第43話 天野梨香・5

「何度も申し上げておりますように、当研究所で十分なテストを繰り返して安全性は確認できています。が、自然界でどのような想定外の反応が出るかは、出してみないとわかりません。わからないから想定外なんです。ですから、作るには作ったけれども利用するのは利用者側の判断でと申し上げています。ですがそれを各自治体ごとに判断させ、責任を負わせるのは無茶過ぎる。だから全体への影響を考えて検討して欲しいと言っているんです。安全性のテストデータについてはここにまとめてあります。読めばわかります」


 テレビの中ではピリピリした筧担当大臣と二階堂研究所のチーフ研究員である天野梨香が舌戦を繰り広げていた。

 舌戦というのもちょっと違うかもしれない、梨香が開発したウィルスを日本で使用することを前提に紹介しているだけだ。

 もちろん筧大臣が「はいそうですか、それはすばらしい」と諸手を挙げて賛成する筈もなく、安全性や責任範囲について延々と同じ話を繰り返しているのである。


 そもそも梨香は招かれざる客だった。ニュース番組にゲストという形でオンライン出演していた筧大臣に「土産がある」と言って二階堂研究所名義で割り込んだのだ。相手が二階堂研究所ということになると視聴率が取れる。ディレクターがその場でOKを出して、梨香も同じくオンラインで急遽出演が決まったのだ。

 台本もカンペもない状態で筧大臣がどう切り返してくるか、SNSで『二階堂研究所が割り込んだ』と拡散されて、あっという間に視聴率が倍に跳ね上がった。


「日本政府として、と言われましてもね。先日のようにこちらを無視して勝手に自治体で動いてしまう県も無くはないですからね。房総半島とはよく言ったものだ。知事自ら暴走される」


 丹下のことを揶揄しているのだろう。うまい事を言ったつもりなのか、筧が鼻で笑う。それを梨香が「それ本気で面白いと思ってます?」と一刀両断に切り捨て、苛立ちを必死に隠していた筧も、さすがに笑いを引き攣らせる。


「そうおっしゃいますけどね、天野さん。ああ、ここは敬意をこめて天野博士とお呼びした方がいいですかね、安全性が保証ができなくてもウィルスを作るだけ作ったわけですし」

「そうね、博士と呼んでいただこうかしら」


 目は口程に物を言うとはよく言ったものだ。動じない梨香に対し、筧の目が神経質そうな銀縁眼鏡の奥で「小生意気な小娘の分際で」と言っている。三十二歳の梨香は黙っていれば二十六、七にしか見えないからだろう。


「では天野博士にお尋ねしますが。実際、千葉県がそれでカビの被害を抑えられましたかね? いち早くロックダウンしたにもかかわらず、どこよりもカビの被害が大きいじゃないですか。勝手なことをした割にそれに見合った功績を残せませんでしたね。千葉県も、二階堂研究所も」

「そうでしょうか。あれだけのことをやってなお、被害が出ていると考えるべきではありませんか? もしもあの時すぐに動かずに筧大臣の判断を待っていたら、ずっと早い段階で千葉県は身動きが取れなくなっていたと思います。ロックダウンのタイミングに関しては二階堂はノータッチですが、完璧なタイミングだったと思っています。丹下知事が大臣の指示を待って動かずにいたら私が催促していたわ」

「それだけの権限が二階堂研究所にあると?」

「まさか。私の個人的な判断で進言するだけです。相手は生物ですよ。制御なんか効かないわ。あの緊急事態に、政府はチンタラチンタラと何をやっていたのかしら」


 二人の雲行きが怪しくなってきたところで司会者が「少々本題からずれて来ましたので、元に戻しますが」と割り込む。


 梨香の端末の隣では、二階堂がメールを打つのに忙しい。世界中に広がる二階堂研究所のコネクションにアクセスし、誰でも見ることのできる無料動画投稿サイトにライブ放送でこの様子を流すように指示しているのだ。それと同時に梨香の開発したウィルスの実験結果を七か国語で配信、世界中に見てもらおうという寸法だ。


 若者が動けば世論が動く。世論が動けば各国のトップは動かざるを得なくなる。接続と同時にアクセス数がうなぎのぼりに上がっていく。人々は外出自粛で外に出られないうえ、情報に飢えているのだ。入れ食い状態になるは当然の結果と言える。


 見る間にトレンドのトップに躍り出たこの話題は、ネット上で世界中の人達にリアルタイムで議論された。

 正体不明のウィルスを使うことへの懸念、何もできずにこのままカビに淘汰される人類の未来、何が正しくて何が間違っているのか、ギリギリの状態の中でどれを最優先に選択すべきなのか。


「今のところ私の実験データから言って、このウィルスは動物には一切影響を与えません。魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、節足動物、軟体動物、淡水生物に海洋生物まで試したわ。種子植物、シダ類、コケ類、藻類、あとは何をやったかしら、微生物も試したわね。徹底して感染は確認されなかった。このウィルスはごく限られた菌類にしか感染しない。コウジカビや黒カビにさえ感染しないのよ。青カビも何百種類もあるけど、この大増殖型の菌にしか反応しないわ。そういうふうに遺伝子操作したんだから当然だけど。あとは誰がこれを使うかという問題だわ」


 自信たっぷりに話す梨香に気圧されながらも、筧は必死で口角を上げようと努力する。


「しかしこれはね、天野博士。生物兵器と見做されたりしないのかね。その……例えば近隣諸国に」

「そう思うならその国がこれを使えばいいのよ。生物兵器という判断で敵対国にこのウィルスをばらまけばいいわ。敵対国はカビの被害から免れる。感謝されるだけよ。それよりこれ、全国放送ですよ。大臣の発言としてどうなのかしら、ライブ放送でしょ?」

「筧大臣、天野博士、ちょっとお話をまとめます」


 慌てて司会者が間に入る。時すでに遅しではあるが。


「つまり、天野博士の作ったウィルスは、例の大増殖しているカビ以外には全く影響を与えないということですね」

「ええ、私の知る限りでは」

「そしてそのウィルスの働きをもう一度お願いします」

「増殖を止めるだけです。フィアライドから作られる分生子が一つだけなんです。普通は分生子が数珠つなぎにいくつも作られる、それを一つのフィアライドにつき一つの分生子に抑制するんです」

「フィアライド?」

「ああ、ええと……」


 ああもうめんどくさい、と言いたいところだが、隣りで二階堂が目で「説明せよ」と言っている。


「ほら、普通カビってこう菌糸があってそこから胞子のう柄がニョキっと伸びて、その天辺に胞子嚢ができるじゃないですか。それでその胞子嚢の中にたくさんの胞子が入っていて、それをまき散らすことで増えますよね? この胞子嚢の中に胞子が一つしかできないと思っていただければ結構です。一人っ子政策みたいなものだわ」


 テレビには映らないが、横で二階堂が「言うに事欠いて一人っ子政策って……」と笑っている。


「この放送はライブで世界中に配信されています。筧大臣の発言もね。研究データも七か国語で同時配信しています。だから日本でなくたっていいわ。本当に困っている国があれば、二階堂はどこへでも届けます。今こうしている間も、交通網が麻痺して物流が滞っているところもある。このままでは先進国で餓死者が出るわよ。そしてその前に人間同士が殺し合いをするんだわ。アメリカなんかもう始まっている」


 黙って聞いていた筧が苦笑いと共に呆れたような口調で割り込む。


「天野博士、我々は日本人ですよ。日本人は世界一礼節を重んじる国ですよ」

「筧大臣ともあろう方が今日は失言の多い日ですね。日本人がみんな礼節をわきまえているなんて幻想は、早いところ捨てた方がいいんじゃなくて?」

「何がおっしゃりたい」

「人間は追い詰められたら何をするかわからないわよ。今の大臣のように本性が出るわ」

「なっ――」

「あら失礼。メインゲストの気分を害してしまったようだわ。私は伝えるべきことは伝えましたので、そろそろ失礼することにします。日本政府がここで二の足を踏むのは一向にかまいませんけど、諸外国で安全性を確認してからなんて悠長なことを言っているうちに国内が手遅れにならないように願ってます。内閣支持率にも響きますしね。そうそう、このウィルスについてのご質問とご注文は二階堂研究所のホームページで受け付けてますから。それでは失礼」


 満面の笑顔と共に問答無用で回線を切断した梨香に、司会者の「ありがとうございました」という慌てた挨拶が聞こえる。


「まーた喧嘩売っちゃって。梨香は血の気が多いからねぇ」

「あら、それくらいの方が話題性があっていいでしょ? SNSの反応が楽しみだわ」


 余裕で笑う梨香と呆れる二階堂の端末にホットラインが入った。ホワイトハウスからだった。

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