかめる。

 下水なのだから当然ではあるが。


 そう、大智が長年穴を掘り進め最終的に辿り着いたのは下水道なのであった。

 まともな暮らしをしているならまず自分から入ろうとは思わない場所であるが大智にそんなことを気にしている余裕はない。汚水が流れ込んでくるような場所に穴が開かなかっただけまだマシというものである。


 大智は穴からそのまま落下する。

 以前開通させたときに付近に足場が無いことは調査済みなのだ。

 

 そのまま廊下部分を歩き、地上へつながるはしごがないか探しながら走る。


 もしかしたら既にバレているかもしれない。

 朱音の手が届かない、ずっと遠くへ行くまでは気を抜くことなどできはしないのだ。


「んっ!!」


 はしごを見つけ、大智はよっしゃと思わずガッツポーズをする。

 慌ててはしごへ駆け寄り、蓋を持ち上げ横にずらす。

 

 澄み渡る青空が見えた。

 7年ぶりに顔を合わせたその光景に、大智は身体を穴から出した。


 その瞬間、


「ガッ……」


 大智は上半身を自分の何十倍の重量を持つトラックに跳ね飛ばされた。

 そのエネルギーに耐えきれず大智の身体は千切れ飛び、下半身は下水道へ落下し、上半身はそのまま暫くトラックに引きずられ、びしゃびしゃとトマトジュースのように血を撒き散らし、ごみのようになってその人生にピリオドを打った。

 しかしその無様で哀れな死に際とは対称的に、その表情はまるで人生の悲願を叶えたかのように喜びに満ち溢れたものだったという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヤンデレ妹から逃げ出した俺の末路 滝千加士 @fedele931

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ