第289話「秘密を保持」


 翔もアルバイトをするようになり、いよいよとお互いが相手に行く先や目的を告げることなく、日々が過ぎていく。


 二月十一日。

 更に寒さが増す中、本日に限っては二人共がおやすみなのか、リビングでゆったりとした時間を過ごしていた。暖房をつけてストーブもつけようとした所で、ことり、とコップが置かれる。


「ホットミルクです」

「ありがとう。これは温まりそうだ」


 桜花がホットミルクを作ってくれたらしい。翔はすぐさまそのコップを手に取って、口元に当てる。


「あちっ」

「もう少し待った方がいいですよ」

「うん、そうだね」


 自分が猫舌ということをすっかり忘れていた。

 それだけ喉が渇いていたのかというとそうではない。恐らくは桜花が作ってくれたもの、という言葉に反応してしまったのだろう。翔こ心の中はもう寂しい気持ちでいっぱいなのかもしれない。


 そんな思いもあってか、翔は桜花をまじまじと見つめた。

 桜花は小さな口で同じようにホットミルクを啜っていたのだが、翔にじっと見つめられていたたまれなくなったのか手に持っていたコップで自分の顔を隠した。


「な、何ですか。そのようにじっと見つめられると飲めないです」

「それはごめん……。けど」


 そう続けようとしてぐっと言葉に詰まった。本当なら「けど、最近、桜花と一緒にいられなくて寂しい」と繋げていくつもりだったのに、どうしてか口がつっかえてしまったかのように言葉として表せなかった。


 けど、で止められた桜花は当然のその先が知りたいのだろう。「何ですか?」と訊ねてくる。


「……僕に隠し事してないか?」

「隠し事、ですか」


 心当たりがないわけが無い。事実として桜花は翔との距離をいつもよりも少し遠くにしている。

 桜花はきっと話すかどうかを思案しているのだろう。翔は言い方に棘があったのではないかと申し訳ない気持ちになりながらも桜花の次の言葉を待った。


「……翔くんもしてますよね?隠し事」


 次に紡がれた言葉は逆に翔に訊ねるものであった。翔は思わぬ質問に驚きを隠せずに目を丸く見開いた。

 隠し事とはアルバイトのことをいっているのだろうか。翔としてはアルバイトをしているという行為については桜花に知られても別段問題は無い。

 翔が行っているのは裏方のお手伝いなので接客を伴うアルバイトはしていないからだ。だが、その一方でどうしてもアルバイトの先にあるものを勘づかれる訳にはいかないのだ。


 そこを天秤にかけて、翔は結局、 話すことにした。その方が桜花のことも聞きやすくなるのではないかと思ったからでもあった。


「あぁ。アルバイトを始めた」

「修斗さんからの仕送りでも充分に生活はできると思いますが……。何か欲しいものでもあるのですか?」

「欲しいものというか何と言うか……」

「そこは教えてくれないのですね」

「まぁ、色々とやりたいことがある、ということで」


 濁せばよかった、と深く後悔した。これでは逆に考えてみてくれ、と言っているようなものではないか。


 翔はもうだいぶ冷めたであろうホットミルクを飲みながら桜花を見つめる。


「本音を言えば、桜花が帰ってこないから」

「……」

「何をしてるのかはもう聞かないけど。……寂しい」

「翔くんは甘えん坊さんです」

「……かもな」

「こちらに来てください」


 桜花に呼ばれて翔は桜花の隣にぴたりと引っ付いた。桜花は翔の頭を撫でたかと思うと、思い切り翔の身体を抱き締めた。


 桜花から抱き締められるというのはなかなかにないことであり、翔の脳は一気に限界まで突き進む。

 女の子特有の柔らかいものが翔の胸に当てられる。翔の首に回された手は翔が距離を置こうとするのを拒み、更に密着させようとしてくる。


「少し翔くんを放って置きすぎましたね」

「言い方が酷いな……」

「でも、翔くんを思っての事なのですよ?」

「僕を思って……?それは一体どういう」


 翔がそう訊ねると桜花は何も答えない代わりにふーっと翔の耳に息を吹きかけた。ぞくぞくとした感覚が全身に駆け巡り、身体が反射してぴくりと動く。

 ふふふ、と桜花が悪戯に成功した子どものような笑い声をあげる。


「あーびっくりし……ッ?!」


 翔が油断したのも束の間。今度はあろう事か翔の耳を甘噛みしてきた。手と顔が使用不可能だからといって口で耳を攻めてくるのは反則だと思う。


 甘い感覚が駆け巡る。

 どくどくと脈が早くなっているのを自分で感じる。すると、密着してので気付いたのか、


「翔くん、どきどきしてますか?」


 と、耳元で囁いてくる。

 翔はこんなにも桜花に弄ばれているのにも関わらず、それを拒むことなく受け入れて、しかも何だかそれを相手をしてもらえていると思ってしまったのか嬉しいと感じている自分も少なからずいるということに内心、驚いていた。


「……すっごく、どきどきしてる」

「私は翔くんのことが大好きですから、翔くんが嫌なことはしません」

「でも」

「少し手間取ってしまって、翔くんに寂しい思いをさせてしまったのは謝ります。ごめんなさい」

「いいよ。僕だって幼稚園生じゃない。これぐらい我慢出来る」

「やせ我慢は体に悪いですよ」

「なら……教えてよ?」


 桜花は翔がやせ我慢であると予想しているらしい。まぁ、事実なので、虚勢を張ることしか出来ない。


 桜花はもう一度、翔にぎゅっと抱きつき、その空いた手で翔の頭を撫でながら、


「明明後日になれば分かりますよ」


 と。

 恥じらいこの篭った声色でそういった。


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