第178話「酷く疲れた」
「あ〜、疲れた」
「お疲れ様です」
「桜花も大丈夫だったか?」
「ええ、恐らくは」
翔は家に帰って早々にソファに突っ伏した。蛍に全てを教えることになり、カルマの惚気よりも数段格が上の話を永遠かと思えるほどの時間に包み隠すことなく話す羽目になったのだ。
桜花に主に精神面での安全を訊ねたのだが、特に疲労困憊と言った様子では無いのでひとまず大丈夫だろう。
包み隠すことになく、とはいえどうしても言えないことある。
大人の階段を上ったキスはカルマ達にはまだ早いので黙っておいた。それを話したあとが怖かったから、というのが本当の理由ではあったが。
「カルマ達も仲睦まじそうで何よりだな」
「そうですね。花火大会が待ち遠しいです」
「そうだな」
翔達が思っているよりもカルマ達の恋人としての進展が早いことに翔は内心とても驚いていた。
夏休み期間だけでそういうことを一通り全ておこなえるカップルというのは珍しいのではないだろうか。
ごろん、と体勢を変えて、翔は仰向けになる。
「花火大会……」
一番の危惧は隣にいるのがもしかすると、カルマになってしまう危険性がある。
友達カップル二組で行く花火大会や、歩き回るイベントは、心のドキドキよりも安寧を選択し、同性同士で隣通しになる可能性がある。
きっと、女子には女子の、男子には男子の話しやすさ、というものがあるのだろう。
翔はその最悪、とまではカルマに申し訳なくて言えないが悪い展開にそっとため息を吐いた。
「もしかして……あまり気乗りしませんか?」
「いや、そういう訳じゃないよ。ただ、もしかしたらカルマと回ることになるのかな、と思ってさ」
「どういうことですか?」
ぽろっと口を突いて出てしまった言葉に翔は慌てて口を手で抑えるも、出てしまったものは仕方がない。
桜花はその不審な点を聞き逃すことなく、聞き返した。
「う〜ん……。桜花は同性と話すのと異性と話すのならどちらが話しやすい?」
「どちらも大して変わりません。強いて言うならば翔くんが一番話しやすいです」
「うん、僕は性別の第三のカテゴリーじゃないよ?」
「翔くんを除けば同性と話す方が気兼ねなく話すことができるかもしれません」
桜花は少し悩みながらも翔の言って欲しい方を選択してくれた。
「そうだろ?だから、蛍と桜花が隣になって僕とカルマが隣になるのかな、と」
「そういう事でしたか。私と隣がいいのですか?」
事実としてはそうなのだが、いざそう訊ねられてみると、些か肯定するのに勇気が必要だ。
翔は顔を赤くさせながらもこくりと頷いた。
桜花は翔の表情を見てか、楽しそうに笑っている。
「友達としていくのではなく、カップルが二組として行くのですから、私の隣は翔くんでしょう」
「でも、向こうはどう思ってるか分からないだろ」
「なら、私の隣を予約してください」
予約……?
翔は今までの話の中で出るはずのない言葉に戸惑いを隠しきれない。しかし、直ぐにその言葉が意味することを察する。
「予約したいです」
「えっと……ありがとうございます。受付で確認してください」
翔はむくりと起き上がり、桜花に近づいて行く。
受付で確認してください、というのは勿論、比喩である。翔の家に受付のカウンターはないし、予約希望を出したのはつい先程だ。
「右側と左側のどちらがご希望ですか……?」
「両方」
「……身体は一つですからどちらかしかダメです」
「片方さえも誰かに取られたくない」
翔は自分で誰か、と言った時に蛍を思い出していた。
翔の熱意にたじたじとなる桜花。
「予約した、という……証明を……」
「……」
サインかな、判子かな。
翔は比喩を脳内変換で直すことが叶わず、一気に不思議のパラダイスに招かれてしまう。
翔はとりあえず証明、と言われたので桜花の唇に軽く口付けを交わした。
「……証明?」
「……ありがとうございます」
きっと桜花はまだホテルの受付か何かの役として礼を言っているのだろうが、翔にはどうしてもキスをしてくれて、と括弧で勝手に意味が追加されて聞こえてしまう。
「サインが不鮮明ですかね?やり直しましょうか?」
「翔くん」
翔が調子のいいことを言っていると、桜花がじとっとした表情で翔を見据えていた。
どうやら今日はこれ以上させてはくれないらしい。
翔はわざとらしく肩を落とす。勿論、わざと。
しかし、桜花には効果覿面であわあわと珍しく慌てていた。
翔の普段ならばこの程度ならすぐに切り替えて笑っているか、別の話に変わることが多いのだが、今回だけこのような感じになっていて桜花は自分が何かしでかしてしまったのではないだろうか、と不安に駆られる。
「翔くん」
「……ん?」
翔はこれが演技であることを悟られないようにしながら、桜花の呼び掛けに耳を貸す。
桜花は恥ずかしいのか、こいこい、と手招きした後に翔の耳元で囁いた。
「翔くんは私を予約してくれましたけど私はまだしてませんでした」
「……」
「翔くんを予約させてください」
翔は何と言おうか迷ったが、ここは自らの感情を優先させた。
「……では、証明……を」
「ずっとの予約です」
桜花はそう囁いて翔の頬にキスを落とした。
翔はしばらく全身の熱が取れなかった。
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