第十章 人材派遣会社代表・岩倉

第34話 岩倉・1

 岩倉は朝から百数十人を相手に、今回の作戦について詳細を説明していた。この仕事を始めて十五年になるが、こんな特殊な依頼内容でこの人数は初めてだ。


 匠エージェンシー――簡単に言ってしまえばシルバー人材センターのようなものだ。

 だが、そんじょそこらのそれとは明らかに別格である。面接や書類審査も厳しく、特殊技能はもちろん、自己管理能力や責任感も問われる。

 自分の仕事に誇りを持ったプロ中のプロだけが集まる技能集団を売りにしているのだ。

その分単価も高めだが、経験豊富なプロフェッショナルが欲しいという現場で重宝されている。


 仕事内容は一般事務から土木作業の現場監督、宮大工にデザイナー、パタンナー、カラーコーディネイター、保育士、ダンサー、危険物取扱、クレーンオペレーター、毒物劇物取扱と職種も多岐にわたるが、いずれも第一線を退いたいぶし銀の強者揃いである。


 だが今回はちょっと……いや、かなり特殊だ。

 清掃のプロで、且つ、呼吸器疾患及びカビアレルギーを有しない者を百人以上、上限なし。

 そもそも清掃のプロだけで百人集めるのが無理だ。岩倉のお眼鏡にかなったプロフェッショナルしか登録していないうえに職種も多い。『匠』を名乗るのだから当然登録者の質は下げられない。

 いつもなら断る案件だ。だが、今回ばかりは別だ。クライアントは千葉県。あの県知事・丹下源太の名前で依頼が来ている、絶対に断るわけにはいかない。


 アイスランド、ケニア、アラスカに蔓延しているカビがアメリカ西海岸に勢力を伸ばし、さらにフィリピンやニュージーランドでも報告が上がると同時に、日本でも発見されたという。

 科学者たちの「日本を丸ごと封鎖する」という案は、万博の経済効果を期待した政府に握りつぶされてしまい、これからパンデミックが起こると予想されたらしい。

 そのため動く気のない政府に頼ることを止め、千葉県が独自の基準と対策を作り、千葉モデルとして展開することに決めたようだ。恐らくかけい大臣と総理は知らされていないだろう。そもそも言うだけ無駄だろうが。


 まあ、丹下ちゃんが動き出したのも理解できる。万博なんか始めて真っ先に被害に遭うのは千葉県だ。そもそも万博会場にもなっているし、会場が近隣の県だったとしても海外から万博目当ての旅行客が成田にガンガン入って来る。ニュースで見たアイスランドの光景が千葉で展開されるのかと思うとぞっとする。

 そして当然の成り行きではあるが、千葉で発生すれば東京、埼玉、神奈川、茨城辺りは一瞬でカビの巣窟になるだろう。アウトブレイクに三日かからないのではないか。そもそも感染症ではないのだから、パンデミックとかアウトブレイクという言葉を使っていいものかどうか迷うが。


 とにかく時間は僅かしかない、千葉県から依頼が来た時点ですぐに登録者全員に通知を出した。宮大工だろうが警備員だろうが、掃除のプロなど選んでいる暇はなかった。

 仕事はカビの駆除のみであること、呼吸器疾患とアレルギーが無い限り人体に影響はないこと、二十四時間三交代制になること、クライアントは丹下源太千葉県知事であること、この四項目だけを通知し、参加できる者を募った。

 そもそも事務所しかなかった匠エージェンシーの為に、丹下知事は事務所近くの公民館の会議室を丸ごと全部押さえてくれた。ここを拠点に好きなように使っていいということらしい。


 昨日の時点でポータブルバキューム三十台が搬入され、小会議室で出番を待っている。専用バキューム車も三台、駐車場に昨夜搬入された。一目でカビ駆除スタッフであることがわかるスタッフ用安全ベストも百着準備されている。


「二十四時間三交代制の勤務となります。朝の四時から正午までの午前チーム、正午から夜八時までの午後チーム、夜八時から朝四時までの深夜チームに分かれていただきます。その中で胞子をバキュームで吸う係と、菌糸を完全に除去する係に分業します。ポータブルバキュームは三十台、次のチームとの引継ぎの際に返却してください。原則的に残業は無しです。終わったら速やかに帰宅してください」


 女性が一人手を挙げた。ハウスキーピング歴六十五年の超ベテランだ。


「スタッフベストはそのまま着て帰るんですか?」

「いえ、一旦ここに戻っていただいてスタッフベストは置いて行ってもらいます。ここで次のチームの待機メンバーが前のチームの使用済みベストを洗濯します。家にカビを持ち込むことのないように。洗濯機は既に搬入済みです」


 ここでもう一人、手を挙げた。


「チームにリーダーが必要なんじゃないかねぇ。俺らがそれぞれに岩倉さんに報告してたら、岩倉さん、丹下ちゃんと打ち合わせする時間が無くなっちまうだろう。岩倉さんが適任者を指名してくれよ」

「あと、通報を監視する人が必要じゃないかしら? 通報の状況を見て何人派遣するか判断する人も専任でいた方がいいわね」


 さすがベテランは要領がいい。岩倉が気付けないようなことまで次々と提案してくれる。頼もしいことこの上ない。


「承知しました。それでは……」

「岩倉さん、俺が監視するよ。警備会社勤続四十年だ」

「派遣人員の判断はあたしが引き受けます。清掃会社でリーダーでしたから」


 岩倉が何も言わなくてもどんどん決まって行く。


「では、監視は瀬古さんに、人員調整は春日部さんお願いします。あと三つのチームのリーダーを決めましょう」 


 顔ぶれを見渡すだけで、岩倉にはその人が何のスペシャリストかわかる。名前を忘れてもそれだけは覚えているのだ。

 美容師、家政婦、ケアマネージャー、看護師、この人も家政婦、教師、造園業、また家政婦、自衛隊……自衛隊!


「まずは森さん、リーダーお願いします」

「承知しました」


 彼は間もなく七十に突入しようという歳だが、今でも懸垂が連続で五十回行けると言っていた。五十になったばかりの岩倉は一回も上がらない。


「それと水無瀬さん、志藤さん。お願いできますか?」

「了解」

「はいよ」


 水無瀬は元消防署員、志藤は元刑事で、どちらも体力は十分にある。そして三人とも不規則な勤務が得意だ。


「カビの処置の方法については私よりもみなさんの方がずっとお詳しいはずですのでお任せします。私への報告は特殊事例を除き、基本的にはリーダーの三人から入れてください。全員が私と三人のリーダーと連絡が取れる状態にしておいてください」


 岩倉を見つめるたくさんの目が輝いている。日本の年寄りをなめんなよ。こんなに生き生きとした老人集団が他に居てたまるか。これが匠エージェンシーだ。


「今回のクライアントは丹下源太千葉県知事です。今日の午後からOKということですぐにゴーサインを出します。午後から仕事が入るつもりで、三人のリーダーを中心に自分の勤務できる時間帯で今から組織を編成してください。我々の責任範囲は君津までの東京湾岸と県境から南は茂原までです。この中は何が何でも守り抜き、プロフェッショナルの底力を見せつけてやりましょう」


 年老いた精鋭たちからいらえの声が上がる。老兵の経験と知識を軽んずべからず。岩倉は満足げに頷いた。

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