第245話「買ってきた」


 翔は風邪が持久戦になってしまうことも考慮して3本のスポーツ飲料を購入した。


 そして、今更ながらに冷えピタを備蓄していなかったことに気づいて慌てて買った。こちらはひとつを買っておけば大丈夫だろう。


 辺りはすっかり暗くなっていて、夜道であったがコンビニの電気はその中で主張を激しくして光っていた。

 翔が入った時には誰もいなかったので警察官などに見られたという心配はない。まぁ、そのように心配する時間でもなかったが。


「ただいまー」


 家に帰って早々、桜花が額に汗をかいて眠っていた。

 翔は慌てて駆け寄って桜花の額に自分の手を重ねる。手袋をしていたのでそこまで冷えてはいなかったが、それでもはっかり熱いと分かるぐらいには熱を持っていた。ということはつまり、桜花の熱は上がったということだ。


 翔は使った形跡のある体温計を手に持った。この体温計は電源を入れるとその前に測った体温が表示されるので桜花がもし、しっかりと体温を計っていたらその体温が表示されるはずだ。


 翔はその体温計が示す数字に驚いた。37.9℃だったのだ。

 直ぐに買ってきた冷えピタを開封して桜花の額に貼ってやる。急なひんやり感に眉を顰める桜花にごめんな、と心の中で謝る。


 そして、いそいそとタオルを取り出して桜花の身体を拭いてやる。生肌が見えている状態で触るのはまだ抵抗があるが、服を着ている場合なら胸や股を除いた鎖骨、腹、首、額ならまだ何とかできそうだった。


(一応、応急処置はできたと思う。……桜花の顔も苦しそうな状態からは抜け出したようだし)


 ふぅ、と一息つく。

 しかし、ここでふと気づいたことがあった。ソファに寝かせているのはいいのだが、これでは寝にくいだろう。かといって、抱いて運べば起こしてしまうかもしれないし、どこに運ぶのかも分からない。桜花の部屋なのか両親の部屋なのか。


「ふわぁ……。帰っていたのですか、おかえりなさい」


 翔が悶々と唸っているとそれで目を覚ました訳では無いだろうが、桜花と視線があった。


 小さな口が精一杯開いている様子はとても微笑ましく見てて癒される心地がしたが、それよりも問題は桜花の体調だ。


 翔が出ていってからはまだ10分少々しか経っていない。


「僕の前では無理をしてただろ」

「……体温計を見たのですね。少しだけ見栄を張りました」

「無理するなって言わなかったか?」

「ごめんなさい」


 返ってきた言葉が思っていたよりもずっとしゅんとしたものだったので、翔は心の中でひっそりとこれは重症だと思った。

 出来れば明日、病院に連れていきたいと思う程に。


「とりあえず、ソファじゃ寝にくいだろう。移動しよう」

「どこにですか?」

「桜花のベッドか父さん達のベッドだな」

「……私の部屋にお願いします」


 翔はその答えに驚いた。今まではどうしても翔を部屋に入れたくないと拒んでいたので、今回も修斗達のベッドに運んでくれ、と言われるものだとばかり思っていた。


 その予想が外れてしまったせいか、翔はすぐには声が出ず、変な沈黙が生まれてしまった。


「……その前に」

「ん?」

「翔くんはお風呂に入るべきです」

「そんなに僕をお風呂に入れたいのか……。そんなに臭いかな」

「そういう訳では……ないですけど。……入りたそうに見えたので」

「そこまで言うなら入るけど……」


 翔は自分がそこまでお風呂に入りたいという顔をしていたのだろうか、と疑わしくなり自分の頬を触るが特に変わった様子はなかった。一応、臭いも嗅いでみたが分からなかった。

 自分の臭いには気付かないと言うからそうなのだろうとポジティブに考えた。


「あー。桜花」

「何ですか」

「桜花の部屋に運ぶということは僕が桜花の部屋に入るということでもあるんだけどそれは分かってて言った?」

「……」


 翔はどうしても気になって訊ねた。

 桜花は黙った。


「……おふたりのベッドは、またいつ……帰られるか分かりませんから」

「そうだったのか。別に気にしなくてもいいと思うけど」

「ふふ、そうは……行きませんよ。ご両親は、大切にしなければ」


 唐突に帰ってくる方が悪いので自慢のキャンプ用品で野宿したり、車中泊をしたり、雑魚寝をしたり、ソファで寝たりさせればいい。


 翔はそう考えていたので桜花の思いには言われるまで気づかなかった。


「そういうものか」

「そういうものです。……それに、このような機会でもなければ……部屋に入らせる勇気はなかったと……思うので」

「僕をそこまでして入らせたくないのか」

「乙女の部屋、ですからね。……そう易々と見せる訳には……行きません」


 桜花の部屋を遂に見られることが出来るというのに、その心境は複雑なものだった。


「ちょっとお風呂に入ってくるよ」

「どうぞ、ごゆっくり」

「僕が出るまではテレビでも見て気分を紛らわせて」

「大丈夫ですよ。……もし眠っていてもそのまま運んでください」

「うん、分かった」


 翔はごゆっくりとは言われたものの、できる限り急ごうと思った。




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