第183話「よく寝てましたね」


 翔の意識が覚醒する。ふわっと全身が自分の意識と反して空中に浮遊したかのような錯覚を覚えたあと、翔はうっすらと瞼を開いていく。


 そこには見知った天井と、桜花の顔があった。

 せめてもの抵抗としてよこをむいてねていたのだが、いつの間にか上を向いて寝てしまっていたようで、桜花と視線がばっちり交差する。


「よく寝ていましたね」

「……何分ぐらい寝てた?」


 体感で分かる。これは10分やそこらの睡眠時間ではない。

 翔は申し訳なく思いながらもおずおずと訊ねると、桜花は指を三本折った。


「起こしてくれてよかったんだぞ」

「いえ、私も翔くんの寝顔を見るのは好きでしたし。私の膝上で気持ちよさそうに寝ている翔くんはとても可愛らしかったです」

「……うぅ」


 熟睡してしまった。桜花に面と向かっては照れくさくてとても言えないが、極上の寝心地だった。


 しかし、どうしても30分間も翔を膝の上に乗せて行動を制限させてしまったことが申し訳なく思ってしまう。

 更には無防備な寝顔を間近で拝まれていたことに恥ずかしさが込み上げてくる。


 平日に桜花が起こしに来る時にも見られているのだろうが、翔が完全に目覚めた時には誰もいないため、こうして実際に見られていた、と実感させられたのは初めてだった。


 そのせいかとても顔が熱い。


「時折、寝言も呟いてましたね」

「寝言?!何て言ってたんだ?」

「それは言えません」

「言えないことを言ってたのか……?」


 翔が桜花から顔を外しても翔の頭が乗っているのは桜花の膝の上なのでどうしても熱が移る。それ故に何処を向いても悟られてしまうのだが、更に爆弾を投下され、翔は堪らず頭を抱えた。


「どうでしたか?ぐっすり眠れましたか」

「お陰様で……」

「乙女の膝枕を堪能した感想はそれだけですか?」

「う……。ま、前にもしたことあるだろ」


 堪能、という甘美な響きにどきりと心臓が警鐘を鳴らす。

 翔がそう言うと桜花はむっとした表情を浮かべたあと、翔の頬を両手でむぎゅう、とつまんだ。


「翔くん?」

「ごめんなさい。……さ、最高に気持ち良かったです」

「そ、そうですか。……それなら良いのですが」


 翔はしどろもどろになりながらも本心を応えた。

 桜花の名前を呼ぶ声がどうしようもなく恐ろしく聞こえた、というのも無きにしも非ずだったが。

 兎も角も桜花も翔からまさか望む以上の感想が返ってくるとは思っていなかったからかほんのりと頬を上気させていた。


「ありがとう。これで花火大会中にうっかり寝ちゃうなんて事はなくなったな」

「そういうことがある、という方が不思議です」

「花火大会は花火が上がるまでは暇なんだよ」


 翔は過去の経験を語る。

 それは家族と行った花火大会なので、修斗と梓が2人の世界に入っていくから、というのもあったが。

 翔には適当に小金を持たせ自由に屋台巡りをさせてくれたが、翔自身が成長してからはあまりそういう屋台などに興味がなくなってしまったからか、そういう思いを抱くようになってしまった。


「私や蛍さん達と行くのはあまり楽しくなさそうですか」

「いや、ごめん。そういう意図があって言った訳じゃなくて……。今日はとても楽しみにしてるよ」

「浴衣に着替えて行きましょうね」

「そうだな。折角貰ったし着ていかないと損するな」


 翔が笑うと桜花がつられて笑った。

 いつも笑っている桜花を見ているがいつもとは違うように感じたのは桜花を下から見上げている形になっているからだろうか。


 そう不思議に思っていると、桜花がこほん、と咳払いを一つした。


「ところで、翔くんは随分とここがお気に入りになってしまったようですね」

「……」

「あまり乗る気ではなかったようですが」


 初めのことを言っているのだろう。翔が無駄に抵抗したので、桜花には乗る気ではなかったように映っているらしい。しかし、否定するのは桜花に膝枕をして欲しかった、と捉えられかねないのであまり言いたくはなかった。


「いつまでもこれじゃ迷惑だよな」

「い、いえ、迷惑だから言った訳ではなくてですね……」


 翔の頭にクエスチョンマークが三つほど浮かぶ。

 兎も角も翔が頭を上げてどかそうとすれば、桜花は何故か翔の肩をぐいっと引っ張り元の状態へと戻した。


 更に大きなクエスチョンマークが浮かぶ。


「……?」

「あの……。迷惑だから、という訳ではなくて……。その、嬉しかったからつい言ってみたくなりました」

「嬉しかったのか……?」


 恐る恐る訊ねてみると、桜花がこくりと頷く。

 その仕草にぐっと気持ちが揺さぶられた。


 抱き締めたい衝動が襲うが、この体勢ではどうにもできない。

 代わりに翔は手を伸ばして桜花の頬をふにふにとつまんだり押したりしてやった。


「翔くんが私に甘えてくれていると思いまして……」

「僕は大体いつも桜花に甘えていると思うけど」


 翔の考えと桜花の考えでは少しだけではあるだろうが、違いがあるようだ。

 翔がふにふにするのを桜花は好きにさせ、代わりにくしゃりと翔の頭を撫でた。


「ならもっと甘えてください」

「……桜花なしでは生きていけない身体になりそう」

「そうさせてあげます」


 それは嬉しいような困るような。

 翔は桜花の膝の上で複雑な顔を浮かべた。

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