42.空からの襲撃者(ムササビではない)

 ロッシュや他の騎士たちが視線を転じると、日没が迫り紫色におかされ始めた雲の中に、鳥のような黒い塊が一つ、浮かんでいるのが見えた。


 だがそれは、鳥などではなかった。


 黒い影は速度をグングン上げてこちらに近づいてくると、その正体をまざまざと、眼下のロッシュたちにさらしてきた。


 炎を具現化したような深紅のうろこに、一対の巨大な翼。

 鋼鉄をも易々切り裂いてしまいそうなほど鋭い爪と、禍々しい形状の角や牙。


 幼生よりも遥かに逞しい骨格と巨体を有するレッドドラゴンの成長体が、翼をはためかせながら騎士団の上空に飛来してきていた。


「ド、ドラゴンだあああああ‼」

 誰からともなく、驚愕の声が上がった。


 そしてその声に呼応するように、飛来した巨竜が空中であぎとを開くと、山肌のように隆起した口蓋から、落日の光にも似たきらめきがまたたいた。


「いかん‼ 全員散開しろ‼」


 隊長が指令を発して間もなく、先ほどの幼生が放ったのと比較にならない規模の業火が、地上に向けて吐き出された。


 降り注ぐ炎は瞬く間に大地を焼き尽くし、高地の草原地帯を、燃え盛る燎原りょうげんへと一変させてしまった。


「なんて威力の炎だ……」

 ロッシュは、草木を燃やす熱気に汗を浮かべていた。


 騎士たちは隊長の指令を受け、素早く馬を駆って各所に散っていたため、この攻撃の直接の犠牲になった者はいなかった。

 だが、彼らが精神的に受けた衝撃は、あまりにも大きかった。


「なんだよ、あれ……」

「俺は、悪夢でも見ているのか……?」

「ドラゴン……こんな化け物が、本当に存在していたのか……」


 そんな人間たちの動揺など一顧いっこだにもせず、空から現れた赤い巨竜は、炎にいろどられた大地へと真っすぐに降下してきた。


 ズドオオンッという轟音に、燃え盛る地面を揺るがす振動。


 それまで高山植物や岩石しか存在していなかった高地に、今は高さ十数メートルを超える巨大生物が塔のようにそびえ立っており、その全身を覆う紅蓮の鱗は、沈みゆく陽光を反射して、不気味な光沢を放っていた。


「レッドドラゴンか……。まさか実物を目にできるとは、思ってもみなかった。本で見るのと実際に見るのとでは、迫力が段違いだな……」

「ちょっとロッシュ! 呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 どこか感極まったようにドラゴンを観察するロッシュを、アイナが叱責した。


「隊長‼ 我々は一体、どうすれば……」

 騎士団員の一人がすがるように問いかけたが、問われた隊長も、まだ混乱が収まっていなかった。


「今の我々の装備と部隊規模では、ドラゴンの討伐は不可能だ……。だが撤退しようにも、この急峻な山間地帯を、奴の追撃を避けながら全員で移動することなど、とても……」


 そんな隊長の苦悩を嘲笑あざわらうかのように、レッドドラゴンは長い首を上方に向けて、猛々しい咆哮を放った。


 そして、咆哮と共に開かれた顎から、まるで火山噴火の如く、大量の火球が撃ち出されてきた。


 火球の群れは、それぞれ尾を引いて放射状に広がり、距離を取って散開していた騎士たちの元へ、次々に降り注いでいった。


「うおああああっ‼」

 空から襲い来る火の猛雨に、逃げ惑う団員たち。


 あまりに広範囲の攻撃にロッシュの魔法防御も追いつかず、あちこちに着弾した火球の爆発が、地上にパニックをもたらしていた。


「ロッシュ、マズいわよ‼ このままじゃ……」

「待ってくれ。今、対抗手段を考えているが……」


 混乱の中にありつつも、ロッシュとアイナは直近の騎士たちを一ヶ所に集めて、飛来する火球を水魔法の防御壁で防いでいた。


 と、魔法を唱えていたアイナが、不意になにかに気付いた。


「ロッシュ、あれ!」

「‼」


 アイナが指さした遠方では、着弾した火球を回避し損ねた騎士が一人、自身の乗っていた馬もろとも、地面に横ざまに倒されていた。


 そして間の悪いことに、火球を吐き終えたレッドドラゴンが、動けなくなっているその騎士を視界に捉えて、両眼に不吉な光を輝かせた。


「くっ、足が……‼ 抜けない‼」


 転倒した際、自らの足を馬の体に挟まれて焦る騎士の元に、重厚な足音を響かせ接近してくる、レッドドラゴン。


「いかん‼」

 危険を察知したロッシュは、ドラゴンの気をらすため、即座に攻撃魔法の詠唱を試みた。


「…………うおおおおおおおおおっ‼」

「⁉」


 そこで突如、一人の男が雄々しい喚声を上げて、乗騎したまま飛び出していった。


 狙われた騎士を助けるため、剣を構えてレッドドラゴンに向かっていったのは、騎士候補生の学生、カイン・レッドバースだった。

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