第154話「誘うかお忍びか」


 桜花から少なくとも海に行く希望は聞けた翔だったが、ふと、カルマ達も誘うかどうか悩んだ。


 数少ない友達であるカルマは翔にとって大事な存在である。


 それに、カルマも蛍という可愛い彼女がいて、桜花を絶対に取られないという安心感も少なからずある。


 もし誘うとしても金銭の問題は大きくない。一人や二人分が増えたところで総金額に大した差はないのは既に調べてある。


 翔だけで決められない以上、翔は桜花の意見を求めた。


「桜花は誘いたいか?」

「誘いたい……?あぁ、蒼羽くんと蛍さんのことですか」

「そうそう」


 主語が全くなかったのに、理解してくれた桜花に感謝しつつ、次の言葉を待つ。


 桜花はどちらがいいのだろうか。

 翔と二人きりか。友達と四人で遊ぶのか。


 翔が自分で言うのも少しおかしな話であるのだが、どちらを選択しても楽しみは残る。


 翔の意見としては今の気分的に桜花と二人でまったりしたいという気持ちの方が強かったのだが、それを自分から言うのは何だか恥ずかしかった。


「誰もいないところだからカルマ達を呼んだとしても四人で、人混みとは言えないだろ?」


 自分の思っていることとは反対のことを言ってしまうのは翔の悪い癖だ。

 この言い方では翔がカルマ達を誘いたいように聞こえてしまう。


「そうですね……」


 桜花は深く考え始めた。

 平静を装いつつも桜花がどちらを選ぶのかが気になって仕方がない。

 翔はパソコンを睨むふりをしてちらちらと桜花の顔色を伺う。


 しばらく経って、桜花がはっきりと自分の中で決めたことを口にした。


「私は翔くんと二人きりがいいです」

「そうか」

「あの……翔くんが誘いたいのであれば構いませんよ」


 翔の相槌が悲しそうに聞こえてしまったらしい。気遣うような言葉を掛けてくれる桜花に翔は勢いよく首を横に振った。


「いや、その……安心しちゃってさ」

「安心ですか?」

「僕は桜花と二人で行きたかったから……」


 もぞもぞと声を小さくしながらも伝えると桜花はふっと微笑み、翔の頭を撫でた。


「そうでしたか。私は正解を選べたようですね」

「……ふん」


 恥ずかしくなってふいっと撫でられたままそっぽを向くとくすくすと笑われてしまった。


 その後、翔を撫でくりまわしていた桜花が、ふと気になったらしく、翔に訊ねてきた。


「いつ行くのですか?」

「んー、明後日?」

「明後日ですか」

「今日と明日で準備して、明後日出立の予定」

「翔くん、私が聞かなければどうするつもりだったのですか?」

「いや、ちゃんと言うつもりだったよ?この後でさ……。本当だって!」


 全く信用されていない視線が飛んでくる。


「翔くんはそんなに準備するものが無いかもしれませんが私にはいっぱいあります」

「……はい」

「だから、そういうことは事前に言ってもらわないと困ります」

「……はい」


 そうなのだ。つい翔は自分を基盤に考えてしまうが、旅行の際に準備がより必要になってくるのは男性ではなく女性。

 つまり準備が必要なのは翔よりも桜花である。


 梓と修斗との昔の家族旅行の時も、一番慌てて準備していたのは梓だった。


 翔はそのことを完全に失念していたために、しょんぼりと項垂れた。


 桜花との海が楽しみ過ぎてすっかり失念していた。


 翔の様子にちくりと心が傷んだらしい桜花は怒っていた顔から一変して穏やかな表情に変わる。


「明日一日あれば私の用意は終わりますからそこまで落ち込まないでください」

「でも……」


 それでも翔がごねていると唇がさっと塞がれた。


「これ以上言うならもう一回します」


 赤くなりながらもはっきりと言う桜花に翔は今更ながらにキスされたのだと悟った。


 瞬間的に体温が爆発し、もうしません、と首を縦に振る。


「明後日のデート、楽しみですね」

「デート?」

「海水浴デートです」

「いい服あったっけなぁ……」

「明日一緒に選びましょう」


 何だか明日は準備するだけで特に変わったことは起こらないのだろうと思っていた翔は途端に楽しく思えて待ち遠しくて仕方がなくなってしまった。


 海水浴に行くのだから、普段着は必要ないだろう、なんて思いはさらさらない。


 これはデートなのだ。家から出発して家に帰るまでは全てデートである。その中で今回は海水浴をするので、水着が必要なのであって、本質はそこでは無いのだ。


 つまり、家を出たその時から桜花とのデートは始まっている、と言っても過言ではない。


 翔には勿体ないほどの美しい美貌を持った桜花と歩くには見栄えだけでも少しでも良く見せたいのだ。


 自分が釣り合っていないと掘り返す気は無く、ただ、最低限の努力、いや言い方を悪くすれば措置を施しておきたいのだ。


 あとは楽しむ。

 誰もいない砂浜で桜花と二人で楽しむ。


「お肉がいるな」

「お肉ですか?……お父さんと焼肉を沢山食べて当分はいらない、と言っていませんでしたか?」

「……でも、海といえば肉は必須じゃないか?」

「必須なのはお肉よりも日焼け止めクリームです」


 桜花も乙女。肌が焼けるのは許容し難いものがあるらしい。


「日焼け止めクリームって家にあったっけ?」

「梓さんが沢山備蓄してある、と言っていたので探せばあると思いますよ」

「準備いいな……」


 どうにも翔が自分で決めて、桜花を誘ったはずなのに、前々から仕組まれていたような感じがしてならない。


 しかし、まぁ気の所為だろうと言うことにして、翔はずっと頭の上にあって微妙に撫で続けている桜花の手を掴んで桜花の太腿辺りに離した。


「ずっとされ続けるのかと思ってました」

「全然やめてくれないからどうしたらいいのか悩んでたんだよ」

「そのままでも良かったのですよ?」

「逆なら喜ぶけどこれは複雑だな」


 そう翔が言うと、桜花がくすっと笑ったので翔もつられて笑った。

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