第162話「そして、太陽を見る」


 翔がうっすらと目を開けると、変に視界が暗かった。

 刹那の思考で、もしや自分は死んだのでは、とも思ったのだが、どうやら違うらしいと直ぐに気づいた。しかも、サングラスをかけていたので、視界が暗かったらしい。


 先程までゴーグルを付けていたはずだが、いつの間にかサングラスに変わっていた。太陽を直視している仰向けの状態だったので、ありがたかった。


「翔くん……」


 翔を呼ぶ桜花の声がする。

 ぴくりと反応すると、桜花は翔の左手を安堵するように優しく包む。


「どれぐらい寝てたんだ?」

「10分も経ってません。……どうして」

「どうして、か」


 桜花が訊ねてくる。それは質問としてはよく分からないはずなのだが、翔には該当する質問が一つしかなかった。


 桜花は危険な状態になる前にどうして浮上をしなかったのか、と聞いているのだ。


「もう少し見ていたかったからかな」

「見る……?」


 きょとん、と首を傾げる。

 桜花は体操座りと呼ばれる足を少し曲げて三角形を作り、それを腕で囲うようにして、座る体型である。

 翔は砂浜に寝そべっていたので、桜花を見上げるような形になって新鮮な感じがした。


「海の中は綺麗だったし、負けず劣らず桜花の姿を綺麗だったから」

「……」


 桜花は頬を染めてむくれていた。どうやら綺麗だ、と言われて嬉しかったらしい。


「あの世界は良かったな……」


 翔がぽつりと呟くと、桜花がボンッと爆発した。勿論、物理的な話ではなく比喩ではあるが、それが相応しいと思えるほどに頭から湯気を出している。


 翔は焦っている桜花を見て、ようやくあのことも言っていることになるのか、と自覚する。


「あ、いや、その……」

「あの時は……はしゃいでしまってて……その」


 二人は全く同じタイミングで話し始めてしまう。


 翔はきっと桜花が思っているようなことは思っていない。

 少し驚いただけで、凄く嬉しかったし、初めての経験ばかりでしどろもどろになってしまっただけで、特に嫌だ、とかそういうことは全くもって思っていない。


 もしそう思っていたならば、すぐに払い除けて浮上したに違いない。


 翔はこういう勘違いをしかけている女の子に何と声をかけていいのかが分からない。だが、必死に頭を回転させ、必死に言葉を紡ぐ。


「凄く嬉しかったし、気持ちよかったよ」


 そうして出た言葉は少し考えれば絶対に紡がれることのなかったはずの破壊力しかない言葉。一歩引いてみれば、肌から鳥肌が立ってしまうような際どい台詞。


 桜花はぱくぱくと口を開いては閉じたりとおかしなことをしていた。


 実際にキスしてきたのは桜花なので、そこまで挙動不審になられても困る、と思いながらも様子を伺った。


「どこかおかしいと思うところはありますか?」

「どうした、急に?!」

「いいですから!翔くんがおかしくなってしまいました……」

「聞こえてるよ?!おかしい所もないし!」


 身体の不調を疑われたのは翔の方だった。

 身体を隈無く調べられて、少し恥ずかしく感じながらも抵抗はしない。

 どちらかと言えば桜花の方が先程まで挙動不審だったのだから、桜花を調べる方が先決ではないのだろうか、と思ったものの、誰がどうやって調べるのか、と考えた時に翔しかいないので、自分がやることになる、と結論が出たのでやめておいた。


「まさか……内傷?」

「どうしてそこまで僕を病人にしたがるんだ……」

「だって……翔くんがあのようなこと言うのは……」


 あのようなこと、と言われて翔ははっとした。

 誤解を招いたらしい。


「いや……あの……」


 だが、もう一度口に出そうとすると、今度は意識がそちらにいってしまっているので、なかなか言葉として出てこない。喉につっかえてしまったかのような錯覚を覚える。


「ごめんなさい」

「どうして謝るんだよ」

「いえ……。自分勝手でしたので」

「自分勝手でもいいじゃないか。ここには僕しかいないんだし」

「でも……」

「僕と一緒にいる時ぐらいは自由にして欲しい」


 翔がそう伝えると桜花はしばらく唸ったあと、分かりました、と不承不承ではあったが呟いた。


 心做しか空気が重たくなってしまった。

 水中でキスをする、という第三者がいれば頭おかしいのでは、とツッコミを入れられてしまいそうなことをしたのだから仕方がないことなのかもしれなかったが。


「今日だけは……いいですか?」

「いつまででも」


 今日はいつもに比べれば自由にしていると思ったが、それは言わないでおいた。


 桜花はそう言うと、翔と同じように仰向けに寝転がった。どこに持っていたのか、サングラスをかけて、太陽から目を守るのも忘れない。


 翔と桜花の腰辺りまで波が押し寄せてくる。

 海に浸かっているのか、砂浜で寝転がっているのかという、何とも微妙な場所に二人は並ぶ。


「本当に地球には僕達しかいないような気がするな」

「私達だけなら、何をしますか?」

「う〜ん……」


 色々と思い浮かぶものはあるが、真っ先に子供、と考えてしまった翔はきっと思春期なのだろう。

 いや、そこに「きっと」を付けなくても確実に思春期なのだが。


「桜花と好きなところ行きたいな」

「世界旅行ですか?」

「う〜ん、世界旅行だ、と言い切るつもりは無いかな。桜花と楽しいを共有したいっていうのが本音かな」

「私もです。翔くんと楽しいを一緒に感じたいです」

「今は楽しいか?」

「先程まで不安でしたけど、今は楽しいですよ」


 自分で本音を語っておきながら、それに照れているのを感じる。


 桜花と目を合わせはしなかったが、桜花と心は通じあっているのだと自信を持った。

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