第五章 神々の戦い。露出狂の詩

58.リシタータキの開戦。ペンぺペン!

 暗い夜が明け、曙光しょこうが漆黒の空と大地を照らし始めた頃。


 広大な面積を誇るリシタータキ大平原に軍を展開したローヴガルドの兵士たちは、静謐せいひつながら緊張に満ちた空気の中で、それぞれ持ち場に待機していた。


 アイナ・アーヴィングもまた、後方支援の魔法部隊に身を置いて、どこか強張った表情を浮かべていた。


 王都を出立したローヴガルド軍は、十日以上の行程を経て、つい昨日、この平原に到着したばかりだった。


 一方カディルのほうは、山脈を下りてから周辺の要塞を駆け回って集めた兵力を引き連れて、ローヴガルド軍より数日早く、平原に辿り着いていた。


 無事合流を果たしたカディルたちとローヴガルド本軍は、各大将や部隊長の指示の元、迅速に陣形を編成し、戦いの体制を整えていった。


 そうして、戦闘準備をおおむね終えた頃、全軍のやや後方に陣取っていたマーサとアイナの元に、カディルが馬を走らせてやって来た。


「マーサ、アイナ。ご苦労じゃったな。よく間に合ってくれた」

「カディル、あなたも大変でしたね。まさかこんな事態になるとは、思いもしませんでしたが……」

「うむ……。だが、起こってしまったものは仕方無い。今、軍の本営で最後の作戦会議を行ってきた。お前たちは後方で、回復などの戦闘支援を頼むぞ」

「ええ、分かっています」

「総指揮官がジーク王子と聞いた時は驚いたが……中々どうして、立派な戦術眼をお持ちだ。戦場での細かい指示は各部隊長が行うが、あれなら全軍の統率に問題は無いじゃろう」


 と、そこで、周囲を見回したカディルは、怪訝けげんな顔つきになった。


「ところでマーサ、ロッシュはどうした? どこにも姿が見えんようじゃが……」

「あらあら。事前に手紙を送ったけど、見ていなかったんですね? 実はロッシュは、本国で酷い呪いにかかってしまって……」

「なに⁉ どういうことじゃ⁉ まさか、魔物にやられたのか⁉」


 予期せぬ妻の言葉に、カディルは声を大にした。


「いいえ。原因は、呪われた鎧です。物凄く強力な呪いで、私の聖魔法でも解呪ができなくて……」

「師匠、一体なんなんですか、あの鎧は? あんな物が地下に封印されていたなんて、誰も知らなかったみたいですけど……」


 それを聞いたカディルは、サーッと顔色を一変させた。


「地下に封印された……鎧じゃと? まさか……」


 と、そこで、ブオーッという野太い笛のような音が聞こえてきた。


 それは、敵の軍勢が至近に迫っているという、哨戒しょうかい部隊からの合図だった。


「……いかん、もう敵が来たか‼ と、とにかく、ロッシュはローヴガルドに留まっておるんじゃな? ここには来ておらんのじゃな?」

「え、ええ……」


 まくし立てるような夫の言葉に押されつつ、マーサは返答した。


「ならばいい! とにかく今は、魔物たちをここで食い止めるぞ! じきに、ラスタリアの援軍も到着するはずじゃ‼」


 それだけ言うと、カディルは馬を操り、前衛部隊が待機する場所に向かって慌ただしく移動していった。


「ちょ、師匠‼」

「仕方ありません、アイナ。ひとまず私たちも、戦いに備えましょう」

「は、はい……」


 結局、鎧の謎は解けずじまいだったが、アイナは直近の戦いを前に、心を落ち着かせようと呼吸を整えた。



■□■□■□



 やがて、ローヴガルド軍全体を、張り詰めた重い沈黙が支配していった。


 哨戒部隊の合図により、開戦が迫っていることは言うまでも無く、兵士たちは各々、戦う覚悟も決めてきたはずだった。


 だが、いざ戦闘を迎えるとなると、誰もが心臓を鷲掴わしづかみにされるような恐怖や不安、焦燥の感情を抱かずにいられなかった。


 そして、そんな兵士たちの心境を嘲笑あざわらうかのように、その時は訪れた。


「敵集団を確認‼ まもなく、目視できる距離に入ります‼」


 そう叫びながら、伝令の騎馬が本陣を駆け巡る。

 この報告により、硬直していた平原の空気が、一気にひび割れを起こした。


「……来たぞ‼」


 誰かが発した声によって、ローヴガルドの兵士たちの目が、一斉に平原の奥へと向けられた。


 それは遠目には、小さな虫が大量にうごめいているようにも見えた。


 だが無論、そんな生易なまやさしい存在の集まりではなかった。


 人間を殺戮し、その生き血をすするために侵攻を続ける、獰猛な魔物の群れ。


 ムラムウラ山脈を出てからも数を増やし続けた群れの規模は、大平原に達した今、推定一万を超える大軍勢となっていた。


 そして十数分も経たぬ内に、リシタータキ大平原の中央を挟んで対峙する、ローヴガルド軍と魔物たち。


 ローヴガルド騎士団と魔法兵団の隊列にはほとんど乱れも無く、上空から俯瞰ふかんすれば、巨大な矩形のように整然とした陣形を組んでいた。


 だが、それを形作る兵士一人一人の心悸しんきは、激しさを増すばかりだった。


「なんて数の魔物だ……。こんな大群、今まで見たことも無いぞ……」

「ラスタリアの援軍は、いつ到着するんだ……?」

「急ぎこちらに向かっているようだが、まだ近くに来たという知らせはない」

「あいつらをここで止められなければ、ゼン・ラーディスはどうなってしまうんだ……」


『フフフ……これだけの規模の戦いは、実に久しぶりだな』


「な、なんだ、この声は⁉」

「脳内に……直接響いてくる⁉」

「それに、この禍々まがまがしいプレッシャーは……!」


 突然響いてきた謎の声に、兵士たちは目に見えて動揺し始めた。


「マーサ先生、これは……」

「ええ。敵の総大将……でしょうね」

 アイナに問われ、マーサが呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る