第211話「寝られない」
しばらく話をしていたものの、やはり桜花は夜更かしに向かなかったようで、いつの間にか眠ってしまっていた。
翔は律儀に返答していたこともあり、目が冴えてしまっていた。
(初めてこうして一緒に寝たかもしれない)
翔は改めてまじまじと桜花を見つめた。
どれだけ起きている時には傍にいるとしても、眠る時だけは自分の部屋でそれぞれ寝ていた。
翔は一緒に寝たいという気持ちはあったものの、それを強要するつもりは毛頭なく、逆にずっと自分といても飽きてしまうだろう、などと思い、それを伝えようとはしていなかった。
だからこそ、この現在の状況は普通では考えられないことであり、雷に感謝しなければならない。
雷といえば、桜花が苦手なのは初耳だった。何でもできるとはいえ、苦手の一つや二つはあるだろうと思ってはいたのだが、まさかそのひとつが雷だとは。
(寝顔は見た事あるな。けど、こんなに安心しきったように寝てたっけ?僕が襲うなんてこれっぽっちも考えちゃいないんだろうな)
翔はそう考え、少しだけ複雑な気持ちになった。
翔という人間では安心されるというのは誇らしいことで、喜ばしいことではあるのだが、男として、または彼氏としてという面ではそれは手も出せないヘタレだと遠回しに言われているような気がする。
桜花が翔の思惑を知ってか、タイミングよくくるりと寝返りを打つ。
小さな背中が翔の目に飛び込んでくる。
(抱き締めてもいいのだろうか)
相手は女の子でしかも熟睡中。しかし、翔はその女の子の彼氏である。
刹那の思考の末に、翔はそっと腕を桜花の身体に回す。ゆっくりとその腕を身体に近付けるように曲げていく。
桜花の背中に顔を埋める。その時に翔が乾かしてやった髪の毛が翔と背中の間に緩衝材のように割り込んでくる。
呼吸のために息を吸い込むと、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
(寝ている時に抱き締めてしまった……)
しかし、同時に寝ている内に無意識でこうなってしまった、と言い訳ができると正当化してみる。
(……寝れない)
自分でしておいて、とは思うが、翔の脳はすっかり冴えてしまって睡魔が全くやってこやい。
桜花が起きていればもしかしたら逆に翔の方が熟睡してしまった可能性はあるが、つまりは知らない方が有利なのである。
桜花は今や翔の抱き枕状態であったが、そんなことは知る由もない。
女の子特有の桜花の柔らかさは翔のもっと触れたいという独占欲を刺激し、甘い匂いは理性を抑え、それを加速させる。
「ん……翔……くん」
桜花が寝言を漏らす。
翔の心臓が飛び跳ねそうな程に驚いたのは言うまでもない。それがまた、ちょうど息を吸い込むタイミングと同時だったのか悪かった。
咳き込みかけたが、意地でどうにか保った。ここで抑えなしで咳き込むとその振動と音は桜花に余すところなく伝わってしまう。
翔は桜花と一緒に寝たいのであって、桜花の睡眠を邪魔するようなことはしたくない。
「僕はここにいるから大丈夫だよ」
「んぅ……」
「桜花は可愛いな」
翔は意識せずに声を漏らしてしまった。
どうして僕が隣なのだろう、僕でいいのだろうか、などと訊ねると桜花は怒ってしまうので本人に直接聞けないがどうしてもふとそう思わずにはいられない。
それは相応しいや相応しくないという他人の考えに対してのものではなく、ただ単に桜花ならば引く手数多だろうに、どうして幼馴染である翔を選んだのだろうかという純粋な疑問だった。
しかし、それはこの先のいつかで知れればいいと思っている。
世間一般では幼馴染は負けフラグらしい。
翔の読むラブコメも幼馴染は噛ませ役が多いのは確かだ。しかも振られ方がどうにも悲しく「幼馴染はどきときしない」なんて言われている作品もある。
(幼馴染でもどきどきする人はするんだよなぁ)
今の自分と照らし合わせてみてみるとその作品とは対極にあることは間違いがない。
翔の場合は普通の幼馴染とは少し訳が違うのだが、幼馴染という部類には入るだろう。
カルマと蛍が好き同士でいるように、翔と桜花も幼馴染であっても、好き同士で他人が砂糖を吐き散らしそうなほど、相思相愛である。
(文化祭……)
翔の興奮状態もそろそろ効果が切れてきたのか、随分と現実的なことが思われた。
文化祭。並びに明日から始まる文化祭準備期間。
翔達は桜花や蛍をメインとしてカフェをするつもりらしい。翔と桜花の恋人関係を知っている人はあまりいない。
クラスには大分浸透しているらしいが、如何せん全校としてみてみれば、桜花と蛍の抜群の容姿のみが独り歩きしている。
ただの客ではなく、そういう視線で見に来る人達もいるだろう。
そう考えると憂鬱になりそうになるが、桜花のメイド服を見てみたいのは翔も同じだった。
(我慢するしかないのかな)
彼氏だからと独占するのはよくない。そう分かってはいるのだが、翔の感情が素直に従ってはくれない。
翔は行き詰まった思考を捨て、桜花を抱き締めて、顔を埋めた。
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