44.神獣の目覚め

「ロッシュ……。嘘……」

 アイナは吹き荒れる熱風と黒煙の中で、茫然と呟いた。


「なんということだ……。私が早まった行動を取ったばかりに、彼が……」

 カインも自責の念からか、声を震わせていた。


「嘘だろ……。ツヴァイネイト家の子息が、一瞬で……」

「もうダメだ……。俺たちは、お終いだ……」

 騎士たちも、炎の海を地響きと共に闊歩かっぽするドラゴンの威容を前に、ただ絶望していた。


「隊長……このままでは、我々は全滅です。ここは一人でも多くの者を生き残らせるため、可能な限り多方向に分散し、各個での撤退を試みましょう」

「うむ……。もはや残された手段は、それしかないか……」


 隊長が重々しくうなずき、騎士たちに分散の命令を発しようとした、その時…………


「諦めるな‼」


 燃え上がる炎の海から、凛とした声が響いた。


「今の声……まさか!」

 悄然としていたアイナが、素早く顔を上げた。


 周りの騎士たちも、ハイライトが消失しかけた目に光を蘇らせて、揺らめく炎の向こう側を見やった。


 やがて炎の中から、ゆらりと一つの影が現れた。


 現れたのは無論、天才魔法使いのロッシュ・ツヴァイネイト。


 レッドドラゴンの火球が直撃したはずの彼は、信じがたいことに、ほとんどノーダメージで生きていた。


 彼がまたがっていた白馬も同様で、一人と一匹は、何事も無かったかのように整然とした歩調で、炎のカーペットを歩み進んできた。


「ロッシュ‼」

 幼馴染の無事な姿を認めたアイナは、喜びの表情を浮かべた。


 ……が、その表情は、すぐにいぶかしげなものに変わっていった。


 なぜならロッシュの服装が、遠征用に身に着けていた裸封法衣ヌグナリオから、どす黒い色調の服に変化していたためだった。


 無論、瞬時に服を着替えたわけではなく、ロッシュの裸封法衣は、ドラゴンの猛烈な炎を浴びたことで、真っ黒に炭化していたのだった。


 そして炭化した布地は、彼の跨る馬が一歩を進むたび、細かな破片となって、風と共に彼方へと散っていった。


 やがて、馬が十歩ほどを歩み出た時点で、ロッシュは衣服のほぼ全てを消失した、ヌーディスト・フォームに変貌を遂げていた。


「エンペラースライムの時よりタイミングはシビアだったが……今回もどうにか魔法障壁をピンポイント発動させて、身を守ることができたな……」


 不自由からの脱皮を終えたヌーディスト・ロッシュが、毅然とした声で言った。


「だから、ちゃんと服も護れえええっ‼」

 そう叫ぶアイナの声が、燎原りょうげんにこだましていった。


「おおっ、生きている‼ ロッシュ・ツヴァイネイトが生きているぞ‼」

「奇跡だ‼ ……だが、なぜ裸になっているんだ?」

「そんなことはどうでもいいだろ‼ とにかく無事だったんだ‼」

「魔法科のくせに、意外といい身体してるな‼ 思わず生唾あふれてきちまったぜ‼」


 ロッシュの無事を案じていた騎士たちからも、驚きと喜びの声が上がった。


「あの男、まさかあの攻撃で生きて……⁉」

 カインも、ヌーディスト・ロッシュの姿を見て驚いていた。


「今回は、股間の布切れまで綺麗に消えてくれたな。魔法障壁の出力を微調整して、股間部分だけわずかに防御を弱めたのが効いたようだ。そのせいで少々股は熱くなったが、それもまた一興。男たるもの、真なる自由を勝ち取るためには、多少の痛みも覚悟するものだ……」


 そう囁くロッシュは、生まれて初めての全裸乗馬を、心から楽しんでいる様子だった。


 あまりにも隙だらけ……というより、もはや隙しか存在しない「そうびなし」状態で現れた変態を前に、心なしかレッドドラゴンまでもが、少し戸惑っているように見えた。


「しかし、お前には迷惑をかけてしまったな。折角の美しい毛並みに、悪いことをした」

 ロッシュはそう言って、自分が跨る白馬のたてがみを優しく撫でつけた。


 火球が直撃する寸前、自身と馬を守るために魔法障壁を張り巡らせはしたが、あまりに短い時間だったため、ロッシュは衣服を焼かれて全裸になり(これは確信犯)、馬の方はつややかだった毛並みが焼け焦げて、チリチリのパンチパーマ頭になっていた。


 だがその外見にも関わらず、馬は勇壮でダンディな表情を浮かべて、「ブルッ、ブルッフォフォン……(なに、いいってことよ……)」と答えた。


 ロッシュと共に炎の極限の恐怖を乗り越えた馬は、九死に一生を得たことで、謎のジェントルマン精神に開眼していたのだった。


 見た目は大阪のおばちゃんみたいなパンチパーマになっていたが、その心は、超一流の競走馬にも劣らぬ高貴さに満ち溢れていた。


 さらに、背中に伝わるロッシュの裸体と生肌の温もりが馬の脳髄を刺激して、まるで人馬一体の神獣にでもなったような錯覚を与えていた。


 無論それは紛れも無い錯覚で、はたから見ればただの変態パラディンナイトが爆誕しただけだったが、馬にとっては、このアクシデントが大きなプラスに作用していた。


「ふっ、いい顔をしているじゃないか。では、今度はこちらが仕掛ける番だな。行くぞ‼」


 ロッシュは再び浮遊魔法を唱えて、パンチパーマの愛馬と共に、空へと浮かび上がった。

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