第5話 生後一ヶ月にしてご飯がピンチな件


 赤ん坊の不自由さを噛みしめること二十八日。

 生後一ヶ月(二十八日目)である。

 月日が経つのが早いのか遅いのか、よく分からんな。


 生まれて一ヵ月目には、『一ヵ月検診』という健康チェックがある。丁度それを終わらせたところだ。

 ちなみに歴代計測数値ぶっちぎりの健康児である。褒めてくれてもかまわないのよ!


 医術師を見送り、ベッドの上に座る俺の前には二人の男女がいた。

 男の名前はアロガン・グランシャリオ。俺の父親だ。

 アロガンが個人名、グランシャリオが家名だが、実のところ父の正式氏名(フルネーム)はもっと長い。俺もそうなのだが、グランシャリオ家の正嫡なので家名の前に名前がいっぱいつくのだ。

 名前が多いのは上級貴族の常で、多くなる理由は父方の祖父やら母方の祖父やらがこれでもかと名前を贈ってくるせいである。真名を支配されにくいように、という昔ながらの風習でもあるのだが、そもそも精神支配系能力に耐性のある魔族に必要な風習なのかが疑問だ。……いらんだろコレ。正直ほとんど使わないし。あまりの多さにたいていの場合省略されて、正式氏名フルネームを使うのは大事な式典や誓約、正式契約や名乗りの時ぐらいだ。

 ……また長い名前連呼して魔法契約作業するのか……うつだな……


 我がグランシャリオ家は、魔族十二大家と呼ばれる名門の一つだ。

 父はグランシャリオ家の現当主。現魔王ほどではないが強大な魔力を有し、戦闘においては魔族でも三指に入る実力者である。

 ちなみに、青みがかった銀髪の誰もが見惚れる程の美男でもある。

 ……この父の子でありながら、何故俺は非モテだったのだろうか……


 性格は冷酷かつ傲慢。

 魔族全体の繁栄と共に生家の利益を重視し、少しのミスで容赦なく部下を切り捨てていた男。敏腕だが無情、というやつだな。

 俺自身、前世では優しい言葉や家族愛めいたものを与えてもらった覚えがほとんど無い。

 だが、信頼でき安心できる背中をしていて――俺が魔王位に就くより前、ある事件で俺を生かす為に命を賭して亡くなった人だった。

 その記憶がある分、俺の父への愛情は深い。

 けれど生前、部下達にすら恐れられていた冷酷さを今も覚えている。

 なのに、何故だろう。

 なんか馬鹿になってる。


「レディオンちゃん、ほーら、高い高いでちゅよ~」


 なんかすごい馬鹿になってる。


 おかしい。

 俺の知っている父は俺より遥かに魔王じみた男だった。クールでスタイリッシュな男だったのだ。ついでに血も涙もない男だった。こんなバカっぽい顔をする男じゃなかったはずだ。男のデレ顔って気持ち悪いな。


 その父の隣にいる美女の名はアルモニー・エマ・グランシャリオ。父の正妻で、俺の母だ。

 間に入る名前は、母の祖父から贈られた愛称。その一つだけなのは、母の実家が下級魔族だからだろう。……なにしろ、名前一つつける度に金貨一枚、出身地の領主に払わないといけないからな。

 その母はといえば、魔族でも類を見ないほど飛び抜けて高い魔力親和度と、絶世と謳われる美貌をもつが、魔力そのものは下級レベル。実家も下級魔族かつ落ちぶれた貧乏貴族だったので、普通ならグランシャリオ家の正妻になれないはずだった。

 だが、その類稀な魔力親和度を次世代に引き継がせる為に正妻として迎えられた女性なのだ。


 髪と瞳は陽光の如き柔らかな金。優柔不断で引っ込み思案なところがあったが、春の日だまりのようにふわふわした可愛らしい女性だった。

 俺にとっても愛情深い母で、そこは前世の時と変わらない。

 ただ、なんか強くなってる。

 父がすごい尻に敷かれてる。


「あなた。幼児言葉はおやめください。この子がそんな言葉を覚えたらどうするのです」


 誰だ。

 おかしい。

 俺の知っている母は優しく美しく、一歩控えた女性だった。春の日差しのような女性だったのだ。

 こんな厳しい言葉をかける人じゃなかったはずだ。母様、何がありましたか。


 母は呆れた眼差しだが、俺を高い高いする父は目尻が下がりっぱなしだ。これがあの冷酷無比な男かと世を儚みたくなるレベルだが、父が俺を溺愛するのも無理のないことである。

 なにしろ、今生の俺は他の追随を許さないほど成長が早い。

 もともと生まれつき高い魔力と頑強な肉体をもっていれば、大なり小なり赤ん坊の『成長』は早くなる。まともに身動きの出来ない『赤ん坊』の無防備な期間を、無意識に短縮しようとして成長が早まるのだ。

 実際、前世の俺も一才の後半ですでに五歳児ぐらいの身体能力をもっていた。これは魔族の歴史から見ても相当な『成長』だが、似たような実例は珍しくない。俺の幼馴染も俺ほどではないが成長が早かったしな。

 だが、今生の俺は前世よりも凄まじい。

 大人の精神をもつ俺が意識的かつ重点的に身体を鍛えた結果、今の俺はわずか生後一ヵ月で一歳児とほぼ同等。あまりの『成長』に、我が家の専属医術師が何度も何度も俺の検診に来たほどだ。

 ……俺、改めて一ヵ月検診する必要、あったのかな……


 これほど目に見える成長を見せつけたのだ、父には凄まじく優秀な息子に見えるだろう。……なにかズルをしているようで申し訳ないが。

 すまんね、父様。今度、肩たたきしてあげるから許してね?


「レディオンちゃんは賢いから大丈夫でちゅよね~?」

「その賢い子にその言葉で喋りかける意味はあるのですか?」

「いいではないか。お前は何故私の楽しみを邪魔するのだ!?」

「子供の教育の為です」

「――む。それならば、仕方ないな」


 嗚呼、父様が母様にやりこめられてる。前世では想像も出来なかった姿だ。

 そんな両親の周囲には、ふわふわと浮く紙風船があった。

 成長の早い俺に喜んだ父が、魔力操作訓練用にと用意した玩具だ。

 母は「気が早い」と呆れていたが、俺としては願ったり叶ったり。父よ、よくやった! もっと与えてくれてもいいのよ!?


「エマ様。旦那様。お食事の用意が整いましたが、いかがいたしましょうか?」


 父母に可愛がられつつ訓練していると、控えめに声をかけられた。

 今生で一番世話になっているメイド――クロエ・ベネトナシュだ。

 このクロエという女性は、母の乳姉妹だった。昔から母に仕えている者でもあり、母の嫁入り時に実家から連れてきた唯一のメイドだという。

 そのせいか、母と非常に仲が良い。母様も度々俺に向かって「私に何かあった時はクロエを頼りなさいね」と言うぐらいだ。父様の存在について考えさせられる一言である。


 しかし、俺には気がかりなことがあった。

 俺はクロエの顔に見覚えが無い。これほど母から頼りにされているのにだ。

 かわりに、名前には聞き覚えがある。ただし良くない覚え方で。


 なにしろ俺が物心つくかどうかというところで父に殺される者の名前なのである。確か、俺に毒をもったという罪状だったはずだ。

 同名の他人であってくれればいいのだが。

 ……それにしても、俺、なんで同族に毒殺されかかったんだろう……?


 個人的にひっかかるものを覚えるが、クロエは気立ての良い優しい女性だった。俺への対応も丁寧で、しかも美人だ。胸も大きく、抱っこされるととても気持ちいい。


 誕生直後の俺を知る面々の中では、おそらく父母と執事達を除いて唯一まともに俺と接することが出来る女性だろう。他の連中は怯えきって話にならないからな。

 もっとも、クロエ自身も俺にちょっと怯えている。まぁ、あの呪詛の塊のようだった俺を知っていれば当然か。


「食事か……レディオンちゃんと離れるのは嫌だな」

「……あなた。そう言って、最近は仕事すら放棄しているではありませんか。ノーラン達が困っていましたよ」


 む!? 父様、仕事をサボってるの!?

 イカンよ! 俺が大富豪になって世界征服する為にも、我が家には頑張ってもらわないとならんのよ!?


「んきゃあん!」

「ほら、レディオンにも怒られましたわね」

「お前がいらんことを言うからだろう!? ――レディオンちゃん!? パパ、お仕事頑張るよ!?」


 うむ。分かればいいのだ。

 俺もすぐ成長して手伝うから、しっかりね!


「それにしても、レディオン様は本当に成長が早いですわね」

「本当に、こんなに優秀だとは思わなかったわ……」


 クロエの声に、母や少し途方に暮れたような顔で言う。

 母様、酷くないですか? もうちょっと期待してくれもいいんですよ?


「優秀で良いではないか。何か不満なのか?」

「優秀すぎるのも心配なのですよ。……誰か悪い人に悪い風に育てられてしまったら、取り返しのつかないことになるもの」


 父の声に、母は困ったような顔で言う。

 うん。まぁ、ある意味神々にそういう風に育てられてしまった挙句が、「世界よ滅べ」な最期だったしな。


「我々がいる以上、そんなことにはなるまい」

「ずっと傍にいるわけではありませんもの。それに、この子を籠の鳥にするつもりはありませんでしょう? 接触する人が全て善人であるとは限りません。かといって、つきあいを厳選すれば世界は狭まります。豊かな教養、善悪をきちんと判断できる道徳、弱きを見捨てない優しさ、最善を選べる判断力……強い力を持てば持つほど、備えなければならない美点を多く必要としますでしょう?」

「あ、ああ」

「だから心配なのです。この子は優秀すぎる……良くないものに目をつけられてしまうのではないかしら」


 ちょっと驚いている父に気付かず、母はため息をついた。

 俺は二重の意味でビックリだ。

 母様、前世では『夢見がち』だの『夢想家』だの言われていたが、むしろ現実的でしかも正確に未来を予測している。逆に、他の人達が思いつかないレベルで想像力が逞しいのかもしれない。

 ……あれかな。周囲の理解が得られなくて評価低かった系かな。


「世話役はすでに雇ってある。仕事の調整で間に合わなんだが、すでに向こうの大陸を発っていることだろう。今の時期の船だから、あと三か月はかかるだろうがな。奴が来れば、お前の心配は杞憂になるだろう」

「……だとよいのですが」


 母様は嘆息をつく。

 俺としては父様がやたらと評価してる『世話役』が気になるところだな。前世で該当しそうな相手がいないんだが……物心つく前に死んだ系か?

 まぁ、いい。いずれ分かるだろう。


「レディオンもそろそろお腹が空いているでしょうから、私達もこちらでいただきましょうか。――クロエ、こちらに準備してもらっていいかしら?」

「畏まりました」


 俺を手放さない父に諦めたのか、母様がクロエに指示を出す。

 父様が嬉しげに俺に頬ずりしたのは言うまでもない。やーん。







 意識が浮上して、俺は腹いっぱいになっているのを知覚した。

 俺の『ご飯』は母乳だ。赤ん坊だから仕方がない。

 大人の男の精神をもつ俺にとって非常に微妙な現実だが、「さぁご飯ですよ」とぼろんと出されると、赤ん坊としての本能に負けるらしく俺の意識は薄れる。気づいたらベッドに寝かされていて、その時にはお腹いっぱいになっていた。

 吸ってる記憶は無いのだ。

 よかったな、父様。あと俺の精神。


 今日も今日とて本能が俺の意識を押しのけたらしく、満ち足りた体がぽかぽかする。赤ん坊になってから精神が幼い体に引き摺られる感覚がするが、悪い事ばかりでも無いな。けぷー。


「首がすわるのは早かったですけれど、まだ歯は生えていらっしゃいませんわね」


 衣服を整える母様から俺を預かり、抱っこしてほくほく顔の父様の手前、両親用の紅茶を用意するクロエがそんなことを言った。

 そう、俺はまだ歯が生えていない。

 本来、乳歯が生えてくる時期と首が据わる時期はほぼ同じぐらいらしい。俺は魔力を体に通して強化した結果、首が早く据わったという異常成長なのでこれに当てはまらない。

 出来れば歯も早く生えて欲しいのだが、そう上手くはいかないようだ。

 カルシウムが足りないのだろうか。


「レディオンちゃん、あ~んしてごらん?」


 あ~ん。


「……生える予兆もまだ出ていないな。もうよちよち歩きは始まっているが、離乳食はまだまだ先か……」

「まだ一ヶ月ですからね。体も特別大きくなっているわけではありませんし、『動く』ことに特化して成長しているのかもしれませんね」

「ふむ。なるほど」


 俺の小さな口の中を覗き込んで考え込む父様に、父様と入れ替わりで食事をしている母様が鋭い指摘をする。母様、勘が良すぎませんか?

 それにしても、さっきから美味しそうな匂いが漂ってきて俺を切ない気分にさせる……だが我慢である。

 ……早く固形物食べられるようにならないかな……


「まずは動けるように――か。安全に運動が出来る場所を作るか」

「守護者の数を増やして、屋敷全体の警備を高めてはいかがですか? この調子だとすぐに走り回る様になるでしょうから、部屋の一つや二つ、増やしたところで間に合いませんでしょう」

「それもそうだな。前から部屋の外に脱走していたし、まずは東棟を解放するか」


 おお! 東棟の解放きたよ!

 屋敷の東は、図書室や執務室、書斎、俺や家族の部屋がある部分だ。

 階段は東の端と中央棟との境目にそれぞれあり、どちらからでも一階に下りれるようになっている。東棟の一階は大資料室と宝物庫だな。

 もとから重要な部屋が集まっているので守護者の数も多く、警備も厚い。外部が入り込まないよう結界が張られているのも、解放が早まった理由だろう。


 ふむ。この様子だと、もうちょっと体が自由に動かせるようになったら中央棟や西棟の解放もあるかもしれないな。

 西棟には厨房もある。建物は繋がっているのだし、こっそり入り込むのも手だろう。

 ……俺はその前に我が部屋の宝物庫秘密ルートを開通させたいのだが、あの額、なんであんなに動かないんだろう……?


「しかし、この年で鍵開けをマスターして部屋の外に出るとか、レディオンちゃんは天才だな!」

「天才かもしれませんが、危険が増しますから屋敷の外に出ないよう警備は強化してくださいね?」

「わかっているとも。断絶結界も施しておくとも」


 やめて。

 時空魔法奥義、やめて。

 なんでそこまでやろうとするよ!?

 それって究極封印術だよね!?


「それなら安心ですね」


 うそん!?

 俺は絶望した。こっそり西棟の厨房に入り込んでパンをくすねてくる計画が、実行前から無残にも散ったのだ。……あ、涙が。


「……あら、レディオン。駄目ですよ? あなたの体は、まだご飯を食べれないのですから」


 自暴自棄になって母の下に駆けより、母の手にあるパンにむしゃぶりつこうとしたら阻まれた。おふん。


「ご両親が食べているものに興味津々なのかもしれませんね」

「うふふ。駄目よ? レディオン。まだ歯も生えてないでしょう?」

「流石に、胃腸も消化に適した状態では無いだろうしな……」


 微笑ましそうなクロエの声に、両親がそろって相好を崩しつつ俺を宥めにかかる。辛い。

 悲しみに父の指をはむはむしたらものすごいデレられた。怖い。


「ですが……レディオン様が早めに離乳食に切り替わられれば、憂いはなくなるのですよね……」


 頬を擽る父様の指と格闘している俺を見てから、クロエが困ったような視線を母様に向ける。正確には、母様の胸に。


「母乳……持たないかもしれないものね」


 母様がポツリと呟いた。

 そう。この一ヶ月程で、母様の豊かな胸が徐々に小さくなってきたのだ。俺がたらふく飲むせいである。

 ご飯がピンチ。

 俺達の様子に、父様はしばし考える顔をしてから言った。


「我が領の家畜は、栄養の高い乳を出す。数頭、誂(あつら)えるか」


 グランシャリオ家の領地では酪農が盛んで、天魔山羊、天魔羊、天魔牛の天魔シリーズは品評会で最優秀賞を受賞している。

 肉は隣の領に負けたが、乳は上位独占状態なのだ。美味いぞ。

 確かクロエの実家も優秀賞に輝く家畜を育てていたはずだ。うちの大陸の家畜は一頭が大型馬車以上の巨体を誇るから、俺の食事だけなら一頭確保すれば事足りるだろう。病気などで乳が出なくなった時のことを考えれば、二頭確保しておくのが正解だろうが。


 しかし家畜か……前世では大戦時に世話になったものだ。

 当時はあのような世界大戦が勃発するとは思っておらず、ただでさえ大喰らいの多い種族なせいで、ずいぶんと食糧に苦労した。備蓄されていたわずかな食糧などあっという間に食いつくし、家畜を潰し、戦った相手の糧食を奪ってなんとか凌いでいたのだ。


 考えれば、今なんとかなっているからと、食糧問題を先延ばしにしていたのが悪かったのだろう。

 戦いが激化しはじめたのは、俺が魔王の座につく少し前――なら、この十年の間に農地改革と食糧問題をクリアしておかなくてはなるまい。


「一頭で構わないのではありませんか?」

「何を言う。せめて二、三頭は確保しておくべきだろう」


 おっと。考え事をしている間に、母様と父様の意見が対立してしまったぞ。


「ですが、家畜を確保するといっても、冬場の飼糧問題があります。南に大森林があるとはいえ、冬は雪に閉ざされる我が領土で、家畜を抱えすぎるのは後々に響くかと」

「ふむ……」


 二人は揃って窓の外を見た。

 吹雪である。

 なにしろ俺が生まれたのは十二月の下旬。只今、冬真っただ中なのである。


 毎年、冬になると雪に閉ざされる我が領では、冬を越させる家畜の数は秋の収穫期が終わった段階でそれぞれの家で決めている。それ以外の家畜は秋の段階で潰しているか、胃の中を空にしながら順々に潰していっているのが普通だ。

 その潰す家畜を持って行くのであれば、我が家で飼糧を用意しておかないといけない。

 だが、我が家に家畜用の飼糧など無い。あるのは軍用馬のためのものだ。これを使うわけにはいかない。

 だからといって農家や畜産業を営んでいるものに負担させるわけにもいかない。なにしろ、余分な飼糧が無いからこそ家畜を潰すのだから。


 では、冬を越させる家畜を対象にすれば、と思うかもしれないが、それはそれで問題がある。

 家々が残す家畜は、春までの間にそれぞれの家が必要としている家畜なのだ。

 乳だけでなく、チーズやヨーグルトなど、冬を越すために自分達が食べる食糧でもある。

 また、春からの放牧に必要なものばかりのため、それを持っていくのはいくら主家といえどして良いことでは無い。

 一頭ぐらいなら――家で飼糧を用意するなどの対応はいるが――まだ融通はきくが、複数確保するのはあまりにも横暴なのだ。

 もっとも――


「だが、一頭だけというのは、レディオンちゃんの為には心もとないぞ」


 ――その原因が、俺の満腹度のためというのが、なんともいえない話だが。

 うーむ。どうしたものか。

 俺が赤ん坊でさえなければ、俺の魔法でどうにか出来るのだが。

 しかも、喋れないから解決策を伝えることも出来ないな。

 皆して難しい顔をした時、母様が声をあげた。


「旦那様。それならば、旦那様のお力をお借りすれば解決できる策があります」

「ほぅ。なんだ?」


 おや?


「現在、前庭は、結界で『春』を維持していますね?」

「! ――成程。新たに『牧草地』を結界で作れば良いか」

「はい。規模次第では準備に少しばかりかかりますが、無いものを生み出すよりは容易いかと。庭の手入れ時に抜いた草をそちらに移して魔法で増やせば、飼糧問題は解決します。……あとは家畜そのものの融通ですが……。クロエ」

「我が家の家畜でしたら、如何様にも」

「構いませんか? 勿論、冬の間の補填は必ずいたしますし、春になればお返しできるよう取り計らいます」

「まぁ……。ご配慮くださり、ありがとうございます」


 両親が話をつめ、クロエが承諾したことで家畜確保と魔法による牧草地確保が決定した。

 雪に閉ざされる我が領で家畜を多く確保する場合、二つの手段がある。

 一つは冬になる前に大量の飼糧を用意しておくこと。

 もう一つは、冬でも『雪に閉ざされない』牧草地を確保しておくことだ。


 南部の大森林近くや東の海近くでは雪が降らない。その為、その近隣では冬になる前に家畜を大移動させている。

 我が家近辺やクロエの実家近くは雪に埋もれる為、移動させるのであれば冬になる前に行わなければならなかった。冬になってからでは遅いのだ。今から南や東に移動させるのは距離的にも難しいし――そもそも、向こうの越冬用牧草地も無限では無いしな。予定外の消耗を増やすのはやめておくべきだろう。


 ならば、どうするか。

 簡単だ。雪に埋もれる地域に、雪に埋もれない場所を無理やり作ればいい。

 我々は魔法に長け膨大な魔力を有する魔族だ。全土は難しいが、一部の地区だけならば春を維持し続けることも難しくは無い。――冬中ずっと結界を張り続ける力があれば、の話ではあるが。

 まぁ、世界中が敵だった世界大戦中ならばともかく、平時の今は余裕だろう。

 ――ちなみに前世の俺は、牧草地確保などは妻に指摘されるまで気付かなかったタイプだ。食糧とか、命じたらすぐに用意される身分だったから――というより、知識が偏りすぎて色々と抜けていたのだ。うん。当時の自分の愚かさが黒歴史レベルだな……


「しかし、よく牧草地確保などに結界を使おうなどと思いついたものだな?」

「旦那様のような方にはあまり身近ではありませんでしょうが、家畜を飼って生計をたてている者にとっては牧草地の確保は大事ですもの。自身で出来ることであれば、と、私に魔力さえあれば、と愚かな無い物ねだりを何度したことでしょう」

「そ、そうか」

「旦那様方はご自身の鍛錬や周辺の変異種ヴァリアント討伐などには魔法をお使いになりますが、それ以外にはあまり使われませんでしょう?」

「あ、ああ……まぁ、そうだな」

「勿体ないと思います。せっかくそれだけ膨大な魔力があるのですから、生産活動をすればどれだけの資産が出来ることか……変異種ヴァリアント討伐も、食糧確保のためにもっと大々的に行えばよろしいのに」

「う、うむ」


 ……やだ。父様と母様の会話が我が妻との会話に重なっちゃう。

 強い上級魔族は自身の強さを求めるのに夢中で金儲けとか食糧対策とかしないし、弱い下級魔族は生きるのに必死で余分な備蓄とかする余裕無いから、基本的に魔族の国民総生産は低いんだよな。魔族、脳筋だから。

 母様は色々考えてるみたいだから、この調子で父様を動かしてほしいものである。

 ……先を見越して食糧を貯えようにも、俺が赤ん坊ではどうにもならんからな……


「……討伐に関してはおいおい考えるとして……今年は急ごしらえで対応するしかないが、家畜の数をもっと確保していくことも、これからは必用だな。飼糧のことも含め、本格的に考えねばなるまい」


 おっ?


「旦那様……!」

「畜産も農業も、さほど重要ではあるまいと思っていたが……レディオンちゃんが受け継ぐ領地が、食糧の乏しい土地であってはならんしな」


 おおっ!?


「では、農地の改革も……?」

「ああ。していかねばなるまい。……考えれば、先々代の時代には鍛錬がてらに鍬を持ち田畑を耕していたのだ。先代から武技鍛錬や変異種ヴァリアント装備作成に切り替えたが、それらは冬の間にいくらでもできる。雪に閉ざされるまでの間は、農地を増やし食糧と飼糧の両方を確保していかねばなるまい」


 なんと……あの戦闘能力と二次産業にしか目が向いて無かった父様が、一次産業の大事さに思い至るとは……!!

 どうしたの? 何があったの? 明日は空から槍が降るの?

 俺のほっぺたをぷにぷにしてるけど、父様の意識改革がどうして発生したのかがよく分からんな。


「では、雪解け水を春以降の農地に活用できるよう、貯水池は今のうちに作っておくべきですね」

「うむ。土魔法の使い手を揃えておこう。雪かきもせねばならんな」

「雪かきも鍛錬に組み込まれますか? 風魔法の訓練もかねれればより良いとは思いますが」

「そうだな。ついでに、これからのことも考えて土魔法の使い手も増やすか。私が家の得意魔法の兼ね合いで、家人に土魔法の得意な者は多くないからな……」


 我が家の得意魔法は雷撃系だからな……

 土魔法が得意な者は雷魔法もそれなりだが、雷魔法が得意な者は土魔法が苦手なのが普通だ。土は風に弱く雷に強く、雷は土に弱く水に強いのだから。

 とはいえ、俺はどっちも得意だったが。


 ……ん? 思い返せば、俺が不得意な魔法って無いな?

 ちなみに神聖系も光系も得意だ。回復魔法なんて得意中の得意だった。誰も信じてはくれなかったがな!


「早速、今日にでもとりかかるとして……先に、当面のレディオンちゃん用の家畜を決めておくか」

「今年は牛だと厳しいですから、羊か山羊が良いかと」

「ふむ……」


 両親が揃って俺を見た。

 山羊か羊か、か。

 ならば、山羊が望ましい。俺は濃厚な山羊乳が大好きだ。

 羊は出来れば遠慮したい。

 別に昔、羊の群れに背後から突撃されたせいではないぞ?

 ものの見事に跳ね飛ばされたせいじゃない。断じて。断じてだ!


「クロエの所は、昨年最優秀賞を受賞したのよね?」

「はい。天魔羊で最優秀賞をいただきました。ご用意いたしましょうか?」


 羊!?

 待って! 羊なの!?

 俺を吹っ飛ばしてくれた巨大なモフモフなの!?


「……レディオン様は、羊はお嫌いですか」


 俺の顔を見てクロエが少し悲しげな顔になった。すまん。


「では、山羊はどうでしょう? 三年連続優秀賞に輝いた子がいます」


 山羊! おお! 好物だよ!

 乳も肉も大好きだよ!!


「きゃあーん!」


 顔を輝かせてクロエに駆け寄ると、クロエが相好を崩して頷く。

 その様子を見ていた母が何やら考える顔になった。


「あなた。天魔山羊も確保するとして、クロエを乳母に雇うことはできませんか?」

「レディオンちゃんが懐いているようだし、私としては構わんが」


 どうやらクロエは俺の乳母になるらしい。お給料もあがるから、クロエにとっても喜ばしいことのようだ。

 乳母になるならクロエ達の部屋も東棟に、など細々打ち合わせをしている両親を背後に、俺は天魔山羊を皮切りに味わえる食品を増やそうと密かに野望を燃やす。

 固形物はまだ難しいようだが、水あめや蜂蜜とかならどうだろう。スープやシチューとかもねだれるかもしれないな!


 そんな俺を見ながら、母がふと零した「ところで、どうしてレディオンは、見たこともない羊と山羊で反応を変えたのかしら?」という呟きは、気づかなかったフリをした。

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