第17話 離反


 (一体いつまでこんな状況が続くんだろう……)


 モニカがリガイアの捕虜になって六日、モニカは相変わらずの独房暮。

 毎日のようにあの熊の様な体格のヴァイデスが尋問に来る。

 しかし尋問と言っても彼はモニカに激しい口調で罵ったり暴力を振るう事は決してしない、どちらかというと穏やかで紳士的に振舞って来る。

 モニカが兵学校で得た知識の範疇では捕虜の扱いは条約で定められていて非道な拷問などは受けない様になっているのは知っていたが、ここまで丁重に扱われるとは思っていなかった。


(あのヴァイデスさんは他の軍人とは何かが違う気がする……)


 そんな事を思い浮かべていると独房の扉が開いた。

 今日もまた尋問の時間かとモニカは思った。


「おやおや、これはこれは、聞きしに勝る可憐さではないですか!!」


(えっ? ヴァイデスさんじゃない?)


 聞き慣れない男の声にモニカは戸惑うと同時にとても嫌な予感がした。


「初めましてぇ、私はシュテルと申します……以後お見知りおきを」


 大袈裟な芝居じみたお辞儀をして血色の悪いやせ過ぎの男が独房に入って来る。


「今日からヴァイデスに変わり私があなたを尋問しますのでよろしく頼みますよ」


 そうは言うがシュテルの目はまったく宜しくといった感じではなく獲物を狙う蛇の様な不気味さがあった。


「では彼女を例の場所へ」


「はっ!!」


 配下の兵士二人がモニカを両側から捕まえ独房から連れ出す。

 いつもは独房内での尋問であったのにどこへ連れて行こうというのか。


 移動した先は中心にやけにしっかりした造りに椅子と小さいテーブルがあるのみの小さな部屋であった。

 壁や天井には無数の極少の穴が規則的にびっしりと開いている。

 モニカは兵士たちによって椅子に座らされ、手足を薄い金属のバンドで固定されてしまった。


「くっ……!!」


 さすがにモニカもこれは尋常ならざる事態だと察し、身を捩るが身体の自由を奪われているので動くに動けない。


「さて、本当はすぐに私の常套手段に出たいところなんだけど、一応手順を追わないとねぇ……君が乗っていたあの人型起動兵器の秘密を話す気はありますか?」


「………」


 モニカは今まで通りだんまりを決め込んだが、ヴァイデスの時とは違い全身に冷や汗と緊張感が漲る。


「いいね、実にいい、黙秘してくれなければ私の楽しみが減ってしまいますからねぇ」


 シュテルは椅子の近くにあるテーブル上に置かれていた小さなケースに蓋を開く。

 その中には注射器が三本入っていた。


「これが何か分かりますか? はい、自白剤と言うヤツです、聞いた事くらいはあるでしょう?」


「………!!」


 シリンジ押し子プランジャを押し込むと針の先端から仲野薬品が滲みだす、本来はシリンジ内の空気を抜く動作だが、モニカの目には酷く恐ろしい行為に映った。


「これは新しく開発されたばかりの薬品でね、まだ碌に実験もしていない出来立てほやほやです……ああそんなに怖がらなくても大丈夫大丈夫、私が今まで捕虜に使用していた自白剤をより強力にしたものですからあなたは簡単に秘密をしゃべってくれることでしょう」


 舌なめずりをし下衆な笑みを浮かべるシュテル、注射器をモニカの右腕に平行になる様に近づける。


「やっ、止めて!!」


「おやおや、やっと口を開きましたね、でも打ちますよ、何故かって? 私がそうしたいのでねぇ」


「ああっ……!!」


 モニカの右腕に注射針が刺し込まれた。

 押し子プランジャは奥まで押し込まれ、中の薬品はすべて彼女の体内へと流し込まれていった。


「うっ……がああっ……!!」


 症状はすぐに現れた、頭を万力か何かで挟み込まれたかのような強烈な頭痛がモニカを襲う。

 そしてただ座っているだけなのに遊園地のティーカップを高速で回したかのように視界がグルグルと回り続ける。

 仕舞には目に映っているものが原形を留めず歪んでいった。


「げえええっ……」


 重度の船酔いに似た症状にモニカは胃酸を逆流させてしまう。


「ウフフッ、実に良い光景です……この薬の効き始めの症状に苦しむさまが私はたんまらなく好きでねぇ……」


 顔を仄かに上気させ恍惚とした表情を浮かべるシュテル、彼は真正のサディストであったのだ。


「そのあなたを苦しめている症状は口を割らない限りいつまでも続きます、だんまりはあまりお勧めしません……この前私が尋問した兵士ですが、余りに頑張り過ぎて精神が崩壊してしまいました」


「誰が……あなたなんかに話すもんですか」


「これはこれは、私としてはあなたのその苦しむ姿をいつまでも見られるのでそれでもかまいませんけどね」


「うぐぐっ……」


「ではもう一本いっておきますか?」


「あああああーーーーっ!!」


 シュテルは二本目の注射器をモニカに打った。

 ただでさえ地獄の様な苦しみが更に輪を掛けて倍加していく。


「何本打っても……無駄よ……私は絶対に喋らない……」


 モニカの眼球は尋常ならざる速さで小刻みに動き、息も過呼吸気味に何度も喘ぐ。


「ああ……これは凄い!! 素直に感動しました!! 二本目で自我を保てるなんてこれは賞賛に値します!!」


 シュテルが掌で目元を覆いケタケタと笑い始めた。


「さて、三本目に行くわけですが一つだけ言っておきます、この薬が強力なのは先ほど言いましたがどうやら副作用があるらしいのです、なんでも脳細胞が死滅してしまうとか……恐らくこれを討ったらいかに強情なあなたでも全てを話してしまうでしょうが脳にダメージを負ってしまい元には戻れないかもしれません、この辺で自主的に話した方が身のためですよ?」


「絶対に……言わない……」


 涙と鼻水と唾液でぐしゃぐしゃになりながらも尚頑なに口を割らないモニカ。


「グヌヌ……ここまで強情だとさすがに苛立ってきますね」

 

 シュテルが下唇をきつく噛みしめる。

 そして三本目の注射器を手に取った。


「シュテル大佐、これ以上はいけません、この捕虜に何かあってはヴァイデス大佐に不信を抱かれてしまいます」


 シュテルの部下の一人が進言する。

 尋問のエキスパートとして名を馳せているシュテルではあるが、これまで軍の認可を得ていない違法薬物を使って捕虜に口を割らせていた事が分かれば彼の地位は失墜するだろう。

それどころかあの軍人の鑑を絵に描いたようなヴァイデスに知られようものなら左遷や降格、或いは更迭も有り得る。


「うるさい!! ここまで来て後に引けるか!! ここまでやっておきながら情報を聞き出せない方が私には遥かにリスクが高いのだ!! そう、情報さえ聞き出せれば手柄でこれまでの罪もチャラに出来ると言うもの!!」


 とうとう三本目の注射針がモニカの腕目がけて突き刺される……筈であったが、注射器を持ったシュテルの腕を矢鱈と大きくがっしりした手が掴み止めていた。


「おっと、これ以上はさせねぇよ」


「お前は……ヴァイデス!!」


 ヴァイデスに腕を捻られ注射器を床に落とす。


「貴様ら!! 見張りは何をやっていた!?」


 激昂して振り返るも、頼みの部下は皆、床に倒れたり蹲っている。

 全てヴァイデスとケイオスの仕業だ。


「この部屋に入ってからの一部始終、全て見ていたぞ!! VTRも取ってある、」観念するのだな!!」


「ヌウッ……」


 痛めた腕を押さえヴァイデスを睨みつけるシュテル。


「大丈夫か?」


「あっ……ああ……」


 薬の効果で呂律が回らず足元も覚束ないモニカに肩を貸すケイオス。


「くっ……!!」


「おい!! 待て!!」


 しかしケイオスがモニカに関わっている隙を突いてシュテルが走り出し部屋から逃走する。


 兵士を掻き分け逃げるシュテルに対し身体が大きいヴァイデスは兵士たちにぶつかり行く手を阻まれシュテルとの距離が離れてしまった。


「くそっ!!」


「ヴァイデス大佐!!」


 モニカに肩を貸した状態のケイオスが彼の元に駆け付けた。


「皆さん!! ヴァイデス大佐とその部下が私の尋問中に捕虜を奪って逃走を図りました!! どうやらヴァイデス大佐は裏でスペシオンと繋がっていたらしいのです!!」


 事もあろうかシュテルが艦の廊下でこんな出まかせを言いふらし始めたではないか。


「あいつ!! 嘘ばかりつきやがって!!」


 憤るケイオス、しかし流れはおかしな方へと流れ始める。

 殴り倒されたシュテルの部下たちがこの場へとやって来た。


「見てください彼らを!! 皆捕虜と共に逃走しようとするヴァイデス大佐を取り押さえようとして怪我を負った者たちです!!」


 周りにいる兵士たちがざわめき始める。


「これはマズイな……ケイオス、こっちへ来い」


「えっ?」


 ヴァイデスはケイオスの腕を掴みその場を離れようとする。


「ヴァイデスが逃げたぞ!! 取り押さえろ!!」


 シュテルの一声を皮切りに兵たちがヴァイデスたちを追い始める。


「馬鹿な!! こんなの間違っている!!」


「言っても始まらんよ、あいつは昔からこうやって責任を他人に擦り付けるのが上手かったんだ」


 ケイオスをなだめ廊下を駆け抜けるヴァイデス。


「お嬢ちゃんを貸せ、俺が抱えて走った方が速い」


 ケイオスからモニカを預かると軽々と持ち上げるヴァイデス。

 そのまま突っ走り、彼らは人型機動兵器の格納庫へとやって来た。


「大佐!! まさか外へ逃げるのですか!?」


「無論だ、このまま俺たちが捕まってみろ、仮に無実が証明出来たとして暫く行動に制限が付くだろう、そうなればまたこのお嬢ちゃんはシュテルに薬漬けにされて拷問を受ける羽目になるぞ」


「ですが……」


「俺にも娘がいるからな、放っておけねぇんだよ」


 こんな時だというのにヴァイデスは微笑んでいた。


「分かりました、どこまでもお供します」


 こんな顔を見せられて反論できるほどケイオスは人の心を失ってはいなかった。


「ケイオス、お前は自分のヘルハウンドに乗れ、俺と嬢ちゃんはグリズリーに乗る」


「分かりました」


 二手に分かれヴァイデスは自身の専用機【グリズリー】に搭乗する。

 このグリズリーは大型の機体で偶然にもパイロット以外の兵員を乗せるスペースが設けられており、そこへモニカを横たえた。

 まさに今の状況にうってつけである。


「ミズキを……」


「何だ嬢ちゃん?」


「お願い……ミズキも連れてって……」


 か細い声で懇願するモニカ。


「ミズキ? 捕虜はお前さんだけだろう、他に誰がいるっていうんだ?」


「AI……AIのボックスを……」


「AI? お前さんの機体のか?」


 ヴァイデスの問いに無言で頷くモニカ。


「大佐!! 自分が取りに行きます!!」

 

 通信を聞いていたケイオスが声を上げた。


「待てケイオス!! 今からでは無理だ!! お前が捕まるぞ!!」


「大丈夫です!! すぐそこですから!!」


 確かに格納庫の視界に入る所にアヴァンガードのパーツが置いてある。


「分かった、一先ず先にこいつを起動する、任せたぞ!!」


 ヴァイデスがコンソールのスイッチを矢継ぎ早に入れるとぐりずりーの起動が始まる。


「管制聞こえるか? ちょっくら格納庫のハッチを開けてくれないか?」


「ヴァイデス大佐、先の件は本当なんですか?」


 オペレーターの女性の不安げな表情、どうやらシュテルのフェイクニュースはドッグケージ内に既に広まっている様だ。


「俺は間違ったことはやっていない、信じちゃくれないか?」


 暫しの沈黙、しかしオペレーターこう言った。


「私、ヴァイデス大佐を信じます、この艦のみんなもきっとそうです、どうか疑惑を晴らしてください」


 ハッチがおもむろに開いていく。


「ありがとうよ」


 オペレーターに礼を言った。


「待ちなさいヴァイデス!! あなたを拘束します!! 大人しく戻って来なさい!!」


 オペレーターの画面にシュテルが乱入してきた。


「真実は必ず証明して見せる、お前こそ首を洗って待っていろ」


「なっ……!!」


 そう言われシュテルは言葉に詰まる。


「ヴァイデス大佐!! AIのボックスを回収しました!!」


「よくやったケイオス、お前も早くヘルハウンドに乗れ!!」


「……それが、もう無理の様です」


「何!?」


 ヴァイデスがモニターで格納庫内のカメラの映像をチェックすると、ケイオスと彼のヘルハウンドの間には既に銃火器を携行した兵士が立ち塞がっていた。


「ならこっちへ来い!! グリズリーズならもう一人乗れる!!」


「はい、分かりました!!」


 ケイオスがミズキのAIボックスを小脇に抱え格納庫の階段を駆け上がる。


「居たぞ!! あそこだ!!」


 兵士がケイオス目がけ発砲してきた。

 銃弾が彼の近くに当たり火花が散る。


「急げ!! こっちだ!!」


「はい!!」


 ハッチも開いておりもう余裕が無い、既に格納庫内の空気が抜け始めているのだ。

 必死で走り、ケイオスがグリズリーの元までやって来た。


「お待たせしました……ぐっ!!」


 グリズリーに辿り着いたのと同時にケイオスの背中に銃弾が当たってしまった。


「ケイオス!!」


 ヴァイデスがケイオスを掴み、機体内へ引っ張りこんだ。

 そしてグリズリーのコックピットハッチを閉じ、格納庫から出るべく脚を踏み出す。


「大丈夫かケイオス!?」


「大丈夫です……さあ行きましょう……」


「待ってろ!! 安全な所まで行ったら手当てしてやるからな!!」


 背面の推進装置を噴射しグリズリーがドッグケージ格納庫から発進する。

 大型の推進装置は大出力であり、見る見る艦との距離を話していく。

 数十分ほど飛行したところで近くを漂う岩石の陰に隠れた。


「ここまで離せば早々見つかるまい、ケイオス、待たせたな」


 予備兵員用のスペースでモニカの横でケイオスは目を瞑り横たわっていたがどこか様子がおかしい。


「おいケイオス!? 目を開けろケイオス!! ケイオス!!」


 ヴァイデスが必死に呼び掛けるもケイオスは二度と返事をしなかった。

 彼は既に息を引き取っていたのだ。

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