5.紳士たちの社交場

「……で、準備はいいの?」

「もう少し待ってくれ。今、配置につくから」

「早くしてよ……。いつまでも、こんな所にいたくないんだから……」


 アイナは気まずそうに言いながら、男子トイレの入口脇に立っていた。


 目立たないよう、できるだけ人通りの少ないエリアを選んだつもりだったが、それでも時折通りかかる生徒たちは、女子トイレに入らず、隣の男子トイレ前で佇立ちょりつしているアイナの姿を、興味深げに見やっていた。


「ちょっと……まだ?」

「あまり焦らせないでくれ。焦ると、出るものも出なくなってしまう。……そうだ。どうせならアイナも、中に入ってきたらどうだ? 直接俺を見ながらの方が、魔法の解除もしやすいだろう?」

「絶対嫌よ‼」

 男子トイレ内から示されたロッシュの提案を、アイナは即座に拒絶した。


 幼馴染の暴走を防ぐためとはいえ、トイレで用を足す時まで術式解除の面倒を見なければならないのは、彼女にとって嘆かわしいことだった。


「よし、排尿準備は完璧だ。解除を頼む」

「排尿言わないで‼ さっさと済ませてよ‼ ファナー封印よス・ゲ・ヌーロ厚き扉を開きポンポンスー全なる心を解放せよ…………セミ・アンロック脱衣一部解放‼」


 アイナはロッシュに聞こえないよう注意を払いながら、封印を部分解除する魔法を唱えた。


「おお、ファスナーが開いた。間一髪だったな……」

「いいから、早く終わらせて……」


 男子トイレの中から聞こえてきたロッシュの清々しい声に、アイナは切実な思いを返した。

 ちなみに壁越しのため、ロッシュの排尿音まではその耳に届いてこなかった。


「男子トイレの前で出待ちか……。さぞ気まずいだろうな。通りすがりの人々に奇異の視線を向けられているアイナの姿を想像すると、こっちまで興奮してきてしまう……」

「へ、変な想像やめてよ‼」

「そう言うな。お前が恥じらう表情は、とても可愛いと思っているんだ」

「なっ!?」


 サラッと飛び出したロッシュの言葉に、アイナはビクリと肩を揺らした。


「そんな可愛いお前に、排尿管理をしてもらえる。じいさんの封印魔法は厄介なことこの上ないが、これはこれで、結構幸せなのかもしれないな……」

「馬鹿なことで幸せ噛みしめないでよっ‼」

「なんだ、俺は真剣だぞ。できればこれからもずっと、お前には俺のそばにいてほしいと思っているんだ」

「むえっ⁉」


 アイナの口から、思わず上ずった声が漏れた。


 なに平然ととんでもないこと言ってるの、この男は⁉

 ……しかもよりにもよって、男子トイレの中から‼


 ハッキリ言ってシチュエーションは最悪だったが、幼馴染にストレートな好意をぶつけられたことでアイナが動揺していると、やがてジャーッという水音に続き、男子トイレの中から人の出てくる気配がした。


「も、もうロッシュ‼ 人をからかうのもいい加減にしてっ‼」


 そう言ってアイナが入口を振り返ると、そこには、すました表情を浮かべたロッシュの姿が……


 ……あると思ったのだが、そこに立っていたのは、どこか困惑した表情を浮かべた、見知らぬ小太りの男子生徒だった。


「……え?」


 目を点にしたアイナに対して、小太り男子は、その巨体をモジモジと揺らしていた。


「ううむ……トイレの個室にこもっていたら、『恥じらう表情がとても可愛い』とか『ずっとそばにいてほしい』なんて甘酸っぱい台詞が聞こえてきたから、一体なんの青春アオハル拷問ごうもんかと焦ったでごわすが……。なるほど、君のように真面目そうな眼鏡ガールが、殿方とのがたの排尿管理を……。これは、大変興味深い案件でごわす。はぁはぁ……」

「だ、誰あなた⁉ ロッシュはどうしたの⁉」


 なぜかウットリ顔でもだえている小太り男子のリアクションを無視して、アイナは叫んだ。


「え? 吾輩が個室から出た時には、トイレの中には誰もいなかったでごわすが……」

「‼」


 それを聞いたアイナは、男子トイレの中に猛ダッシュで駆け込んでいった。


 その行動に、小太り男子は「な、なにをしてるでごわす⁉ 白昼堂々男子トイレに侵入するとは、なんと破廉恥はれんちな‼ たまらんでごわす~‼」と気持ち悪い声を上げていたが、それも完全無視したアイナの視線の先にあったのは、もぬけの殻の男子トイレと、全開状態でそよ風の吹き込む窓だけであった。


「やられたっ……‼」


 アイナが唇を噛むと、やがて窓の外から「キャアアアアッ‼」という女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。


「変質者が出たわーーっ‼ 覆面かぶった、裸マントの変態男よーーっ‼」

「嫌ああっ‼ 腰を変拍子へんびょうしでスウィングしてこないでえーーーっ‼」


 それらの甲高い声を浴びながら、「フハハハハハ~‼」と哄笑こうしょうして走り回る覆面男の姿が、窓から身を乗り出したアイナの目にも飛び込んできた。


 男は、風になびくマントの下にはなにも身に着けておらず、そのマントの端からは、まるで一級品の象牙ぞうげのように滑らかな尻が、チラチラ見え隠れしていた。


 覆面で顔を隠し、魔法で声も変えているようだったが、昼日中ひるひなかの学園でこんな凶行に及ぶ人間など、アイナには一人しか心当たりが無かった。


「あの変態~‼ ズボンのファスナーしか解除しなかったはずなのに、どうやって全部脱いだの⁉」


 ロッシュに出し抜かれて地団駄踏んだアイナだったが、いつの間にかその背後には多くの男子生徒が集まっており、「おお……魔法科の優等生アイナさんが、男子トイレの中で叫んでいるぞ」「正面から男子トイレに乗り込むとは、なんて大胆なんだ……。エッチだ……」「ふぬぅ、眼鏡美少女と男子トイレ……。まこと、背徳的なコラボレーションでござる……」などと、紳士的な議論を交わして盛り上がっていた。

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