第140話「本当の真実」
「桜花がまだ物心着く前のこと。私達の家と修斗の家は隣同士だった。勿論、この家という訳ではなく、前の家になるのだろうが」
翔は今更ながらにこの今住んでいる家は一度引越しをした後の家だということを思い出した。
「修斗からも聞いているかもしれないが、私と修斗は高校時代からの親友だ。そして何の因果か家まで隣同士になったのは驚いたよ」
「初めの頃は「ご近所付き合いだ!」と毎日のように修斗さんと飲んでいらしましたものね」
「あぁ、懐かしいな。その時はお互いにまだ子供がいなかったからな。結構自由奔放にしてしまった気がする……」
「私も梓さんも妊娠はしていましけどね」
翔が産まれる前の話だったが、どうしてか修斗の振る舞いは見ていたかのように鮮明に想像出来た。
「修斗の方が半年ぐらい早かったか」
それが翔だということは何も言わなくても分かった。しみじみと過去を振り返り、思い出に浸りながら言葉を紡ぐ充に、桜花はじっと聞き入っていた。
「それから桜花が産まれたな」
「可愛い女の子でした。勿論、今もですけどね」
佳奈が桜花を見ながら微笑む。
桜花が図らずも目を合わせてしまったようで照れたように俯いて視線を外した。
その様子に、翔は元より充も佳奈も自然と笑みがこぼれる。
「……つ、続けてください」
「では。……桜花が産まれたことによって、私は更に仕事に精を出した。きっと守るものが増えたことで私の中の意識が変わったのだろう。働いて給料を貰い、そのお金を使って家族3人で生活し、暖かい家庭を築いていくつもりだった」
「それが出来なかったのは……何故ですか」
「その未来設計が狂ったのは一言で言ってしまえば仕事のせいだ。私の仕事ぶりが認められたらしく、海外出張を言い渡された」
「海外出張……」
「私は迷った。海外出張を断って日本に残るか、単身赴任として一人でアメリカに渡るか。だが、海外出張は当時、私の会社にとっては最高級の切符だったのでなかなか断りにくい。かといって、幼い桜花を抱えている現状で単身赴任をするのは佳奈に迷惑をかけてしまう」
「育休は……?」
翔は最近授業で言っていた育休のことを思い出した。しかし、充はゆっくりとかぶりを振った。
「時代のせいにしてしまえば簡単だが、私の会社では男が育休を取ることはないし、取らないことが暗黙の了解になっていた」
「ブラックだ……」
「そうかもしれないね。だが、ここだけの話、給料は結構いいんだぞ」
翔はその話が大層気になったのだが、話がずれていっているという感じはしっかりと感じていた。
なので、どうにかして話を戻さなければ、と思っていると、桜花がこほん、と咳払いをした。
「あの時の充さんはとても悩んでましたものね。桜花をあやしながら心配で仕方ありませんでした」
「私は決められないまま、ただ無駄に潰えて行く日々を過ごした。その時も何も考えなかった訳ではなく、悩んではいたのだが」
「そして、見かねた私が」
「そう。「修斗さんに相談してみては?」と助言をくれたのだ」
ここでようやく翔は話の中で修斗や梓がどう絡んできたのかを察した。
「相談すると、修斗は「私達が見ようか」と提案してくれた。ありがたい申し出だったのだが、修斗の方も翔くんで手一杯のようだったし、直ぐに頼むようには至らなかった」
「それで祖母のところへ?」
「紆余曲折を経て、お義母さんに預けることになった」
「どうして皆でアメリカに渡らなかったんですか?」
「桜花は直ぐに泣いてしまうから飛行機に乗せるには早すぎたようだし、何しろ仲良かった翔くんが居たからね」
「私は充さんが心配で」
どこかで見たような構図だな、と翔は自分の両親を思い浮かべた。親友で家が隣同士。そうなると人生の伴侶まで同じような性格の持ち主を選ぶのだろうか。
梓ははっきりと物怖じせず言いたいことを言ってしまう性格で、佳奈はどちらかと言うとその反対の性格をしているように見せるが、共通点として「夫について行く」という大きな点がある。
決めたら動かない意固地な性格は確実に佳奈からの遺伝だろう。
「私を置いていく時の視線は……」
「アメリカに渡れば日本にはもう帰れないだろうことは何となく予感していたからかな」
「後ろ髪を引かれたのよね」
「そうだな。あの時に思い切り抱き締めてあげればまた違ったのかもしれないが」
「まぁっ。そんなことをしたら充さんが「もう行かない」と言い出すのは目に見えているでしょうに」
「確かにそうだな」
充と佳奈がくすくすと笑う。
どれ程までに充が悩み、修斗への相談や、佳奈からの助言を経て桜花を祖母のところに預けるという結論になったのかは翔には分からない。
どれだけその経過を述べられたところで、翔の根本的にある納得できない箇所が消えてなくならないのだ。
それが自分よがりなことだろわかっていても、翔はそれを押し殺して許容することは出来なかった。
(大事なら……大事な可愛い一人娘なら、手元に、手の届くところに……!!)
桜花は完全な勘違いだったことが判明し、それを噛み締めるように目を閉じていた。
充が語ったこと全て真実だろう。この場で嘘を取り繕ったところで何一つ生まれるものがないからだ。
だから、まとめると。
修斗と充は高校時代からの親友であり、偶然にも隣同士に家を持っていた。翔と桜花は実は産まれる前から幼馴染として定義されていて、物心着く前から仲良かった。
仕事が捗り認められた充に海外出張の任が下り、どうするのか、と揉めた後、桜花一人を祖母、佳奈の母に任せ、充と佳奈はアメリカに渡った。その時に名残惜しく去り際に振り向いた時のものが、桜花の心には深く、傷、という形で残ってしまったらしい。
勘違いだったことを喜べばいいのか、どうして桜花を残して海外へ渡ってしまったのか、と憤慨するべきなのかの判断がつかず、翔はじっと黙っていた。
「桜花にとっては私や佳奈といる時、修斗や梓さんといる時、翔くんと遊ぶ時のどれもに優劣はない。誰もが桜花の家族でみんな大切な時間だ。そのどれかを切り捨てなければならない、となってしまった時に捨てたのが私達との時間だった、と言うだけだ」
翔は充のどうしようもなく大人な部分に反論したかったが、言葉が上手く作れずぐっと堪えるしかなかった。
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