プロローグ 異世界

 気がつくと、開いた両目の先に、白地の天井が広がっていた。


 ここは……病院? 

 生きている? 俺は、助かったのか?


 やや混乱しつつ、男は身を起こそうと試みたが、なぜか全身が石になったように重く、上手く身体を動かすことができない。


 おまけに、やたらと辺りがまぶしく感じられ、目を開け続けるのもままならなかった。


 一瞬戸惑ったが、どうやら自分が毛布のような物に裸でくるまっていることを知覚すると、男は起き上がるのを早々に諦めて、裸体を包む滑らかな布地に身をゆだねた。


 ……ふむ。裸のまま病院のベッドに寝かせてくれるとは、中々気が利くじゃないか。

 看護師の女性たちは、全裸で病院に搬送されてきた俺を見て、歓喜に打ち震えてくれただろうか?


 男が妄想にふけっていると、不意に誰かの声が聞こえてきた。


「カディル様。無事お生まれになりました。……ですが残念ながら、お嬢様の方は……」

「おお、ユリ……。なんということだ……」


 声の方角に顔を向けると、わずかにぼやけた視界に、二人の人間が浮かんできた。


 一人は白ずくめの恰好をした、理知的な眼鏡の男性。

 もう一人は口髭を生やした、白髪交じりの中年男性。


 その落ち着いたたたずまいと白ずくめの服装から、眼鏡の男性は医者なのだろうと察しがついた。

 一方、中年男性の方は、見たことも無いローブのような服を羽織っており、その身体をわなわなと震わせていた。


 二人共、日本人とは明らかに異なる外貌がいぼうで、話しているのも聞き覚えの無い言語だったが、なぜか全裸男は、その言葉の意味を自然と理解することができた。


「お孫さんは、元気な男の子です。母子ともに健康であればよかったのですが……力及ばず、申し訳ありません……」

「ユリ……ユリイイイ!」

 口髭の中年男性は、周囲もはばからず号泣し始めた。


 何事かと思っていると、毛布にくるまっていた全裸男の身体が突如、勢いよく宙に浮かび上がった。

 そしてその眼前に、涙を流した口髭中年のむさ苦しい顔が、どアップで現れた。


 俺の身体を、軽々持ち上げた⁉

 一体何者だ、この中年男⁉

 しかも、めちゃくちゃデカいぞ!?

 身長、俺の何倍あるんだ⁉ 


 驚いた全裸男がとっさに片手を振り上げると、そこには小さく可愛らしい、ちょこんとしたてのひらがあった。


 ……なんだ、この小さな手は?

 これは、俺の手……なのか?


 さらに視線を移すと、数秒前まで自分が寝そべっていたと思われるベッドの中央に、若く美しい黒髪の女性が一人、横たわっていた。

 女性はひたいにわずかな汗を垂らし、穏やかな表情を浮かべていたが、その両目は固く閉じられており、生気を感じさせなかった。


「よく頑張った、ユリ……。生まれたばかりの子を残して逝ってしまうとは、さぞ無念だろう。だが、安心しろ。この子は必ず、お前の分までワシが、立派に育ててみせるぞ……」


 ……「この子」だと?

 ちょっと待て。まさか、これは……。


 不吉な予感を覚えた全裸男は、近くの壁に掛けられた大鏡に気付いた。


 その大鏡の中には、男の身体を軽々持ち上げた白髪交じりの口髭中年と……

 その中年にしっかり抱きかかえられた、可愛らしい赤ん坊の姿が映っていた。


「……な、なんだとおおおっ⁉」


 そう叫んだつもりだったが、喉と舌が上手く連動せず、実際には「ほわぁああっ⁉」といううめき声が、男の口から漏れていた。


「おお、泣き出したか‼ 本当に元気な男の子だ‼」

 口髭中年がそう言って、クシャッと泣き笑いの表情を作った。


 こうして、トラックにかれて死んだはずの露出狂は、なぜか見知らぬ場所で、見知らぬ赤ん坊の姿に生まれ変わっていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る